224.減光
起床後、アプリリスと顔を合わせて食堂に向かい、食後には一旦分かれて身支度を整える。
主人と食事を共にする専属従者というのは特殊でもないらしい。
忙しい立場ほど従者を頼る。食事時まで業務に追われる人物なら、そばに立たせるだけなく同席させる場合もあるだろう。
作業を他人に任せるならば、伝達によって遅れも生じる。複数の従者を日常的に働かせるなら、どうあっても合間に暇が生まれてしまうのだ。余裕というべきでもない時間に、余った従者を遊ばせるのも主人の自由だ。
そうでなくても、食事を共にする相手は用意できる。
仕事と無関係に他人を養うだけの金を保有している、という単純な話である。
だとしても、自分とレウリファ、数少ない専属従者を遊ばせるアプリリスが特殊な事に変わりない。
専属従者としての働きを強く求められないのは、雇われた事情が関係しているのだろう。
混雑を避けて利用する洗面所では、食事中に聞こえなかった雨音が近い。
探索者の頃から貧乏は経験していないが、雨水を溜める生活も都市によっては当たり前にある。用水路や井戸の水を運ぶ習慣がない者でも、外出を避ける程度の意識はある。
雨では市場も人が減る。ここ聖都でもそれは同じはず。
小窓から見える薄暗い外は、慣れた室内の明るさが一般的でない事を意識させる。
自室に戻ると、レウリファは向かい合わせに抱きついてくる。
広く弱く。込め合う力を抑えて、お互いの背中へ腕を回す。レウリファの真似をするように手を動かす間に、時折、自分の都合も優先させる。
服の質を気にしながら身を寄せ合う感触は、寝巻の時より包み込まれる印象が強い。日中は仕事に専念する代わりに、二人きりになれる唯一の場所では接触を多くしているのだろう。
容易に触れられる関係が続いている事には、多く助けられている。
主人と奴隷という生死を握られる主従関係など、自分なら早々に断ち切りたい。
いくら相手が信頼できても、状況次第で変わるものでしかない。レウリファも不安定である事は察しており、光神教に来てからダンジョンの話題を避けているのだ。
以前は疑い一つで殺されかねない立場だったが、光神教の専属従者という別の要素も加わった。獣人だとしても軽率に殺される状況ではない。
自身の安全のために、ひそかに動く事も間違いではないはずだ。
こちらの立場は図りようがない事は確かだ。
探索者仲間が持つ武器なんかと違って、ダンジョンを操れる危険度は一般に知られたものではない。刃渡りも鋭さも、あるいは射程さえ、何もわからない。
人類すべてが敵になるのか、有益な存在として活用されるのか、あるいは事を荒立てさせたくない光神教が保護するだけかもしれない。
裏切られる事を達観するには情報が足りない代物だ。
どこまで信頼されているのか疑問に思ったところで、おそらく解決はしない。
自分とレウリファは違う。理解できない点もあるだろう。
現状では密告していたとしても隠せている状態だ。心境を測れずとも、その程度の用心は持っていて欲しいとは思う。
自分の事情を解決するために、利用する気は無い。
改善の見込みが無い中でも、一緒にいてくれる相手は貴重だ。
容易に増やせるものでなく、一つも逃したくない。
名前を呼び合ってから、体を離す。
視線を重ねた次には口づけをして、ようやく、身なりの確認を始める。
衣服の着脱にも慣れた。
身動き優先で装飾は少なく、防具なんかの細々とした固定も存在しない。最終確認のように、首周りに手を寄せる習慣だけが残っている。
レウリファに対しても同じだ。首輪は起床時に調べてある。指輪が通された革紐の下をなぞった後は、頬へ手をそえるだけである。
「先に行ってくる」
「はい」
扉の手前で一度だけ振り返って、部屋を出る。
談話室へと入った。
室内に誰もいない。
訓練施設で過ごすラナンとフィアリスがいないのは当然だが、アプリリスが来ていない事は少しの違和感がある。
待っている内に部屋に来たレウリファに、自分だけ私室の方へと向かう。
