234.聖女の祝福
質問用紙に記入する内、ロ―リオラスが最後の一枚を手に取る。
「ダンジョンか」
呟きの内容からして、ダンジョン関係の質問なのだろう。
ロ―リオラスは戦力を得るためにダンジョンを狙った。光神教の勢力下にある国のダンジョンを壊して、素材から魔道具を作り上げた。
各地の都市で起こされた事件は、探索者としてダンジョンに潜っていた自分が、光神教の内部抗争に巻き込まれるようになった原因でもある。
「そうか。これだけ壊すと早く影響が出るのか」
「どういう意味だ?」
「ダンジョンを壊すと周辺のダンジョンが変調を起こす。……新生期を過ぎれば数十年で部屋一つ広がるくらいが普通の成長だけど、近辺のダンジョンが壊れた場合は、これに当てはまらない。魔物の発生頻度が増えたり、範囲拡大で地形に異常が現れる」
ダンジョンの破壊が問題になる事は知っている。討伐組合が厳重な管理を行うのも既存のダンジョンが暴走するのを防ぐためだ。
「だとしても、一年経たずの急変は知らない。広範囲で破壊したのは失敗だった」
「過去に似た例は無いのか?」
「調べた限りでは一度も。ひとつの都市で複数壊すくらいは、いくらでもあったはずだよ」
既にダンジョンを破壊する過程で多くの探索者に被害を与えている。話題から外れた内容だが、指摘せずとも当人は理解しているだろう。
「日付は新しい。異変を伝えるために緊急連絡手段を用いた。騒動に対して聖女が介入した事もあって、慎重になっていたのだろうね」
「深刻な事態だよな?」
「深刻だよ。ただ、都市が独自に対処する問題でもある。都市間が離れている以上、移動による一時的な戦力の喪失は避けられない。自身が治める地域で、魔物の対処に遅れを出すわけにもいかない。隣であっても兵士を送るのは難しい。……何にしても、私は責める立場に無い」
ロ―リオラスの行動による影響だとすれば、被害は未だ測りきれない事になる。ダンジョンを破壊した反動が今後も現れてくるとなると、軍事関係の負担は増える。対処が追いつかなければ、住民の生活まで侵される。
派閥抗争を早期に解決したといって、喜べるものではない。
「アケハがアプリリスに拾われた国だよ。……都市内のダンジョンが急激に成長して、魔物が大量に放出された。既存の防衛設備が突破されて、街に魔物が流出したらしい。危機的状況と判断されて、軍まで出動している」
「危機的どころではないだろ」
こちらの経緯を知っている事には驚かない。ロ―リオラスにとって、アプリリスの周辺情報を集めるくらい当然の備えだろう
平然と語られた内容は、危機的と表現するものだ。都市で住民の血が流れた事は容易に想像できる。一般人が魔物に対処するなど不可能だ。普段魔物を狩る探索者でさえ、戦いの場を選ぶ。突然襲われて対応できる者などいないに等しい。
「ロジェ」
「……多分、アプリリスも準備は始めている。必要なら向かう事になると思う」
以前暮らしていた国は、辺境の都市でも魔物の大規模な襲撃を受けていた。圏外への遠征計画があって、兵力を集めていたところでの対処だ。事前に予期していたわけではなく、平時から大規模な襲撃に耐えられるわけではない。
国自体の兵力は確実に減っている。一年という短い間隔だ。兵力も回復していないだろう。
今の状況では兵力の負担を国全体で補う事も危険だ。限られた防衛戦力をさらに薄めて対応するとなると、各地で起こる細かな問題に対処しきれなくなる。
下手をすれば人類の活動範囲が縮まりかねない。
「これ以上、知っている事は無いんだな」
「ごめん。憶測を書くわけにもいかない」
ロ―リオラスの筆記具が机に置かれる。質問用紙を広げておく意味は無いらしい。
個人が焦ったところで事態が解決するわけでもない。今任されている仕事を済ませて、アプリリスの指示を待つしかないだろう。
今の話についても自分はロ―リオラスを責める立場にいない。自身の利益のために複数の探索者を殺した。ダンジョンを維持するために害悪ともいえない人間を殺しているのだ。
光神教の立場から答えられないのは、専属従者としては不審な行動に入るだろうか。
「酷い事を尋ねる。今回の被害が予想できたとして、アプリリスに勝つなら行動できたか?」
「破壊する数を抑える努力はするかもしれないけど、諦めなかったと思う」
