228.暗幕
少ない重低音が響いた後、わずかな地響きが届く。
わずか数歩先に生じた壁は、ロ―リオラスの攻撃を防いだらしい。
明るかった周囲も、障壁から先は見通せない。
溜め息。
「あは、あははは……」
後ろに立つフィアリスから声が届く。
「どうした?」
「ごめん。魔力足んない」
「大丈夫なのか?」
砕けた口調になっている事は気にしない。
「障壁に使いすぎちゃった。……でも、半分も抑えたら、普通に壊されてたよ?」
「そうか、……助かった」
「うん」
戦闘という状況か、一時的に危機を脱して気が緩んだのか。
振り返ってみると、柔らかい笑顔で見つめられていた。
「アケハ。まだ魔力ある?」
「ある、ぞ。……杖でいいのか?」
魔力供給は以前にも行っている。
フィアリス専用の杖槍に触れるべきなのだが、魔法の制御中に魔力を送ってよいものなのかわからない。
「お願い」
とまどっていると、急かす声が来た。
「どこに触れればいい?」
「私の手の下くらいで、大丈夫」
伸ばした手がフィアリスの服に当たっている事は、気に留めないらしい。
示された場所を掴み、要望通りに魔力を送る。
「注げているか?」
「うん」
魔力を供給する上で、聖女の扱う魔道具が壊れる心配はしていない。
ただ、供給の上限を知らない分、持ち主への確認は省けない。
フィアリスと杖槍から視線を外すと、近くに拳大の光球が漂っていた。
攻撃魔法だろう。
「外は見えるのか?」
「大丈夫。ちゃんと見えてる」
魔力供給以外の事は、フィアリスに任せて問題無いようだ。
光球は正面の壁まで移動すると、線へと形を変え、障壁の中へと潜り込む。
「さっきは痛かったんだから……」
そのまま進んでいった光の線は、遠くない距離で見えなくなった。
障壁を保ったまま攻撃できるなら、便利なものだ。
「この地面の発光は、なんだろうな?」
「わかんない。けど、攻撃性は無いみたい」
「そうだな」
未だに光っている地面のおかげで、障壁内は明るい。
地下聖堂は普段生活する範囲から遠く、フィアリスも詳しいわけではないだろう。
それでもロ―リオラスが細工した可能性は高い。他人の魔法を光らせていた事と大差ない。遠方にいた自分たちに警戒していたなら、多少の強調はしておくだろう。
「外の状況はどうなってる?」
「えと、リコ姉も魔法を打ち込んでて、相手を防御に専念させていると思う」
同じ聖女でありながら、二対一でも持ちこたえている。
実力差か、優位な環境がなければ、普通は追い込まれるものだ。
ロ―リオラスは強い。
話している間にも、新しく光球を生み出して障壁の外に送り出す。
消されたか。自然消滅か。
たとえ魔法を使えるようになったとしても、障壁の外はロ―リオラスの領域だ。抵抗が多い中では魔法も長く持たない。
至近距離でなければ複雑な制御を要する魔法は使えず、遠方から単純な軌道で放出するだけではロ―リオラスも予測して回避してしまう。
軌道を調節して差し向けるといった高度な制御になるのだろう。自分にはできない。
魔力の供給があるフィアリスはともかく、アプリリスに限界がくるかもしれない。
攻撃できるようになった今でも、長引くだけ不利な戦況だ。
先ほどの返答に入らなかったラナンの戦況も、未だに決着つかずという所だろうか。
「勝てるのか?」
視線が合わないフィアリスの表情は順調でない。
「……私に賭けてくれます?」
「俺の魔力次第か」
静かに頷かれる。
供給量を増やす。
供給量の限界を自発的に試した事が無い。
魔力供給を練習では、限界を感じてこなかった。
下手な放出は危険だ。
制御を外れて、周囲に漏れた魔力が魔法的効果を示さないとも限らない。
魔力供給が途絶えると、フィアリスの方も対応に困る。こちらの魔力量を知らなかったために、戦術を変更せざるをえなくなるだろう。
どうにも、こちらの制御と魔力残量の問題らしい。
供給量は増やす。
体に異常が出るなら即刻報告すべきだろう。
「途中で倒れたら、すまない」
「その時は、一緒に降伏しよっか」
お互い、命がけだ。
「少し縮めるから、寄って」
障壁や結界は出現時に魔力を多く消費する。本来の用途を考えても、途中で形状変化をさせる類ではない。
