215.情熱
聖女が読み終えた書類の内、個人が保管する物を除いた、残りは教会の方に戻す。
秘書課と聖女までの往復で手すきになる事は少なく、届ける物が無い場合でも両者への報告は欠かせない。
扱う情報が重要なら、途中の紛失を防ぐ工夫も必要になる。書類の行方は細かく記録されており、処分の印が押された書類を秘書課に戻す事までが仕事に含まれるのだ。
行きより軽くなった書類荷物を運ぼうとして、ローリオラスまで付いてくる、派閥抗争で誘拐の疑いもあるというのに、アプリリスが行動を許したのは意外だった。
「ねえ、アケハ?」
隣にいるローリオラスが大きな身振りで上半身を向ける。横に並んでも通行の邪魔にならない、廊下の広さを存分に活用している。
「隣の国では、魔族と遭遇したんだよね」
「ああ」
「どんな感じだった?」
足を止めると、ローリオラスが斜め前で止まる。
交渉団が経験した事をまとめた資料は、教会全体で共有されている。今答えるのは個人的な話で構わないだろう。
「自分では敵わないと思ったよ」
現地軍と協力して戦った、ラナンのような真似はできない。
「見上げる大きさ。建物を押し倒せる力とそれを支える耐久性。建物のような、ひたすら存在する物で、対処する対象とは捉えられなかった」
人型で活動する姿も見ていたが、出会い方がどうあれ、対峙すれば同じ考えを抱く。
「街の建物だって、職人でもなければ組み立てる経験なんてしない。自力で壊すなんて発想は浮かんでこないだろ。たとえ、攻撃がどれほど当たろうと魔族の足を止められた気がしない。少なくとも、街を一撃で壊す相手を対処する術は無いよ」
物を投げたり長物で叩くくらいが精々、有効な傷も与えられず、一方的に疲弊するしかない。ただ、都市が壊れていく光景を見過ごすだけだっただろう。
「そう」
話す途中で、ローリオラスの笑みは消えている。
「諦めるような口調が、他人任せで失礼なのは分かっている。それでも、聖者や兵士のようには戦えない。諦めて逃げるしかないんだ」
教会に属していながら、魔族への対抗を諦めた発言をする。
こちらの発言を聞いても、ローリオラスの表情から非難は見えない。
「別に聖女も変わらないよ。本当に変なのは聖者だけだから。……まあ、異質と思わなければ自負を保っていられない、勝手な思い込みだろうけどね」
聖者の力が桁違いという感想に思い当たる点はある。大勢が死ぬ戦場で生きて帰ってくる事も困難なはずだが、その後の魔族との戦闘まで力を残していた事にも驚いた。
戦場にて怪我を負わず、大して聖剣の魔力も消費しない。力のみで考えれば、人の戦争は聖者の敵たりえないらしい。
「アケハは歴代の聖者たちの事を知ってる?」
「物語で知ったくらいだな」
人類の脅威となる魔物や魔族を退治する者。圏外に出向いて、敵の統率者を倒してきたおかげで、これまで人間の社会が存続できている。
「一太刀だよ」
眉と視線を下げたローリオラスが言う。
「人々が魔物に対抗できるように女神が洗礼と魔法を与えた? いいや、違う。今でも人は道具を手放せない。武器を、罠を、頭数を、いくら環境を整えて人が魔物を撃退するのか。魔物の対処を担う探索者だって、万全に道具を揃えて、それでも死ぬ。強力な魔物が思うまま生きる圏外なら、なおさらだよ」
圏外の話題は貴重だ。一般に資料は公開されず、立ち入りも制限される。
聖者と共に出向く聖女なら情報を入手できる立場にあるだろう。
首が振られた後に、目が合う。
「一体誰が、取り囲む魔物に素手で打ち勝つなんて思う? 家族や隣人を殺してきた恐怖の対象が、ただ腕のひと振りで肉塊となって散らばる。……剣を持てば、風を切り、大地を割く。聖者の前に立てるのが、わずかな魔物だけだと知ってしまえば、隣に立つはずの聖女らが心酔してしまう事さえ納得するしかない」
ローリオラスが過去にいた聖女の思想を把握している。
歴代の聖女が存命中に書いたか、専属従者のような立場から見た物なのか。教会に保管されている資料に、聖女の日記でもあるようだ。
眉や目が感情豊かに動く。
「人々が受け継いできた知識と経験が成し得たなんて、それこその人々への侮辱だよ。聖者は生きている世界が違う。……物語や演劇の真似事をする余裕があるなら、ふざけるなと言いたいね。自分の生死が面白半分で扱われている気持ちになる」
教会内とはいえ冗談でも危険な発言だ。
詳しく知る聖女でさえ過剰に強調する。誰が見ても同じ印象を抱くなら疑いようがない。
「古い記録だから誇張された部分もあるかもしれない。でも、聖者が人間を支えてきたのは間違いない。……誰も聖者の真似なんかできない。きっと、これからもね」
ダンジョンで生活を続けていたら、最終的にそんな相手と衝突していた可能性があった。
その危険は今も残っている。ダンジョンから魔物を生み出し操れるなんて能力を知られれば、逃げ延びるなんて期待しない方がいいだろう。
「聖者は特別なんだろうな」
「そうだよ。だから、教会が支えるべき存在なの」
言い終えたローリオラスが背を見せる。
進みだした後を追う。
