231.交換
廊下に出ると絨毯や石壁に包まれる。途中に飾られた花は近づけば匂いを感じられる。空気によどみが少なく、その場その瞬間に作られる雰囲気が直に届く。
飲食店や古着屋に独特の雰囲気があるように、部屋を移動する度に目的毎の統一感が明確に切り替わる。教会という一つの雰囲気でも場所毎に個性が存在する。その事を容易に感じられる。
街中と違って生活同士の混雑を感じられない。意図して作られた空間だろう。
隣接する建物も少なく、日差しが良く通る。
屋内でも時間の変化を感じられるため、鐘の音が遠かろうと何の支障も出ない。
「アケハ―、助けてー」
廊下の先を見る。
声の主は、以前から専属従者をしているリーフだ。階を上がってきたのは二人で、一方は背後の人から逃げるように駆け足に変わる。
途中の扉から人が現れるとは考えない。勢いまま飛び付いた後に、追って歩いてくる相手に威嚇を始めた。
「落ち着け」
こちらは支柱ではない。
「お願い協力して。手足を縛って物置に押し込むまででいいから、その後は気にしないから」
真に受けない。私的な場所でなければ許されない発言にも指摘はしない。
「しないぞ」
「……アケハ?」
「待たせているから、早く行くぞ」
気付いたように目が見開き、捕らえた腕が暴れる。
「こんの裏切者! 変態! 離せ!」
叫び声に反応する者はいない。声の主を知れば、通りすがりの使用人も目を背ける。
ここ最近は恒例になった光景である。
「アケハ。そのまま捕らえてなさい」
近い声を無視して、奥からの指示に従う。
追手は気品を保つために走らない。
だが、残りの距離は着実に狭まっていく。
「離してくれるなら、後で何でもするから。ね?」
「怒られるのは俺も一緒だ。仲間だからな」
「やーだぁー」
断わられる事さえ嫌がられる。
こちらの体を揺らす間にも、時間は過ぎる。
「捕まえた」
「ひぃ」
追手の女性が背後に来て、今度こそリーフは一切の抵抗を諦めた。
「お疲れ様です」
「いいのよ。これが仕事なんだから」
首を振ると、まとめ髪が揺れる。
「……以前は許してくれたのに」
「同じ立場になった以上、見逃すつもりはないわよ」
リーフと比べれば身長も低い。単純な筋力なら負けないはずだが、強烈な弱点になっているらしい。冗談でたわむれる姿も彼女の前では長く続かない。
首の垂れたリーフを前にして、廊下を進む。
人事異動の時期を過ぎて、専属従者も新たに二人が加わった。
内一人であるエルフェは、以前から存在していたリーフの怠け癖の被害者だという。長く困らされた結果として捜索能力が高く、おかげでリーフの発見頻度が増えた。
最近になってアプリリスの呼び出しが増した事も、人選と関係しているだろう。
「まったく。こんな状態で、よく専属なんて言えたわね。……貴方も早く覚えなさいよ」
「ああ」
新たに加わったと言っても、元々、教会に長く勤めている。施設利用や作法に詳しく、自分やレウリファと違って、任される作業量も格段に多い。
加わって数日の時点で、個人宛の手紙や資料を扱う量が増えた。アプリリスが人事異動を待ち望んでいたのも当然である。
「私がいない時は、多分、貴方しか頼れないんだから」
未だに教会内を出歩く気にはなれない。
以前いた都市のような案内の地図が存在せず、自作の経路図を手に、通りすがりの者にたずねて向かうしかない。時期ごとに入れ替わりのある部屋の利用者を、秘書課に毎回頼るのは気後れする。
口外を差し控える書類もあるようなので、同伴させてもらう形で学んでいる途中だ。
「どこで発見したんだ?」
「第二棟の会議室よ。空き室になったから掃除も入らなかったみたい」
ついでに、エルフェが話す捜索論は難解である。
その日の湿り気や暖かさ、時間帯や食事内容によって昼寝場所が変わる。日向、日陰と各所に存在する快適な環境がリーフ専用の安眠所になるらしい。
建物内の捜索は頼まれるが、別の建物を移って探すのは極めて困難に思える。同じ専属従者であっても食事は別という言い訳も、断る理由にならないだろう。
談話室に入ると、扉を開けてくれたレウリファと共に扉近くに留まる。
普段は見かける程度の他の専属従者も集まっており、室内に見慣れない狭さがある。
「エルフェ、アケハ、ありがとう」
揃って小さな礼をして、アプリリスへ注目を戻す。
