214.無関心
廊下を進み、隣の建物に渡る。
教会施設を広く繋げた通路は、汚れの目立たない薄灰色の壁に包まれている。
均質な一色の中にも、奥まで見通せない頻度で曲がり道がある。端に飾られた家具もあって、距離感は崩れない。時々覗ける中庭が、見下ろす側でも屋内には足りない色を補っている。
往復するだけの時間を飽きさせない工夫だろう。
日に替わる花瓶も場所毎に個性があり、主人に用を頼まれる従者が雨に悩まされる事も無い。
書類や手紙を運ぶ間、歩調は次第に整えられる。
木の根のように張り巡らされた廊下を人が行き交う。中心となる幹の建物では箱に詰めたような混雑もあるだろう。都市の大通りとはいかずとも、前方を見て迂回する時はある。
聖女が過ごす建物は端の部分にあたり、利用者は限られる。
人の気配も、毎朝の清掃時間を過ぎてしまえば、足音が重なる事さえ稀だ。
アプリリスの専属従者が補充されないおかげで、自分が出歩く機会も増えた。
一時ではなく、一日の活動を眺められる。
他の部屋は覗かないが、出入りする場所に関しては慣れた気がする。
談話室の扉を叩いて、返事を待って中に立ち入った。
聖者や聖女が利用する一室は外より暖かく、紅茶と茶菓子の香りで建物の無機質な印象が薄まる。
「手紙をいくつか預かりました」
「早速、見せてもらえる?」
部屋にいるのは、聖女であるアプリリスとロ―リオラス、従者であるレウリファの計3人だ。
ラナンとフィアリスとは時間が揃わなくなった。
戦争に続けて魔族の出現と、隣国での経験に思うところがあったのだろう。本国に帰還してからは訓練に費やしているため、昼の食事も別で行っている。
アプリリスの隣に向かい、正面にある机に手持ちの一部を置く。
「言伝は預かっていませんか?」
「いえ、何もありませんでした」
小さな返事をしたアプリリスは、書類に手を付ける。
専属従者が失踪した影響は大きい。自分を含めて四人いた者が半分に、特に忙しく働いていた二人が消えた。
一番に許されたのは、他部署に頼む範囲を広げる事だ。素人が全てを補うのは難しく、中継ぎとして仕事終わりの確認を取るだけでも慣れない。行事の予定を組むなど到底手に負えない。
アプリリスの生活が、これまでの快適を失ったのは確実だろう。
邪魔しないように一歩下がった後は、対面に座るローリオラスの方へ向かう。
「ロジェの分だ」
「毎日、ごめんね」
渡した書類は、二つに分けて積むくらいに量がある。アプリリスが毎日確認する姿を見れば、無断外出の代償は知れるものだ。
秘書課の方から頼まれなければ、長期間に溜まった書類を運ぶ事もなかった。手紙の表に緊急の印が付いたものでも、数か月前の日付が含まれる。本人の確認が要る書類が長期間放置されるというのは、保管する方の焦りもわかる。
日を分けて渡されるくらいに周囲も苦労しており、運べるものなら箱詰めして台車ごと手渡したいものだろう。
「重要な物は直接確認していたから、あまり気にしないで」
「俺はアプリリスの従者であってだな……。そちらの専属に任せてくれてもいいんじゃないか?」
「今は知らない人だし、嫌われているみたいだから呼び出すのも恐くて」
「自業自得だろ」
ローリオラスの専属従者もいるはずだが、直接会った事が無い。
「アケハが私の専属になってくれない?」
「無理強いは、許しませんよ」
対面から声が届く。
「給料も出すから。お願い」
「いや、なる気は無いぞ」
「翌月の異動時期まで待って、新しい人材を補充しなさい」
アプリリスの言う時期的な問題ではなく、忙しい今、面倒を増やそうと思わない。
たとえローリオラスが専属従者の不足に困っているにしても、少なくとも一年未満の相手は選ぶべきではないだろう。
「二人の聖女に仕える、なんて事はありなのか?」
