227.暗視
地面に映る炎の明かりが暗い。
こちらを突き飛ばしたロ―リオラスから追撃も来ない。アプリリスの方に興味を戻したのか、炎の元に留まっている。
上半身を起こして見回すと、大きく距離を離された事がわかる。
「大丈夫ですか?」
フィアリスの小声が背後から届く。
「問題ない。腕に傷ができたくらいだ」
「すぐに治します」
振り返って腕を見せると、フィアリスが傷口へと杖槍を向ける。
魔法を使ったようで、光の粉が舞うと痛みが治まってきた。
「一体、どういう状況なんだ?」
「ごめんなさい。私も分からなくて……」
地下聖堂に訪れた時点で違和感は多かった。
盗まれた聖剣は取り返した後であり、ラナンが知らない相手と戦っていた。フィアリスに至っては、倒れた聖騎士たちと共に部屋の隅で放置されていたのだ。
有利な場で戦闘するために聖剣を盗んだとしても、前提と現状が釣り合わない。
聖剣を持つラナンと対等に戦える者がいて、聖剣の奪還を許している。聖騎士の助力があったとしても、ロ―リオラスが加勢してラナンを追い詰めればよかっただろう。
「聖騎士たちは大丈夫なのか?」
「応急処置は済ませてあります」
寝かされている聖騎士の一人が、こちらに気付いて顔を向けてくる。壊れた鎧からは血の汚れも見えるため、戦闘継続が不可能な程度に負傷しているらしい。
戦線復帰させるだけの治療魔法を使えるとしても、この場で行うべきかは別だ。
フィアリスの腹辺り。白地にありありと浮かぶ靴底の跡も今は気にしない。
「……多分、リコ姉が目的だったのだと思います」
「アプリリスをか」
派閥対立の中心人物となると、ロ―リオラスとアプリリスの二人になるのだろう
アプリリスを引き寄せるために聖剣を盗んだ。ラナンへの対処は現に可能としているため、時間稼ぎが続く間にアプリリスを排除すればいい。
聖剣の強奪や聖者への攻撃など怪しい点もあるが、派閥争いが決着してしまえば、内部の処理で済ませられるのかもしれない。
聖者は人類の守護を目的としている。
個人的感情は別として、光神教と対立してまで派閥にこだわる必要が無い。魔物側に与する場合でもなければ、主権を握る派閥が何だろうと構わないだろう。
召喚した聖女であるフィアリスも、立場的には同様かもしれない。少なくともロ―リオラスが即座に殺す真似をしないのため、フィアリスには派閥の傾向が薄いのだろう。
ただ、複数いる聖女を予備と考えるなら、聖者を召喚した聖女も安全とは言えず、後で処分されないとも限らない。
とにかく、早期に解決したかったのは男神派も同じだったらしい。
半ば違法な手段を用いて決着を早めた。聖騎士の動員が無いなど勢力的に不利な面も多かったはずだが、今の状況を作り出す時点で確定した勝敗とは思わない。
派閥の存続を聖女の対決に賭ける。光神教も聖者が全てではないはずだが、派閥に与する聖女の有無は大きく影響するようだ。
聖者が全ての聖女を拒絶する事態は、想定していないか。
「いても、邪魔になるだけか……」
火の勢いを示す音には、薪が弾けるような音も混ざっている。
今なお燃え盛る炎に、ロ―リオラスは警戒を続けている。
こちらを欲するような口ぶりも納得できないものだ。
特別、ロ―リオラスから好感を得たつもりはない。
無いはずだが、自分の境遇を思い返すと断定しかねる。専属従者の誘拐が連発する中、誘拐する隙がいくらでもあった自分を狙わずにいた。獣魔やレウリファの関係を知って穏便に解決しようと考えたか、専属従者の誘拐自体が無意味と判断されたか。
今になっても勧誘してくるため、アプリリスを弱める目的とは別だろう。
異常と言われた事は、絶対に注意しておきたい。
他人から異常に思われる。特に聖女が証人となるなら説得力も格別だ。
少なくとも、攻撃を受け止めた事で特別視される理由はない。
硬化魔法にしても優秀な探索者は類似の魔法を使えると聞いた。魔力量の問題も頭数で解決できるものでしかないだろう。
魔力に適性の無いという点も、使途の魔法を扱える事は稀少だが、自分に限った話でもないのだ。
そもそも、ロ―リオラスが求める物は何なのだろう。
男神派の疑惑といえば、戦争関係では、魔石を埋め込む禁忌の者や潜伏していた魔族の事がある。
いや、地下聖堂へ来る直前には、各地のダンジョン襲撃に関与していた風な話をアプリリスと聖騎士の部隊長が予想していた。
魔物やダンジョンとの関係が近い。
自分がダンジョンを操れる事を、既に知られているのではないか。
ダンジョンを操作できるということは、生み出される魔物を安全かつ安定的な資源として扱える事と同義だ。軍事力的な目的で貴族連中が取り込みにくるという見立てだけでは不正確であり、資源を欲するだけなら討伐組合も、それこそ一平民でもあり得る。
アプリリスによる保護は、ダンジョン襲撃騒動からの保護だけでなく、ダンジョンを操る事実を隠すための行為にもなっているのだ。
外聞が悪いために普段の話題に挙げられないだけ。暗黙のうちに了解した形で、これまで暮らしてきたのか。
憶測ばかりで、確信的な情報に手が届かない。
無理だ。それを聞いたばかりに、駆除されないとも限らない。
確かめるには身代わりがいる。
これは最悪な考えだ。死ねと言われて協力する者などいない。
操作権限を他人に与えられるために、自分の関与を示さず、別の誰かを仕立て上げる。
致命的だ。一度、存在を知られてしまえば、対処に具体性を与えてしまう。