「資料の内容を繰り返すだけですが、話を始めます……」
最初の報告内容は派閥対立の件についてだ。
ロ―リオラスの捕縛後から日数も少ない中、情勢の変化は目立っている。
これまでは聖女の地位を崩さないよう慎重に調査が進められていた。聖者が活動を始めた頃から始まったらしく、数年で集められた情報は確実に追放至らしめるものらしい。ここ最近の周囲の多忙は、秘密裏に行っていた活動への追及によるものだという。
庇護を失った重役たちが連日、処罰を下されている。公的な犯罪に関しては取引による軽減も含まれるが、光神教への重大な背反には貴族位の取り潰しも免れない。
男神派の完全な排除はなくとも、今後数世代の活動は困難になる予想らしい。
「ラナン。体調に問題はありませんか?」
「疲労は取れたから、いつでも動けます」
ラナン本人が答えた後には、一緒にいるフィアリスも頷く。
「悪い報告ですが、国立の研究所で違法な技術開発が進められていたようです。罪状については確信足りえない情報ですが、事の重大性を鑑みて、緊急に踏み込む形に決めたようです。特定不明の人間が定期的に運び込まれる時点で、非人道的な人体実験が行われているのは確実でしょう……」
光神教が管理する国となると、国が持つ施設との関係も近いのだろう。男神派の工作とは限らないが、早く対処すべき事態になっているらしい。
「ラナンとフィアリスには、明日にも聖騎士と共に摘発へ向かってもらいます」
「分かった。僕からも確認しておくよ」
「お願いします」
同意を得た後には、細々とした確認が進められていった。
話し合いが終わると、それぞれが談話室を離れる。
ラナンもフィアリスも生活の場を移しており、室内にはアプリリスの関係者だけが残っている。
「アケハさん」
皆と揃って机の片付けを始めようとした時に、アプリリスに呼び止められる。
「どうした?」
「少し、私室の方で話をさせてください」
アプリリスはこちらだけを見て話す。
「……わかった」
二人で談話室を抜ける。
私室に移った後は待つように指示された。
アプリリスは隣室の扉へ進み、再び現れた時には片手に封筒を持っていた。
「ロ―リオラスの聞き取りに協力してくれませんか?」
「その封筒は?」
「質問内容です」
「開けても?」
静かに手渡された封筒を了承を得て、中身を確かめる。最初の一枚には最近の事件に関する質問が並んで書かれている。聞き取りという話も正しい。
「……専門の人に任せると言ってなかったか?」
「はい。ですが、向こうから指名が入ったみたいです」
「聴取を拒否しているのか?」
「いいえ、これまで穏便に進んでいた中で、本人が希望したみたいです」
調査をする内に問題を起こしたわけではない。拘束された立場でも、ある程度の自由が認められているようだ。
「一対一で会うのが嫌なら、断って構いません」
「待て。俺一人で入るのか? 抵抗された場合に対処できないぞ」
「肉体はともかく、魔法の使用は困難にしてあります。暴走した場合でも近くに警備が待機していますから、警報を出せば素早く鎮圧されるはずです」
監視がいない状況はありえないため、呼べば助けてくれるのだろう。
「……断った場合に、向こうが非協力的になると思うか?」
「いえ。取調官によると、貴方の意思を優先するように言われたみたいです。断った場合でも問題は起こらないでしょう」
「そうか……」
従順である間に事件の解明を進めたい。好感を上げる意味で要望を叶えるのも手段ではある。
こちらも少し協力するだけで済むのだ。
書類を読み上げるくらいは簡単な作業だろう。
「ロ―リオラスが逃亡する可能性は無いんだな?」
「特別な独房で監視も厳重に行われています。不可能とは言いませんが、突破は限りなく困難でしょう。まず、安心してよいかと」
誘拐される可能性が無いなら、それ以上は気にしない。
「わかった。いつ向かう予定なんだ?」
「先に連絡を行いたいので、実際に向かうのは明日以降になると思います。時間帯は朝で構いませんか?」
「ああ、それでいい」
あまり時間が長いと獣魔の世話に支障が出るが、その辺りはアプリリスに頼んで融通を利かせてもらうしかないだろう。
「一応、私も手前まで同行しますから」
聴取の書類は当日までアプリリスに預かってもらう事に決め、片付けが進めらている談話室の方へと戻る。




