221.干渉
「俺には、貴族の真似なんて無理だな」
入り込んだところで、隠し事が発覚した際に保護が続くとも限らない。
「聖女として戦う私の応援だけでも、夫としての役割は十分でしょ。本気でやりたいなら教師を呼ぶのもありだと思うよ」
ロ―リオラスは言うが、貴族の学びは長い。
後半分あるかという人生では、学ぶだけで終わる可能性もある。
「私も応援するから……、一緒に頑張ろう。ね?」
貴族との婚約を計画されていた時点で、聖女は聖者と対というわけでもない。
懸念すべきは聖女の婚約相手となるのが通常貴族であるらしい事だが、規則や規定なんかは、部外者では知りようがない。
「派閥対立なんて心配も考えなくていい。アプリリスの専属従者でいて私の夫。これなら両派閥も手出しは困難でしょ?」
ロ―リオラスは最後に、間者みたいだね、と小さく言葉を足す。
実現するなら同感だ。
「この建物には住めなくなるけど、教会通いはできるから……。あ、でも、専属従者ならありなのかな」
肩を押すこちらの手を解かないまま、ロ―リオラスは話を続ける。
「……そこのところ、どうなの? アプリリス」
「何を企んでいるのかわかりませんが、許しませんよ」
ロ―リオラスの視線の先を追うと、いつもの表情があった。
アプリリスは以前からロ―リオラスを警戒していた。ここ中央教会に戻ってから、施設の移動を控えている事も関係しているだろう。
ロ―リオラスの提案に裏が無い保証もない。結婚の口約束で呼び出して殺すなんて憶測も、専属従者が失踪する状況から軽視できないのだ。
「目の届く範囲ならともかく、外で自由にさせるつもりはありませんよ」
「……誘うくらい良いだろ。一体、お前はアケハの何なんだ?」
アプリリスの言葉に、ロ―リオラスの口調と表情が一気に物騒になる。
疑問に自分が答えるなら、雇い主であり、初対面で性行為を強要してきた相手だ。
聖女の対立は派閥抗争に影響しかねない警戒すべき事項だが、強姦の証言くらいでは追い落とせないだろう。
アプリリスも、婚約の件も時期を過ぎて、こちらを囲い続ける理由は少ない。負い目すら雇用の給料として払い終えたとも言える。
アプリリスの保護から外れるというなら、派閥抗争の危険を避けるための結婚は有効だろう。
「……目に余るようなら、内部監視が動くかもしれませんよ」
聞いた途端、ロ―リオラスは顔を戻して自身の肩に触れる手を解く。
「動かすの間違いじゃない?」
こちらから外された姿勢は、完全にアプリリスの方へと向けられる。
「全面的な衝突は誰も望んでいません」
「そこまで分かっているなら、どうして手を下さない?」
「規則です」
「巻き込まれる側からすれば、随分な仕打ちじゃない」
派閥対立の状況は、自分が予想する以上に危機的なのかもしれない。
仮に聖騎士を含めた警備戦力が加わらなかったとしても、貴族が関わるなら私兵は用いられる。戦争のように期間や規則が無いなら、互いの戦力すら定まらないだろう。
工作活動の範囲に市内を含むため、関係者の安全確保も困難になる。
国という単位でみれば、仲間割れなのだから普段より危機的なのも当然だ。外部に敵がいないならともかく、明確に敵とされる存在もいる。
戦力が無駄に消費されるとしても、許容できない不和なら回避は諦めるしかない。
「……聖女の地位が剥奪されれば、影響は実家まで届きますよ」
「抑止でしかない脅しに臆するとでも?」
膝の上で手の握りを試すロ―リオラスが、静かな呼吸を見せた。
「それなら、貴方の保証は誰が負うのかしら。教会自体というなら、随分気楽ではない?」
「それこそ、厳正に処分されるでしょう。繋がりのない個人ほど処分が楽なものはありません」
「本当に?」
「疑ってどうするのです?」
「疑わない。起こらない事の真偽は確かめようがない」
それぞれ声を張り上げているわけでもない。
他の音を押し潰したように、会話の声が近い。
「あんたさ……、アケハの幸せ、考えた事あんの?」
「そんなに束縛して、老いるまで独身でいさせるつもり? それともあんたが結婚するの? ……へえ、気に入った相手を連れてきても、祝辞を断るわけだ。酷いねー。期待させて、貢がせて。死んだところで新しい相手を作るだけなんでしょ」