私室の扉を叩くと、こちらの違和感を打ち消すようにアプリリスの許可の声が届く。
「おはよ、アケハ。良い時に来たね」
「すみません。一度、談話室の方に向かうべきでした」
明るい室内では、アプリリスとその隣にリーフがいた。
「いや、無事なら構わない。……何か問題があったのか?」
こちらが近づく間に、リーフは隣のアプリリスを一度見る。
「ついさっき、保管庫が襲撃された。犯人はロ―リオラスだよ」
リーフが持ち込んだ話は物騒な内容だ。
いずれの保管庫にしても警備はある。人目が少ない朝方だとしても襲撃は困難だ。
警備を押し込める戦力となると、聖騎士も関与しているのだろうか。
「相手の戦力は、どのくらいなんだ?」
「正確には分からない。保管庫に現れたのはロ―リオラス一人らしいね」
聖女なら、警備の人員も圧倒できるのか。
「ああ、ごめん。……狙われたのは聖者関係の保管庫だよ。聖女も利用する場所だから、出入りは簡単。状況的にも入った後に暴れた形だろうね」
侵入までは苦労しないらしい。
「ついでに襲撃目的は分かってる。聖剣が盗まれた」
聖剣は聖者が扱う武器だ。強奪する時点で光神教への反逆だろう。
魔族が発見されていない状況でも、聖者への妨害行為はおそらく許されない。既に派閥対立と言える範囲ではない。
「……詳しすぎないか?」
「直接現場に向かった。まともな戦闘音なんて無かったし、ここまでは聞こえない。この話も倒れていた管理人から聞いたものだよ」
警報も鳴らされない。極端な破壊活動が行われていないため、内部で処理できると考えているようだ。
並みの戦力では対抗できないため、外に逃げられる状況も防げないか。
「もう、事態は動いている。向こうにいる聖者と聖女も集めた戦力で追跡している頃だよ」
「アプリリスはどうする?」
「彼女の拘束に向かいます」
「俺も向かうべきか? 魔力の後方支援ならできなくもない」
長期戦になるなら魔力の予備は必要だろう。聖者聖女が扱う魔道具に対抗するには、聖騎士も激しく消耗するはずだ。
「お願いできますか?」
「わかった」
アプリリスはこちらの提案を受け入れるらしい。
頼まれた以上、一定の働きはする。
主従関係を考えればアプリリスが命令すれば済む話だが、戦闘という緊迫した状況では無理に従わせて邪魔になるより、遠方で待機させるべきという考えかもしれない。
一応、毒でも使われない限り、自分は防具を付けた人間と同等だろう。
戦闘技術は劣るとしても、耐久性だけは悪くないはずだが、相手が聖女では無意味かもしれない。
「あっ、そうだ!」
話が止まると、リーフが声を出す。
「予備の戦力を集めておく?」
「……いえ、私だけで押さえます」
「そっか」
アプリリスと短い会話をして、終えるとすぐ視線を戻した。
「向かう先は、この都市の中枢。地下聖堂がいいとこだろうね」
「わかるものなのか」
「ここの都市核は特別。占拠できたら勝ちと言ってもいい」
深刻な話題にもかかわらず、リーフは笑顔で語る。
「この建物の警備を外すわけにはいきません。私たちは少数で向かい、本隊と合流する事にしましょう」
「先に武器を取りに行くべきじゃないか?」
「あの二人が機転を利かせて運んでいる事を期待するしかありません」
ラナンとフィアリスが武装せずに向かうとは思えない。
アプリリスの武装が不十分であっても支援は難しくない。魔道具を借りずとも魔法は扱える。本人の魔力量だけ対処する事になるかもしれないが、学園で見せたものはロ―リオラスには通用していた。
「アケハも頑張ってね」
リーフは行かないらしい。
「……私? 戦闘は無理だよ」
何も言わない内に答えが返ってくる。
「リーフ。貴方は保管庫へ向かって、武装の持ち出しを確認してきなさい」
「はーい」
伸びた返事をしたリーフも、部屋を出る頃には表情を変えた。
応接間にいたレウリファに警備の元に向かうように言って、自分はアプリリスと共に建物を渡った。