「そんな聖者でしか倒せない魔族って何なんだ?」
人の姿を取り、言葉を操る。
見抜くのが難しいという問題はあるが、力があるなら人に化けて隠れる必要も無いだろう。
聖者が対処できない範囲で一斉に襲えば、国など簡単に落とせる。潜む事で被害を抑えたいのかもしれないが、殺されていれば無意味だ。
「一概に魔族と言っても、聖者無しに倒された例はあるの」
聖者でしか倒せない、というのは言い過ぎか。
人の姿のまま殺された魔族の噂もあった。
「好戦的な場合に手に負えないだけ。魔族にも個体差がある。人を殺さない魔族もいたみたいだしね」
魔族もそれぞれに目的があり行動している。人の社会も同じだ。
「向こうで出会った魔族は、綺麗だった?」
「どうだろうな」
振り向いて止まった距離は、先ほどより近い。
「まだ若く見えたから、成長すれば多く好まれる容姿になっていたんじゃないか」
頭を撫でるのも楽な、洗礼を受けてすらいない子供の姿だった。
「惜しいね。飼い殺しにできれば、大人の姿を愛でられたかもしれないのに」
成長するなんて例えが悪かったのか、ローリオラスの言動が酷い。
「そもそも、魔族の化けた姿に成長なんてあるのか?」
「さあね。姿を変えるくらいだから、微調整なんて簡単そうじゃない?」
「生きている人の姿を真似れば、潜り込み放題だろうな」
「そんな事例は聞かないけどね。平民だと出生記録もずさんだから、その推測も実際正しいものかもしれない」
貴族だと血統が重視されて親子の記録も確かだ。従業員ならともかく、入れ替わって権力を扱うのは難しいだろう
とはいえ、縁故で入り込んだサブレの事を知れば、それも安心できない。
「ねえ。アケハ」
ローリオラスは渾身の笑みを作り、見せてきた。
「私と、どちらが可愛い?」
「魔族と比べられて嬉しくないだろ」
「いいから、ほら。答えて」
寄ってくる姿は、どこも整えられている。
同じく化粧をしているだろう手では、見える印が聖女だと強く示していた。
「……ロジェでいいよ」
「本当? 雑に答えてない?」
「本当だ」
今は少しでも、あの顔を忘れたい。
魔族撃退なんて話を聞いても、後悔しか浮かばない。
魔族として姿を見せるまで、クイナは一人の少女だった。通訳として働き、家を得て、休みには孤児らと遊んで学ぶ。そんなクイナとカナリア、二人の生活を壊してしまった。
都市への攻撃が避けられず、いずれ誰かが同じ目に遭ったとしても、自分は関わりたくなかった。
あれが敵というなら、人の姿を真似る行動は、ずいぶんと効果的な手段だ。元が魔物だったとしても、子供の姿でいる相手を斬り殺すには迷いが出る。
汚く怪しい身なりであれば別だった、と思える事が非情だ。人間と魔族の違いなんて普通の生活では考えない。
「私も捨てたもんじゃないね」
「ロジェに、そんな卑下する言葉は似合わないな」
「なら、もう少し頑張ろうかな」
ローリオラスの頑張る方向が、危険でない確信は持てない。
教会の派閥争いも、目的が分からない。
神の性別を決定するだけなら、資料を持ちあって討論すればいい。発言者を消すようでは正否も無いだろう。
素人が考えるほど単純に決まる話でないだろうが、分からないものだ。
「そうだ!」
ローリオラスがさらに近づく。
「一人が不安なら、私の剣を貸してあげてもいいよ」
隣から顔を寄せて、耳元でささやいてきた。
一歩引くと、体を捕える手が軽く触れただけと気付く。
「まだ、返してなかったのか……」
内容が内容なので、他人に聞こえない声量に抑える。
「返却が面倒だからとは言わないよな」
「もう。それは違う」
不満を言われるが、無断持ち出しをしているのは事実だろう。
隣国から戻ってきた後は、ラナンでさえ聖剣を預けている。魔道具であるなら整備も必要で、管理する人員も教会にいるのだ。
「本来、借りる理由なんていらない。いざという時に戦えない聖女なんて邪魔でしょ。少しでも聖者の足手まといにならないよう、油断はしていられないから」
学園にいた時は知らぬ間に剣を持っていた。
今、剣を出して見せてくる事も十分あり得る。状況によっては斬り付ける事まで行うわけだ。
「いや、いい」
「そう?」
剣を預かればローリオラスの戦力を下げられるとしも、それが正しいとは思えない。持つべきなのは聖女だ。聖女としての自覚がある内は奪うべきではないだろう。
派閥云々で決める事ではない。
「返却したい時は、道案内くらいはするからな」
「頻繁に出向く場所でもないし、慣れていないのはアケハの方でしょ」
ローリオラスの指摘は正しい。半年程度では、聖女が過ごした数年を越えられない。
出歩く場所が少ない自分が知るのは、ごく狭い範囲だ。専属従者として働く事も最近になってからのため、獣舎付近の利用がいいところだ。
ローリオラスは呼吸をはさんで、間を置く。
「分かった。手放さないでおく。……その時があれば、まあ、話相手にはなってよね」
「ああ」
話が終わり、移動を再開する。
暇つぶしのように隣を歩くローリオラスも、渡り廊下の目前になると別れた。




