230.作り話
アプリリスは手元の用紙をよけて、机にある書類の束に指をかける。
「新聞を読んでみませんか?」
「新聞か……」
従者たちが運ぶ書類に数種類は混ざるものだ。
預かり物を保管する秘書課の棚を見て、多くの者に読まれているのは知っている。従者が待機する席にも自由に読める部数が用意されているため、日常的に見かけるものだろう。
自分の場合、秘書課で長く待たされないため読む機会は少ない。
「街の事も書かれていますし、少しは閉塞感も和らぐかもしれません」
今日持ち込んだ書類から新聞が取り出される。
「いいのか?」
「持ち去られると困りますが、それ以外では構いませんよ」
「空き時間に読めるだけでも助かる」
個人の情報を探ることに抵抗があり、個人宛の書類には手を伸ばせなかった。
普段から談話室で遊べる時点で大差ない行為のはずだが、秘密が含まれている可能性を考えると素直に探れない。飲み物や菓子を食べる事とは違う問題だ。
書類を運ぶ立場なので、本人から隠れて読む事も難しくない。
敵であるなら弱みを探るべきなのだが、聖女を敵と断定すれば、自分が孤立している存在だと自覚してしまう。積極的に行いたい行為ではなかった。
アプリリスの隣に座って、正面の机に置かれた新聞を取る。
「外出が少ないのは事実ですから……」
呟き声が耳に届く。
街で暮らす住民も、気晴らしで街歩きをするわけではない。生活に必要な物を買い足すという欠かせない行為も含まれている。教会で養われている自分には不必要な行動なのだ。
外出というなら今の方が貴重な経験が多い。
戦場であった国境付近や隣国の都市など、国を越える場合もあるのだ。都市を移動するだけでも個人では数少なく、そもそも暮している教会自体が都市に一つしかない重要な施設だ。
満たされていない自分が代償行為を求めているだけだ。
いくら求めても解消しない。一瞬の気晴らしでは満足できないだろう。
聖都中の事件。強盗や殺人は日頃から発生するものらしい。危険な通りの名前が挙げられ、事件の総数が説明されている。都市全体までなると人聞きで集めるには範囲が広い。衛兵の一部が専門に作っているのかもしれない。
予防策が多いのは住民も助かるだろう。実際、殺される立場になれば防げない。皆が鎧を着て歩くわけにはいかず、殺す側には準備を整える余裕があるのだ。日頃から不特定な対象に入らないよう意識しているのだろう。
まあ、探索者が持つような武器より、身近な道具が多いようだ。花瓶でも人は殺せる。
読み終えた位置では、専用に枠取りされて夜道と壁外への警戒が書かれている。
「なあ、ロ―リオラスはどうなる?」
一時的とはいえ光神教の重要施設を占拠した。犯罪行為でも深刻な部類だろう。
周辺国への迷惑行為の関与も疑われており、規模が大きい。
「現状では身柄の拘束に留めておくはずです」
新しい情報を聞かないため、昨日の対応から変更は無いらしい。
「犯人というより重要参考人です。昨日の事件については確定的なので、審議にも余裕があります。どちらかと言えば、周辺事件の情報を得る方が優先される……」
現場で捕まえてしまえば疑いようがない。実際に目撃した人間が多数いるため、真犯人が見つかる事もないだろう。
「しばらくは聞き取りの日々でしょうが、最終的には終身刑でしょう」
「殺されるのか?」
「いえ。生涯、隔離部屋で監禁するのが規定です。身分的にも死刑は難しい」
聖女となると簡単に死刑もできないか。
光神教への明確な反逆行為に対しても刑に悩む。言動や行動はどうあれ、聖女という立場は絶対的らしい。
アプリリスの目は、一度閉じられる。
「快適な室内で一生を過ごす。刑罰の中では緩い方でしょう」
「そうか」
結局、よく分からないまま決着が着いてしまった。学園で何度も出会っており、聖女と判明した後には逃亡されてしまう。戦争を終えて隣国から戻ってくると、今度は反逆者として捕まっているのだ。
「アケハさんとしては、どうなって欲しいですか?」
視線をこちらに戻したアプリリスが質問してくる。
「……正直、分からない」
光神教が人類の支えである事実は疑わない。実際、ロ―リオラスが起こした行動は危険なものだった。他聖女との対立はともかく、聖者への攻撃は人類の損失に繋がる。
通常許される行為ではない。
「少し、遠いというか。体感的に掴めるものじゃないな」
盗った殴ったという問題と違って、直感的にわかるものではない。
「ロ―リオラスも人類を殺す意図で行動したわけでもないだろ?」
「そのはずです」
誰かが害を与えたというより、光神教内で起きた出来事なのだ。
明確に誰かを挙げて敵視できるものではない。自分は女神派の派閥に近いため、立場的に主張できるだけ。部外者から見ればそうではない。派閥が変わる際に混乱が起きるとしても、人類を殺すために行動しているわけではないのだ。
