209.人道
被害範囲の手前に一団の拠点が設けられた。
広場の中央にある数少ない天幕を除いて、大抵の者が屋外で待機する。点々と照明が組み立てられ、それぞれが足元の者を照らす。
自分と隣のアプリリスは戦闘地点へ目を向けて、夜の都市に鳴り響く音を聞く。街並みに視界をさえぎられて、戦闘を見る事は無い。
「あの姿になる前は、ただの少女にしか見えなかった」
「……魔族なのでしょうね」
都市の兵士が戦っている巨大な相手は、元は年若い通訳の少女だった。
人間大の姿が建物を超す巨体に形を変えるなど、自分には真似できない。
「魔族って人類の敵なんだよな」
アプリリスが短く肯定した。
自分たちが守る治療所は、一時的に怪我人を受け入れる場所だ。火災や倒壊の怪我は特に多く、運ばれてくる姿は皆、酷く服を汚している。
緊急の処置を済ませれば、避難に遅れた住民と共に、離れた避難所の方へと送られる。
相手の攻撃範囲は広く、進路によっては場所を移す必要もでてくる。設備全体を身軽にしておきたいらしい。
水と火の確保に追われて、周囲で人が激しく動き回っている。
「魔族が人間と親しくするなんて事はあるのか?」
クイナはカナリアと長く親しい仲だった。人類の敵と扱われる存在が、これまで人の社会で暮らして、人として食事を行い、働く姿を見せていた。
「……貴方と、ですか?」
「いや、違う」
今になるまでは誰も気付かなかったのだ。自分に巻き込まれなければ、そのまま人間として暮らせていたのだろう。
「魔物は人類の敵ですが、人と共生するものはいます。個の単位でなら、一般的でない関係も存在しているかもしれませんね」
「獣魔と同じか……」
望まない衝突だ。魔族が敵という前提がなければ、今の状況を喜べる者は少ない。
「一般など部外者の視点で存在するだけ。誰もが理解できる単純な共通認識を作り、群れを維持しているだけに過ぎない。それすら個人の単位では存在せず、明らかな偏りを目にしながら生活を続けている」
先の一言でまとめられた内容には、随分と複雑な意味が込められていたらしい。
「規模が違うだけ。結局人間も、魔物や他生物と同じ。存続する中で生活構造や区別が複雑になりはしても、根本には個の考えが広がっている。人間全体で団結した事など、ほんの一時有るか無いか、でしょうね」
アプリリスが長い説明をする。何となくだが、集団に対して悪い印象を持っているのではないだろうか。
「ですが、……魔族との交流が、公に認められる事は難しいです」
魔族は文化を持つ。意思疎通の可能な相手が敵対しているのだ。個体毎に共生可能か判断される獣魔と同列とはいかないだろう。
「一度でも誤まれば、既存の社会が崩壊する。あれを個人として扱うには人間側が非力すぎる」
仲間が殺された事に動揺して、異常な行動をするくらいなら人間でもあり得る。
だが、暴れる際の力が桁違いなために、一般に収まらない被害を出してしまう。都市の広域に影響を与えるなど、意図的に集団を作りでもしないと困難だろう。
兵士や探索者の数人では、同じ真似をするのに相当な準備が必要だろう。それと同等の被害を出す以上、魔族個人への対処も見合ったものになる。
「抑えられる者が誰もいない、か」
「あくまで人の社会では、という仮定ですけどね」
魔物だって群れを作るため、人以外の社会があるのは想像できなくない。
壁の中にいるかぎり、魔物に生態がある事など意識しないだろう。都市に運ばれてくる死体を見る程度では知りようがない事だ。外にでる職業でもないと知る手段が非常に限られている。
「人間にしか見えない相手を糾弾する。周囲の人間には生活を壊されたとしか思われないでしょうね。たとえ、魔族が自分たちを殺すとしても、苦しみは一瞬だろう、と。むしろ滅ぼされる事を受け入れてしまえる」
後半は分からないが、普通なら親しい相手を理由なく排除できないだろう。
「……その一歩を踏み出させないために光神教がある。本当の被害を負うのは他で暮らす人間だから。簡単に他人を殺させるわけにはいかない」
光神教の役割は、人々の中から今後危険になる者を排除する事。
だが、魔族も社会に潜むために人間関係にも工夫する。光神教と魔族との信用勝負になるが、捕まった魔族がその場で暴れないかぎり、光神教に悪印象が残るだけだ。
「善良な人を殺せるだけの信頼が光神教には必要になる。人間関係を諦めさせるだけの存在価値を示さなければならない」
魔族の判別が困難なら、方法を知る光神教を信頼するしか排除の方法が無い。
「それも、組織が正常に機能している限りですけどね」
アプリリスは何というか、自虐や自己防衛感が強い気がする。話し言葉なんて言ったきりが普通だと思うが、立場的な問題かもしれない。
「派閥対立か……」
「危機的状況と言えるでしょう。元々、不安定な所に追撃を受けた。組織が崩壊したとしても民に根付いた習慣は残される。機能が徐々にしか衰退せず、不足に気付いた時には再帰する力を残していないかもしれない」