視線を一度も外さずに答えたロ―リオラスは、飲み物を持ち上げる。
「今でさえ後悔はあっても、達成感はある。何でもできるほど私は優れていない」
「そうか」
この場で聞ける事は聞いた。
質問用紙と回収して、封筒に戻す。筆記具を片付けた後には、半端に残っていた飲み物だけ飲み干して、席を立つ。
「ねえ、アケハ」
去ろうとした隙に呼ばれる。振り返るとロ―リオラスが近寄ってきている。攻撃の気配は見えない。今のロ―リオラスには剣も無ければ、魔法も使えない。食器程度の刃物を隠し持つとしても、こちらが一方的に押さえ込める。
あと一歩の距離まで迫ったロ―リオラスは、両腕を伸ばして正面から抱きついてきた。
「ロジェ……」
かすかな呼吸が聞こえるほど近い。背中に回された手は体を貼り合わせるように動き、熱を伝えてくる。
室内の柔らかい匂いが強まったおかげで、多少の温度変化も嫌にならない。されるがまま密着を続けると、ロ―リオラスの片腕が何も持たない腕の方へと下りてくる。
「痛いよ。アケハ」
手に硬い感触を感じて、相手の腕を掴み上げる。
持ち上げた手には鍵があった。
「……鍵か」
見かけない装飾だが、教会で使われそうな雰囲気がある。
暗器を警戒したのは過剰だったようだ。
「高官が大事そうに保管していた鍵だ。……どう持ち込んだかは聞くなよ、女が隠せる場所なんて決まってる。検査官も流石に奥までは調べられなかったらしい。この鍵も、私の性格を考えれば、紛失したと思われているはずだ」
抱擁を解かれて再び見えるようになった顔が、真剣な表情で語る。
「私が育てた大事な切り札だ。どうせ私は長く持たない、使い切るつもりで対策はしたさ。ほとんど無駄だったがな」
言い終えたロ―リオラスが、下がり気味に歪んだ笑みを作る。
「ああ。お嬢様言葉でないのは大分、楽だわ。……あー、なんつーか。あれだ。あれ」
ロ―リオラスは自らの髪に触れて表情を隠す。誤魔化すような言葉を吐くと、腕を下ろして、肩の力を抜いた。
「失敗したって構わない。私が最後に見る男なんだ。お前は生きろよ」
正面から笑顔を見せると、再び体を近づけてくる。今度は途中で顔を背けず、わずかに傾いた唇を重ねてきた。
顔が離れると、こちらの手に鍵を預けてくる。
ロ―リオラスが名前を呼ぶ。鍵を持つ手は服の収納へと動かされて、鍵を手放した次には相手の腰に導かれる。深く抱きしめられて唇が接触を増す。後頭部に手を回されて口内に舌が入り込む。
抱擁の形が器用に移り変われば、出来た隙間が寒暖を生み出し、服の生地が擦れた音を立てた。
抱擁を弱まる。
ロ―リオラスは首筋で呼吸を整え、息を当ててくる。
「口づけされて動じないとか、女の味を知ってやがるな。……何番目に酷いか教えろ、女喰い野郎」
「一番下じゃない」
「だろうな。当然だ」
答えた後の抱擁を最後に、ロ―リオラスが距離を取る。
服に溜まった熱が冷まされていく。
「ごめん。……責任逃れに聞こえるかもしれないけど、魔物が大量に動いているなら、魔族の可能性も忘れないで」
「わかった注意しておく」
穏やかな視線を振り切って独房を去る。
警備の二重扉を抜ける間に熱は失せた。
監視の間に戻ると、アプリリスの姿を見つける。
「待ってくれていたのか……」
「約束しましたから」
正面に来たロ―リオラスは、こちらの顔を見て話す。
「聞き取りは進みましたか?」
「全ての質問に目を通してもらえた。協力的に対応してもらえたな」
「そうですか」
質問用紙に記入する姿は正面で見ており、何か細工をするような事も無かった。
渡された鍵については、偽物だとしても大した問題は無い。立場の弱い専属従者一人を誑かす理由なんて、その場の気晴らし程度にしかならない。光神教に疑わしい部分があるとしても、簡単に調べられるわけではない。誰かと同じく、時機が来るまで隠し持つくらいだろう。
「あの子は良い子よ、あまり酷い事はしてあげないでね」
非道な行為をしたつもりはない。ロ―リオラスとの抱擁も本人の希望が元だ。
「近く発生したダンジョンの異変について、何か聞き出せましたか?」
「本人も分からないらしい」
「そうですか」
質問内容に加えられている時点で、アプリリスも警戒している。今後もダンジョンの異変が続くようなら、聖者が動く事態もあるかもしれない。
短い会話を終えた後は、建物を離れた。