急な変動によって住人に犠牲も生まれるかもしれない。社会すべてを自分の環境とするなら、一つでも欠けるのは損失だろう。
だが、変動を悪としてしまうのは短絡的だ。組織も人が集まったものでしかなく、構成員の次第で行動も変わる。代変わりを悪とするのは危険というほかない。
失敗した以上、現状の損失を償わせる。いや、成功した場合でも相手の立場に違いができるだけで損失は変わらない。
男神派が光神教の主流になっていれば、負担する先が変わるだけだ。
「思いつく事といえば、損害を償わせる事だが……」
聖女として貢献する以上を求める事ができない。聖女として活動する傍ら別の職業に就かせるなんて事は無理だろう。
光神教が負うべき責任であり、失策による被害を受けた者も請求は難しい。地下聖堂の占拠についても初めから光神教内で収まる範囲の事件で、結局、ロ―リオラス個人への処罰は身内で処理してしまえるのだ。
これ以上の被害を出さない方法で落ち着いてしまう。
「拘束くらいしかできないな」
他人事としか語れない。
「ロ―リオラスの個人資産はあるのか?」
「活動資金については聖女の予算が元らしいので、個人資産は皆無という状況でしょう。今回徴収した魔道具などを現金換算して補填するくらいでしょうが、元が元ですからね」
各地のダンジョンを壊して得た素材だ。高価だが窃盗物は個人資産として扱えない。
持ち主も半ば見当がついている。
ダンジョンを管理するからといって討伐組合の私物とは限らないが、以前、個人報酬として渡された事だけ考えると独自に取り扱う権利を持っていると見ていい。
窃盗品を返せないというなら、討伐組合への損害を支払う必要が出てくるだろう。
「面倒そうだな」
法の知識が無くても、憶測で分かる。
「相手派閥には貴族も多く混ざっているので請求先には苦労しません。……私への予算が減額される事も無いでしょう」
光神教の存在意義や聖者の使命を偽らないなら、他の聖女に負担を押し付けるとは思えない。アプリリスも心配していないようだ。
「仮にそうなった場合でも、報酬は確実に支払いますから」
「その心配はしていないな」
聖女の予算が減ると、従者の報酬も減る。建物の維持費を抑えるにも限度があり、人員を減らす事もあり得るのだろう。
個人資産で支払うと言うのかもしれないが、手元のお金が増える事に魅力は無い。獣魔や自分の生活が維持されているだけでも十分な報酬だ。
働く量からすると過剰である。
「……ダンジョン騒動からの保護という理由も失ってしまいそうですね」
「その理由が通用したのは最初だけだろ」
貴族相手の縁談を断るための、最悪な言い訳に使われたのが真実だろう。枢機卿の口ぶりでは男神派による計略の可能性もあった。アプリリスは聖女の実権を失うわけにはいかず、女神派の弱体化を防ぐ策が必要だった。
聖女という厳重に守られた立場に、都合よく現れた保護対象だ。ダンジョン襲撃騒動の元であるダンジョンコアの回収。治安維持という名目で直接交渉する機会を得て、性行為を迫った。
聖女を貴族するなら、名前程度に聞く、貴族に偶然拾われる成功物語だ。使用人の身で寵愛を受けたり、幸せに暮らすとされている。
ところが、実際は色情魔に聖女が狂わされたという構造になる。
探索者は衝動的な性格も多く、色恋沙汰の事件も少なくないという。特に政治に疎いという単純な理由もあり、婚約関係など考えには及ばない。貴族のお手付きに迫って、切り殺されるまでが様式なのだ。関わった誰もが幸せにならない。
元々秘密裏に行われた事であり、聖女となると公表もまずありえない。光神教内で使用人たちが最初に想像するのは、おそらく、こちら側だろう。
「このまま留まってもらえると、個人的には嬉しいです」
「嫌だと言えば、辞められるものなのか?」
「これも仕事でしかありませんからね」
専属への転属は本人で断る事も可能だ。アプリリスは大抵の規則には従うため、本気で断れば認められるだろう。
「まあ、気楽に過ごせる間は辞められないな」
緊急時には、魔道具へ魔力を供給する役割も任されるようになった。自分の利点を活用できている。このまま雇われ続ける事も、一つの生活として理想的ではあるのだ。
アプリリスの隣に座る事にも慣れた。
書状の手本を教わったり、日頃共に過ごす内に心情は別として動けている。害が与えられないと判断してしまっているのだ。
今残っている警戒も形を保っているだけにすぎない。
「今日は良い日差しが届きますね」
「まあ、数日は晴れが続くらしいな」
いくつかある新聞には数日先の予想が書かれている。雨の日には外出しない場合も多く、屋外で働く者にも需要はあるだろう。
振り返った窓から暖かさが届いている。
時間に追われないまま、二人きりで朝の時間帯を過ごした。