「すごいね聖女様は。いい歳して、いつまでもその若さが続くとでも思ってんの。ああ。なったで次は、権威で優越感を感じられるか。いやー。お年寄りだけに好かれると、可愛がられるばかりだもんね。そりゃ、勘違いしちゃうよ」
「私が気に入らないなら、適当な相手でも見繕えばいいんじゃない? お人形遊びの感覚から抜けられない。わかるよ、楽しいもんね」
「あんたみたいな奴が、そんな感覚でいられると困るんだよ。どうせ、楯突く方が異常としか考えないだろ。場当たり的に盲信していられるほど、こっちも死んでないんだよ」
「どうなんだ? 答えてみろよ」
言葉も動きもロ―リオラスだけ。
相手であるはずのアプリリスに一切の口答えを許さない。勢いままの会話だ。
「……一生そばにいて欲しいけど逆らったら殺す、だろ? 敵味方も無えな」
「味方だからといって特別扱いはしませんよ」
「意味がちげぇ。外面取り繕えって言ってんだよ。お前がいて喜ぶのは、無能か、悪用する奴くらいだろ。本心で言ってんなら、信頼できねえぞ」
アプリリスも表情こそ変化は見えないが、内心のところは分からない。
少なくとも聞いて喜べる会話ではないのだ。責められていない自分の居心地が悪い。
「誰にも責められないからって、好き勝手できると思うなよ。……アンタ屑だよ。私以上に」
机を挟んで行われる口論を、他人事のように眺める事しかできていない。
今は口喧嘩で済んでいるが、武力衝突に移る可能性はある。学園で起きた事が原因違いで、再び起こらないとは限らない。
仕事の立場として巻き添えを食らう身だが、穏便に済ませる止め際さえ分からない。間に入るにしても実際に武力を用いられると盾にもなれない。
目の前で衝突するのは避けて欲しいと思うくらいだ。
結婚の話題が起因というなら、明確な理想を持たなかった自分が悪い。
ロ―リオラスの提案を拒否すれば回避できたかもしれないが、残念だが、結婚という話題にそこまでの価値を感じていない。
二人の不仲から予想される問題を対処するなど、無理な話だ。会話に干渉できるのが自分だけだとしても、期待してもらいたくはない。
会話の続きが現れず、部屋は一層物静かになる。
急な変化は警戒すべきだが、二人から暴れる気配を感じられない。
「あー、もういいよ」
ロ―リオラスは前傾した姿勢を直して、飲み物を手に取る。
「ロジェ、ほら」
ロ―リオラスのそばに近づき、机に手を伸ばす。
手拭いに触れた後で、摘まんだ菓子を持ち上げる。
「アケハは私が結婚したいって言ったら嬉しく思ってくれる?」
お菓子を前にして、ロ―リオラスが聞いてきた。
「これだけ多弁だと、いなくなった時が寂しくなりそうだな」
「え゛……。アケハには、あんな態度で接しないよ。志向もないんだよね? もしかして、同居生活になっても最初は怯えて距離を取られたりするのかな……」
話す中で、笑いつつも眉を器用に動かし、次々表情を見せる。
「……でも、先に死なせてくれるんだね」
言い終えて、差し出された菓子を口に入れる。
ロ―リオラスはこちらの手を取り、自身の唇が触れた指先を手拭いで拭く。動いた両手は次に飲み物を取った。
「必要なのかもしれないが、あまり、言い争いはしてほしくはないぞ」
「うん。ごめん。今は私が出た方がいいね」
「夕食は一緒だからな」
空の器を机に置いて席を立つロ―リオラスは、顔も向けずに部屋を去った。
「アプリリス。大丈夫か?」
呼びかけてようやく動きを見せたアプリリスだが、普段なら話の後には書類作業に戻っていたはずだ。先ほどの会話で、動揺はあるのかもしれない。
「ごめんなさい。今の私には背負いきれません」
「どういう意味だ……」
アプリリスが発した言葉の意図を答えない。目も合わせない。
ロ―リオラスにも、アプリリスにも、素直に扱われる気は無い。嫌なら逃げるし、逃げられずに処分される弱者にもなるだろう。袋小路に誘いこまれるとしても、その瞬間まで気付けない自分の限界を知るだけだ。
人間一人の人生を軽々と操れる聖女の立場で、何を迷うのだろう。
こちらを普通の人間と捉えていないなら素直に言えばいい。ダンジョンを操る事が知られているなら、相応の対処をしてしかるべきだ。
半端な言葉では何も確信できない。
「俺がいると危険なのか?」
「いいえ、私が半端なだけです」
保身的な質問で得られたのは、あいまいな答えだけだった。




