222.後景
光神教の派閥対立には終わりが見えない。
枢機卿の話によると男神派の始まりは数世代も昔の事であり、対立が聖女も巻き込んで本格化した事さえ数年前である。
自分が加わる以前から続く状態が、今日明日で解消されるとは思わない。
詳しく調べる事もせず、積極的に関与する事も無い。
表立って話題にする内容でもなく、通路の会話を聞き耳するだけでは知りえない。
異様な生活だ。
獣魔の世話や仕事の時を除けば、生活がひとつの建物内で完結してしまう。食料の買い出しさえ知らない内に済まされる生活など、探索者でいた頃には考えられなかっただろう。
他人に支えられた生活だ。
専属従者として、使用人の作業を確認するだけである。掃除も、食事も、実際には最初と最後の一言で達成してしまう。
これまでも生活すべてを自分で間に合わせてきたわけではない。食材で手に入るか、料理として食卓に運ばれてくるか。農家や商人から見れば、程度の差でしかないのは事実だが、目の届かない場所は増えた。自分の限界を強く知ってしまった。
派閥対立という危険にも、自らでは対処しない。
状況に流されるだけの生活にも慣れたのだ。
不穏な近況から外出を控えるよう言われたが、獣魔を持つ自分は徹底できないところがあり、外を歩く際に見回すくらいの警戒が限界なのである。
自分の真上には、数日続く晴れ空が見えている。
敷地全体に行き渡る庭園は、人通りも限られる。
建物脇から一歩引いた小道となると馬車も通れず、外が目的でもない限り利用しない。目的地である獣舎付近でないなら、日々の利用は自分か庭師くらいだ。
獣舎に入ると、特別に貸し与えられた部屋へ向かう。
建物と部屋と、簡単な逃走を許さない二重の扉があり、鍵と壁で仕切るため他人が無断で忍び込むのも難しい。
柵より狭い印象は避けられないが、厳重な分だけ預ける身としては信用できる。
一応、来客の利用を考えた建物であるらしい。部屋も道具置き場も利用される姿を見た事は無い。馬車を担う馬ならともかく、教会に魔物の類を持ち込む相手は少ないはずだ。
着替えと道具の準備を終えて、部屋に入る。
最初に寄ってきたのは三体の雨衣狼だ。
人間より大きな体を持つ魔物で、灰色の毛並みの中に、背に走る黒色が特徴だろう。本来の生態では群れで荒野を駆けまわるらしく、一般庶民が暮らせる広さでは満足しない。
「待てだ」
庭に連れ出すこの後を待ちきれないのか、自分のいる扉前まで接近してくる。その隙に速やかに閂を戻して、扉を固定する。
毎度の姿だ。
順にそれぞれの名前を呼び、顔回りを撫でて、ひとまず早まる気を抑えてもらう。病気や怪我の有無を調べるにも、求められずとも結局同じ事を行う。
見慣れた顔で警戒も不要。常にいるわけでもない相手とくれば、飽きも少ない。歩く周囲をうろつかれたり、作業をする腕を押される事も、しばしばあるのだ。
以前ほど過剰には反応しない。彼らもこちらの邪魔する気までは無いのだから。
止まり木にいる二体の夜気鳥を見つけてから、最後に部屋の隅にある人頭大の小樽を上から覗き見る。
樽の底にいるアメーバに、以前のような体積は無い。
薄く伸びれば人間の数人は飲み込めそうだった大きさも、今では差し込んだ手のひとつも埋まらない。半透明で粘質だった体も、白い粉末が積もった塊でしかない。
表面の手形は前回調べた時から動きが無かった事を示している。持ち上げても手袋の隙間に崩れていく姿しかなく、唯一残っていた塊も一昨日で見失っていた。
食材の廃棄を分けてもらう理由も無くなったらしい。
部屋の掃除を済ませた後は、連れ出した屋外で獣魔の運動不足を解消させる。
中央教会の広い敷地で一般に公開されない庭には、景色を楽しむ以外の目的もある。自分が普段から利用しているのは馬の訓練場だ。
薄れた芝の広がる庭で雨衣狼が揃って走り、夜気鳥は庭を外れない範囲で空を飛ぶ。障害物となるような木々から離れているため外ほど満足できないはずだが、それぞれ工夫して楽しんでいるだろう。