壊れるにも壊れ方を選ばなければならないらしい。人の死に方を縛ると言いながら一方的ではない。面倒な組織だ。
「異常を排除できないのか?」
「権限が増す間に組織が肥大化し過ぎた。すでに崩壊しない程度に修復を重ねるしかない。維持するだけでも限界で、組織の破綻も即座に表面化する類ではない」
権限も何も知らないわけだが、組織も人間と同様に終わりはあるだろう。
「身内を疑い合わなければ維持もできず、誰もが一つの失態も疑われないよう粉飾する。人間同士なのに、まるで魔族を探しているようでしょう?」
まったく理解できない話だ。
アプリリスが表現を過剰にしてまで警戒するなら、特に異常なのだろう。人間を誘拐する事が失態の内に入らないなら、生死が軽く扱われる程度は覚悟すべきかもしれない。
アプリリスの話が途切れて、周囲の物音が聞こえるようになる。
「ラナンは勝てるのか?」
「聞かれても答えられません。ただ、勝てる相手とは思います」
勝つ算段を聞くべきか迷っていると、アプリリスがこちらを見た。
「アケハさんが語った通りであれば、後手に回って被害を広げるより、積極的に街を壊して場を整えるべきでしょうね」
「それは問題にならないか?」
「都市の中が戦闘に適した場所ではないのが、どうしても厳しい。指揮する者が嫌われる覚悟で責任を負わなければ、有効な攻撃を選べないでしょう」
「避難の指示は出したんだろ。住民が離れれば、攻撃できるんじゃないのか?」
取り残された人間を救う努力はしているが、労力は有限だ。一部で出る犠牲は考えない。
「人の物を壊すなんて盗賊まがいの経験は、避けられない理由があっても人の精神に害を残します。苦痛や疲労に耐えるように鍛えた兵士でさえ、非行に走ったり、退役後の生活が困難になるほど極端になる事が、しばしばありますから」
「嫌悪感として誰かに押し付ける方が安全なのか?」
「不必要だったとしても被害を許容内に抑える手段を選ぶしかない。皆が潰れるより、少数に押し付ける方が有益ですからね」
「成果は上げるけれど印象は最悪、で良いのです。それぞれに押し付け、民の心が兵士から離れてしまえば、治安も失われてしまう。組織としても上の立場に負わせる事で、負わされた者の保護も比較的容易になりますから」
アプリリスは話の途中から目線を外した。
「人々の手が届かない存在に価値を付与する事で、本当の責任を欺瞞させる。……人の持つ感情はつくづく便利だと思いますよ。生きる上でも、生かす上でも。願望を満たせない非力を、一時的にでも解消できてしまう」
どこか遠くの地面へと向ける顔は、明らかにこちらを見ていない。
「外に希望があると誰もが信じている。不満を投げつける先があると、人が生き続けられると。これは生命として初期に埋め込まれた思想なのでしょうか……」
表情からは感情が読み取れない。
誰もが知らない外とは圏外の事だろうか。定かでない。
「影響しあえば、個はいずれ外を知る。必然というなら滅び栄えも在るだけになる。知らない世界には確かに生きられる環境があった。あっただけで個に対しての意図は無い。個そのものが意図の一部でしかないのだから」
「違いましたね。ただ、生きたいという願望があった。だから、生きようとする。疑うまでもない事に何故、こう毎回悩んでしまうのでしょうか」
「それは……」
聞かれても答えようがない。
「ごめんなさい。こんな状況なのに」
アプリリスが意識を表に戻した。
「いや、良い。それで、どう戦うんだ?」
「魔族も生物です。生きるための機能があり。一方的に干渉できる存在ではない。直接傷を与えられずとも、攻撃手段を奪えば脅威は薄れる」
言うとおりだが、大きさに問題がある。見上げる壁のような巨体に、自分が影響を与えられるとは思わないだろう。
「地を踏んで攻撃してくるなら地を踏めなくするべきでしょう。倒す。沈める。埋める。移動が遅い相手なら罠で包囲もできる。魔力波を防ぐなら通さない素材で囲めば良いのです」
人力では難しい。地面の敷石を外せたとしても、水を加えながら土を耕す必要がある。規模が無謀だ。魔法で落とし穴を準備したとして、脚の一つを誘導できれば倒れてくれるだろうか。
「聖者がいなくても勝てる。人は勝ってきた。だから――」
アプリリスの語りを遮るように地面が揺れた。
届かないと思われた揺れが、足元に広がっている。
腕を浮かせたアプリリスを掴み、お互いを支えて耐える。崩れかけた姿勢のまま、半端に曲がった脚で衝撃を逃がす。靴底が地面を跳ね、物も人も無関係に揺れる。
周囲が細かな物音に包まれた。
深呼吸を始めて息を吐き切るまでの時間を本気で耐えたのは、短いといえば短い。
遅れたように、どこかで建物が崩れるような破壊音が鳴る。近辺まで倒壊の範囲に加わったらしい。
明かりが減った広場周辺に、きしむ音が残っている。