自分は学者でも無く、知らない要素もあるだろう。魔法は制御次第で細かい調節が可能になると聞く。そのあたりが才能に関わってくるものであり、聖女であれば凡人以上の操作ができるとみていい。
単純な話、縮める意図は維持による魔力消費を抑えるためだろう。
長期戦に備えている。あるいは大きな攻撃の機会を狙っている。
戦術の判断については、考えるところではない。
フィアリスに全権を託している。
負傷した聖騎士たちは最初から障壁に守られていない。ロ―リオラスが迫る状況で全員を包み込むのは無謀だった。
積極的に狙われる存在ではないため、背にして守るだけでも意味はあるだろう。
「触れるが我慢してくれ」
障壁の範囲を縮めるという事は、攻撃が入り込んだ場合の回避が難しくなる事でもある。直接剣が届く距離までは縮めないはず。
硬化魔法を解けば、外の環境から過敏になる。
緩やかに、体の表面から順に。
脆弱な人間の体に適した感覚に戻されていく気がする。
他人の魔力が肌に響く。複数の魔法を制御するフィアリスからも魔力が漏れている。
やはり、魔道具は便利なものだ。
外部の魔力を扱う事で、個人の技量を底上げできる。
「ア、アケハさん?」
顔を向けずに言葉をかけてくる。
「どうした?」
「それ以上は、危ない気が……。勢いに体の方がもたなくなります」
かすかに視線を向けるフィアリスの体が傾いている。
魔法制御に集中する中、こちらに意識を割かせている。
「少し下げるが、……このくらいで構わないか?」
素直に従う。
今でも供給量を上げていける自信はあったが、魔力を動かす単純な勢いでも危険らしい。
限度を越えて傷つくのは大抵に当てはまる事だ。
「はい。……あまり、気負わないでくださいね」
「ああ」
供給する上限が定まれば、維持だけを考えられる。
障壁に閉ざされた中では、他に気を配るものもない。
フィアリスが障壁内に魔法を生み出さなくなった。
戦況も聞けず、体感時間だけが過ぎていく。
体内の魔力を、腕を通して、触れている杖槍へ送り込む。
極端な破壊もなければ、音が届くはずもなく。
守られた空間で、静かに待った。
「アケハさん。もう止めて構いません」
フィアリスの声で、魔力供給を止める。
「勝ったのか?」
「いえ、後は一人なので、……魔力量も余裕がありますから」
まだ、ラナンの戦闘が続いていたようだ。
「これから障壁を解いてもいいですか?」
「ああ」
出る事を想定して、硬化魔法を全身に行き渡らせる。
障壁が消えて、地下聖堂の暗さが視界に入った。
ロ―リオラスを倒した後でも領域の影響が続いているのか。障壁を解いたフィアリスも、アプリリスも表面に光を帯びている。
地面に転がっている者はロ―リオラスだ。手足が魔法で拘束されており、意識を失ったように動かない。元々持っていた武器も今はアプリリスの手にあり、抵抗も困難な状態だろう。
後はラナンの方を解決するだけだ。
二、三歩進めば足元は暗がりとなっており、最初に見た床や柱の発光現象が外では早く終わっていた事にも気付く。
唯一の戦闘音は、思い出せる当初の勢いを失っていた。
今でも踏み込めない速さだが、魔法によって生じる光が全体的に少ない。遠くに飛ばすような魔法が使われず、全身と武器の動きだけに光の跡が残されている。
両者とも、長く戦闘を続けるうちに多くの魔力を消費したのだろう。
「もう、戦闘は終わりです」
アプリリスの一声で、戦っていた敵がラナンから遠ざかる。
同時に、武器を打ち合う音も止まる。
「術者は拘束しました。貴方の勝利も無いはずです」
長い武器は床へと下げられ、戦闘の意欲も見せてこない。
戦闘の終わりに気付いたフィアリスが、ラナンに駆け寄っていった。
目前の女性が、過去にいた聖女だという。
年齢も、今の聖女とそう変わりないように見える。
死んだはずの人間が、魔法によって再現されている。
戦いを止めた事で、なおさら人間じみた。
兜から覗ける顔は、何を考えているのか分からない。緊張のない表情は辺りを見回す内に寂しそうなものへと移って、最後には顔も下がる。
全身が緩やかに崩れていく。
光が薄れて、奥が透けて、全体的に姿が散っていく。
何かが落ちる事もない。肉も、鎧も、一様に消える。
先ほどまでの姿が嘘のようだ。
元々、人の姿をした魔法だった。
そう思うしかなかった。




