223.ついぞら
「異常は見つかりませんでしたか……」
「ああ。自然死だと思う」
斜め前にいるアプリリスは、談話室では決まって端の席に着く。
角に集まる状態はレウリファも同じで、部屋の奥行きが普段より増して見える。
「このところ注意してはみたが、他人の形跡は見当たらなかった。警戒の様子もない獣魔たちを見ても、まず侵入されていない」
アメーバが死滅する前兆は数日前からあった。
一部を取り分けたり、餌を変えるなど、亡くなるまでの数日には個人で対処を試み、同時に建物付近も調べてみたが、少なくとも自分は他の要因を見つけられなかった。
この辺りは獣魔の飼い主にしかわからない事もある。
部外者を立ち入らせていない以上、報告は詳細にしておくべきだろう。
「死に際も、寿命の範囲も、以前見せてもらった資料に書かれていた通りだったから。他殺の可能性は考えられない」
「そうですか」
人の手で管理するのも半年が限度なのだ。研究資料に書かれていた延命設備も無い中では、長生きした方だろう。
野生環境の方が長生きできるとしても、教会の監視下では、ダンジョンに住まわせる事も難しい。ダンジョンを操作して生み出した魔物であるため、逃がすのも、飼育を他人に任せ切るのも不安があった。
本当ならダンジョンや魔物の住む場所などで育てればよかったのだが、ダンジョン産という特別な事情があり、自分の手の届く場所に残しておきたかった。
「必要であれば調査の専門も呼ぶ事はできますから、後からでも伝えてくださいね」
「その時は頼む。他の獣魔に影響が出るようなら、次は不審な点も見つかるかもしれない」
他人事なのに、アプリリスも律儀に聞いている。
聖女の立場としては、獣魔の存在は邪魔でしかない。遠出の際には余分な費用となり、専属従者として雇われた自分も万全に働いるわけではない。
光神教の獣魔に対する姿勢も、寛容を示すだけなら実例は不要だろう。
「なあ、アプリリス」
「どうかしましたか?」
「庭にいる時に知らない蝶を見た」
「蝶ですか……」
アプリリスの無表情は普段通りだ。控えめというなら同じ聖女であるフィアリスも含まれてしまうが、仕草と言葉まで平然を保っているのはアプリリスの個性だろう。
「ああ。ここらで見る蝶にしては大きくて、模様も個性的だったから気になってな」
教会だけではなく、都市やその周辺でも見ない。生物の形なんて同種でも個体差はあるものだが、誰が見ても個性的と感じそうな姿だった。
「魔物でしょうか」
「いや、分からない。詳しい観察はできていない。庭で見た時も直接の接触は避けた」
「賢明です」
魔物であっても魔法が外に影響しないかぎり、確信できるものではない。いくら詳しく調べたいとしても、体内の魔力にまで干渉しようとすれば外敵と思われかねない。
「差し出した手に乗るくらいだ。攻撃性は低いと思うが……」
あの時点で攻撃を受けていたとしても、革手袋を壊す威力は持たない事になる。表面に有毒があるとしても、革手袋で守ったり、水で洗い流す対策もある。
脅威は低いだろう。
「一応、庭師には連絡しておきましょうか」
「単に自分が知らないだけなら、手間を取らせる事になりそうでな」
都市中の生態を知っているわけでもない。庭の管理について、部外者が口出しするのは余計だろう。
光神教の各所にある庭園に偏在するというなら、無駄な報告になる。
「いえ、こういった報告は重要ですから。覚えている特徴を手紙に記して、確認が出来次第、連絡してもらう形にしましょう」
「わかった。清書の確認をお願いしたい」
「私で良ければ、いつでも見せてください」
判断の下手は、立場と権限に慣れていない証拠だろう。
探索者をする間は受付に任せるくらいで、大きな組織を実感する事も少なかった。
今回の場合でも、主人であるアプリリスに相談する事は適切だが、方法まで考えられていれば相手への負担は減らせていたはずだ。
以前いた専属従者は、アプリリスが書く書類の確認もしていた。
中身の専門性は確実で、レウリファですら未だに手が出せない。
自分の手紙も満足に書けない状態では、書類作業に関わるのは無謀だろう。負担を減らすのも先の話だ。
毎日の荷運びを確実にこなすしかない。
「手間を増やすようで済まない」
「頼りにされるのは悪くありませんよ」
「あとひとつ、お願いしていいか?」
「ええ、どうぞ」
「蝶については自分の手でも調べてみたい。資料室への入室許可を貰えないか?」
「構いませんよ。聖女専属は本人確認で済むはずですが……、一筆あれば確実でしょう。その際は持って向かってくださいね」
「助かる」
資料室の場所は知っているが、自分だけで入った事は無い。
司書に記録を取られるとしても、魔物関係の資料は見ておきたかった。
「……この際、重要記録の閲覧許可も取って、先日隣国で現れた魔族の資料も確認しておいてはいかがです?」
「魔族か」
「はい。関わった者の私見を整理した物もあれば、専門家の調査報告も一部送られてきています。アケハさんの聞き取り記録についても、正誤は確認しておいた方がいいでしょう」
「確かに、その方がいいな」
直接戦ったラナンや兵士たちの報告は見ておきたい。
これまで魔族の事は全く調べられておらず、機会は逃せない。
重要資料には、過去の聖者の戦闘記録も残されているだろう。
「今日は暇もありますから。一度休憩した後、アケハさんの用事を進めてしまいましょうか」
二人交代では時間調整も難しく、適度に休憩をくれアプリリスには助けられている。
翌月には専属従者も増やすと言っているが、この様子では以前の寄食状態に戻される事まで予想できてしまう。
同じ給料でも、働かずに過ごすのは落ち着けない。ラナンたちと顔を合わせる時に長椅子でお菓子で楽しむような生活になれば、惰性で次の仕事も考えなくなるだろう。
アプリリスも養い続けるとは限らず、常に不安を抱える事になる。
「そういえば、今日はロ―リオラスがいないな」
「訓練施設を訪れるわけでもないので、個人的な外出でしょうね」
朝夕の食事は同席する場合が多いため、中央教会がある聖都からは離れていないだろう。
出向く先が多いというのも、隔離するような建物にこもるよりは健康的かもしれない。
とはいえ、聖女の生活は、庶民の考えからすると酷く健康的ではある。
「顔合わせるだけでも、ましな方なのか……」
「学園に潜んでいた事といい、以前は全くでしたから」
ロ―リオラスがいない事は、朝の内に秘書課に伝えてある。
飽きるとはいわないが、気まぐれな変化がある生活は悪くないとも思えてくる。
「アプリリスは無断で街へ出たりしないのか?」
「その場合、アケハさんたちはどうします?」
「探すだろうな。……私室に押し入った後は、敷地内で聞き取りから始めるかもしれない」
「緊急であっても、置手紙くらいは用意しますから」
アプリリスが表情に微笑を作った。