「ええ。予算の都合や聖女の仲にもよりますが、そういう事例も過去にはありましたよ」
話に割り込んだアプリリスにたずねたところ、筆記の手を止めて答えてくれる。
「連絡を密にするでもない。予定を合わせるわけでもなければ不要でしょう」
「そーだけど。都合を聞くなら、顔見知りの方が気楽じゃん」
「私的な内容なら、手紙にしなさい」
「……なんだろうね。堅物なのに」
ローリオラスは、横で飲み物を注ぎ直したレウリファに向けて礼を言った。
「そんなにアケハが好み?」
「ええ」
肯定の後には、かすめる視線を受け取った。
アプリリスの好意は疑わしい。
端的に表した場合なのだが、物事を強引に進めたり偽っていたのは事実だ。同時に、求めれば一応の答えが返ってくるため落ち着けない。
誠実というの表現も間違いではない。
権力や規則なんかの複雑そうな環境にいるため、共感できない性格をしているだけとも思える。自分の理解が足りないのか、向こうの説明不足なのか。言葉足らずという点は自分も責められない。知らない事の方が多いのだ。
とにかく、自分が与えたというより、アプリリス自身が感じた一方的な類だと思う。詳しく聞いて理解できる内容が返ってくる気がしない。
あるいは、話題を終わらせるための毒で、意味を探すのは無駄かもしれない。
「でも、私も好きだよ」
対抗するように、ローリオラスが笑顔を向けてくる。
「好みが、配属に関係あるのか?」
「拒否権もあるからね。あとはアケハの気持ち次第というなら、どれだけ言い続けられるかの勝負だよね」
言われたところで時間の無駄だ。
アプリリスの都合で専属従者に加えられたが、自分の目的もあった。
自分の身の上について調べる機会を得られた。洗礼を有無や魔族の存在を知る事はできたのだ。多少、常識外れな行動があったとしても、助けられた事は多い。
ローリオラスの元が安全とは限らず、現状の安定が残る内に逃げるのも惜しい。
一応、配属を移してアプリリスの不信を買う可能性を残したくない。こちらの好みで構わないような口ぶりだが本心は知れたものではない。
疑われる機会は減らしておく方が安全だろう。
「以前の勢いは、どうしたんだ?」
「焦っている子は好みじゃないみたいだから、今度はじっくりと誘ってみようかななんて、どう?」
「飽きてくれると、ひとつ安心できるんだがな……」
アプリリスもローリオラスも、誘拐みじた行動は同じだ。男神派が対立派閥の人間を行方不明にしているという噂を聞くため、特にローリオラスへ警戒するだけ。
その程度の判断材料しかない。
「気持ちをごまかす気は無いよ。言葉にしようとするほど陳腐になるから、これは直観。私は貴方が欲しい」
「断っておいて嫌われないのは嬉しいが、集中しないでいいからな。……先に書類を処理してくれると、仕事は助かる」
「わかった。少しずつだけど、お願いします」
「ああ。少しずつ、増やしていくからな」
書類を保管する側の要望を伝えておく。
「一緒にいられるなら、それでも良いよ」
ローリオラスは筆記具の位置を整えると、慣れた手つきで書類を開けた。
アプリリス付き従者の残り一人、失踪をまぬがれたリーフはこの場にいない。
日に一度見つかるかどうかだが、元々怠け気味とは聞いていた。学園へ通っていた頃に毎日顔を合わせていた事の方が異常なのだろう。
アプリリスから頼まれない限り、仕事で呼び出す事も考えていない。
探索者でいた時期より、従者を長く続けている。
教会で働いて寿命まで生きられるとは限らない。途中で辞めて新しい生活を探すのかもしれない。それでも、いずれ死ぬ。
これまで安全に暮らしたいとは考えた。生き続ける方法を考えていた。
死に方を考えたのはいつだったか。
一人用の椅子に座ると、膝に置いた手を動かした。