既に、多くのダンジョンは討伐組合と探索者によって、危険ながら資源を得る場になっている。長く管理を続ける内に、人々は普通のダンジョンへの対処法を学んだのだ。いくら個人の意思で操作できるとしても、相手の想定内では奪われ、壊される。
自分にとって、残りわずかな優位を失うには、頼りない手段でしかない。
たった一言。ダンジョンを操る存在をほのめかせる事さえできない。そんな自分が安全に事を進められるはずもないのだ。
異常な点を知られた、聖女だけが特別見分けられるという楽観視はできない。
誰かが気付いた、その事実は警戒すべきだ。
忘れていただけなのだ。
光神教に来て、専属従者になって、表の立場を前面に出せていた。
今は触れるだけになっていたダンジョンコアについても、何も解決していない。
今は耐えるしかない。
せめて、目前の事を終わらせなければならない。
「フィアリス……、あれだけ炎が大きいと、自分たちの呼吸にも問題がでてこないか?」
狭い空間で炎を扱う危険は、探索者時代に学んでいる。
換気の悪い場所で火を扱うべきではない。地下聖堂が広いとしても扉は大きくないのだ。
「おそらく、大丈夫です。出入口は複数あって、通気口もありますから」
「そうか」
接近しないかぎり、熱にだけ注意すればいいらしい。
炎の中心に捕らわれたアプリリスも、障壁で守って生きているだろう。
「戦えるか?」
「難しいです。近接戦では足元にも及ばず、頼みの魔法も今は……」
「領域か」
「……はい」
地下聖堂全体がロ―リオラスの領域である間、魔法制御は困難になる。遠距離の魔法ほど魔力消費や制御が厳しくなるため、フィアリスの戦力を大きく削いでいたらしい。
「領域をどうにかできればいいんだな?」
領域を維持しているらしい魔道具は見つかっていない。
ダンジョンコアという魔力貯蔵において最上級の素材を大量に使った魔道具が、地下聖堂のどこかには確実に設置されている。
残念ながら、自由に探せる状況にはない。今は戦力外として捨て置かれているだけだが、戦況に関わる行動にはロ―リオラスも割り込んでくるだろう。
「最初の制御さえしてしまえば、発現さえできれば、後は問題ないはずです。ですが……」
「この領域も魔法なんだろ。壊せる」
「確かにそうですけど、対抗するだけの魔力量はありますか?」
「分からない。だが、魔力の枯渇に困ったのは学び始めの頃だけだ」
最初は一瞬だった硬化魔法も、日頃の訓練で常に維持できるようになった。他の魔法を扱う余裕まである。
少々足りないという状況なら、硬化魔法を解いて全力で放出すればいい。
失敗してしまった場合も、これまで通りに棒立ちで眺めればいいのだ。
自分の異常について考えるのに比べれば、単純すぎる作業だ。
「仮に壊せたとして、俺の魔力で満たされた状態だと領域みたいになるか?」
他人の魔力は、魔法制御の邪魔になる。
「いえ、単なる魔力と領域は別なので、一度押し返してもらえれば、……後は私が何とかします」
「……次に名前を呼ぶ時は開始だからな」
「頼みますよ。……アケハさん」
大声で合図するほど間抜けではない。
聖者の戦闘と燃え盛る炎。騒音の中でも小さい声が通じるように近づく。
こちらの魔力放出と同時にフィアリスが攻撃する、とはならない。
自分が用いるのは魔法破壊だ。
周囲を領域外にするとは、こちらの魔力で埋め尽くす事である。フィアリスの魔力だけ回避するなんて器用な区別はできない。
直後にロ―リオラスが攻めてくるようなら、フィアリスが動けるまで自分が盾になるしかない。
今考えられる最小限の危険だ。
もう会話は続かない。
最低限の危険と思いながら、決断しきれない自分がいる。
ロ―リオラスも一切の警戒を失ったわけではない。攻撃手段を得たと知れば、徹底的に潰されるかもしれない。
これまで殺されてこなかったのに、自分が決行する段階になって怯えてしまう。
死の危険くらい探索者の時期に経験した。硬化魔法が使えない時期でもダンジョンに潜っていたのだ。襲ってくる魔物は殺そうとしてくる者ばかりだったのに、今の方が怖いのか。
いつだろうと死ぬのは嫌だ。
このまま待っている方が自分の命は安全なのだろう。
だが、もう言い切った。
フィアリスに頼った。動くと言った。
これで動かなければ、次は無い。
部屋の明かりが落ちた。
炎が散り、一番の明かりが消えた。
障壁を失わなかったアプリリスが平然と構えている。
ロ―リオラスの注意も今はこちらから遠ざかる。
「……フィアリス」
「はい」
全身から魔力を打ち出す。
通った。
魔力放出への抵抗は急激に下がった。
確実に周囲の魔法を削っている。
領域を壊せる。
自分の攻撃が届く。
通用する。
通る。
満たす。
広がる。
光る。
光っている。
「な……」
辺りの暗がりが失せている。
床が、柱が、自分を中心として徐々に構造物が発光していく。
皆のように、光の粒子じゃない。
駄目だ。
明らかな異常だ。
ロ―リオラスの視線がこちらにある。
こちらの行動を予想して、仕込んでいたのか。
状況にそぐわない、淡い笑みがある。
照らされる内に表情は薄れ、体には予備動作が見えた。
「アケハ!」
フィアリスが叫ぶ。
交代だ。発光している範囲が領域外というなら、既に十分な範囲まで広げた。
すぐにロ―リオラスが来る。
光る床へ踏み入り、こちらに迫っている。
構える剣の先端が向けられている。
「無ッ――駄――!」
フィアリスが再び叫んだ瞬間、近くを残して周囲が闇に落ちた。