魔物でありながら人間と共存できる存在。特に身動きの取れない自分にとって、限られた戦力だ。彼らのおかげで少しの安心が得られる。
同時にダンジョンの事を忘れられない一因でもある。
ダンジョンは魔物を生み出す。
魔物は基本的に人間の敵だ。開拓を妨げており、人が防壁の中で暮らす原因になっている。そんな生物を自由に生み出して、従わせる事が可能というなら、人類の脅威に他ならない。
ダンジョンは脅威だ。
核となる部分さえ無事なら、修復もされる。核を切り離して持ち運ぶ事ができるため、作り出す場所も選ばない。
自分はダンジョンを操れる。
核であるダンジョンコアを所有しており、表向きの言い訳さえ考えつくなら、獣魔もいくらでも補充できる。
普通の人間からすれば脅威の対象となるはずだ。
他人に知られないという前提がなければ、利用もできない。
光神教の中にいる今は、ダンジョンを操る利点も、発覚して敵対した場合の逃走手段でしかない。利点を欠点で打ち消すどころか、元々持っていないほうが良かった。
今が耐え時なら悩む必要など無いのだろう。
信頼を集めて、人や資料から事の確信を得るべきなのだ。魔物や魔族に詳しい光神教なら、ダンジョンを操れる存在が過去にどう扱われてきたかを探れる期待もあった。
半年は、光神教で暮らしていた。
力を見せるまで判別がつかないというなら、どこでも暮らせるのだろう。
今ではお金も溜まり、次の職を得るまでの生活資金もある。
いずれ知られる事さえ諦めて暮らせるなら、辞める必要も無いかもしれない。
対立派閥に襲われる確信もまた無い。忘れて、諦められるなら、殺される時まで安心して生きていけるだろう。
ダンジョンコアも資産的価値を持つ。壊して魔道具の素材として売ってもいいのだ。
獣魔である彼らは、現状に満足できるだろうか。
獣舎と庭で、傷つけられない生活を送る。
自分がダンジョンを操るという事は、自身のために彼ら魔物を犠牲にするという事だ。
当然だ。自分を捨てられない。
彼らを戦わせる事で危険から遠ざかるなら、嫌だろうと彼らを使うだろう。
誰かのための犠牲になるのなど嫌だ。
これまでダンジョンを扱い、生み出した魔物を食料として扱ってきたからこそ、同じ立場になりたくないと思った。
身勝手だが、使い捨てられる側にはなりたくない。
追いつめられたくない。
人の社会から排除されるというなら、対抗できるだけの戦力を持つしかない。
光神教の派閥対抗にも劣らない規模を個人で作り出す。
人間関係なんて複雑なものはなく、単純な戦力の張り合いだ。
魔族より無謀だろう。
他人がいるわけでもない場所で、ため息の音も立てられない。
獣魔たちと共に老いて死んでいけるなら、力なんて不要だ。
今の生活を支える誰かが負担しているとしても、勝手に解決すればいい。
だが、誰も未来を保証してはくれない。
離れて動く獣魔たちを眺めていると、視界の隅に蝶が入り込む。
手のひら程の大きさで。静かに羽ばたいている。このあたりで見かけない模様の羽だ。
地面におりる習性でもなければ、近くで止まり木になるのは自分の体くらいだ。近づいてくるのも当然かもしれない。警戒しているのは相手も同様なのか、距離を残して近くをうろつく。
どうしても休む場所を得たいのか、近くを飛び回ってくるため、皮手袋をした腕を差し出す。
雨衣狼に噛みつかせる事もあるため、肌に傷をつけるのも簡単ではない。相手が魔物だとしても、普段から保っている硬化魔法でいくらかは防げるだろう。
差し出した手の先に大きな蝶が止まる。
「お前は従ってくれるのか?」
姿勢をこちらに向けて羽を動かしたが、言葉に反応した様子ではない。
後羽の垂れた部分が特徴的だが、見覚えはない。
名も知らない蝶の様子をしらばく見つめていると、雨衣狼の一匹が寄ってくる。
走るのに飽きたか、構ってもらう方を優先したのか。
「ヴァイス、ここで休むか」
触れると喜んで受け入れるため、嫌われてはいないだろう。
身を伏せたヴァイスの隣に腰を下ろして、他の獣魔の遊ぶ姿を眺めた。




