207.強制始動
夜の暗さに目が慣れる。
断続的に重い振動が響いており、支えにする手が地面に落ち着かない。
起き上がろうとした周囲は広く、星空が見えた。
隣の敷地まで飛ばされていたらしい。自分を受け止めた柵は、同じく飛ばされてきた質量物を受け、至るところが倒れている。柵と広い敷地のおかげで、別の建物に投げ込まれる事は避けられたようだ。
先ほどまでいたはずの倉庫が、今は離れた位置にある。
定期的に起こる地響きと止まらない騒音に、眠りで過ごすべき夜は壊されている。異変に気付いた住人が避難するか不確かだが、都市を守る兵士が気付かないわけがない。
これは自分一人で解決できる事態ではない。
異常の元は、明るさが足りない今でも十分に確認できる。物の輪郭しか見えない視界でも、倉庫から突き出した筒が見えるのだ。移動しながら屋根を崩している。巨大な筒が移動するために振動を起こしている。
倉庫にいた敵の事など考えていられない。内の荒れ様など、自分と揃って飛び散った周囲を見れば想像できる。予想通りというべきか、瓦礫を生み出す轟音が響き渡る内に、支柱を失ったらしい倉庫が建物としての形を失った。
塔のような高い筒だけ未だに形を保ち、大きさに見合わない遅い移動を続けている。
走れば追い付けるだろう。
振動と騒音が止まない中、全身に付着した砂と木くずを払い落とす。
追い駆ける間に何度か体勢を崩して、最後には諦める。
距離が近付くほど振動が増すため、立って歩けなくなる可能性があった。巨大な質量体が倒れないとも限らず、距離を残して相手を探るべきだろう。
魔法の光球を生み出して、巨大な存在へと仕向ける。街灯を数本束ねたような明るさが、隠れていた姿を照らした。
巨大な筒と、その下部を支える四つの脚。
建物が崩れて平坦になった土地にひとつ、際立った巨体がある。高さを含めれば元あった倉庫と大きさで劣らない。詰まったような見た目から察するに重さは優に勝るものだろう。
全体的に石にような表面をしている。荒く磨いた滑らかさの中に建物ような経年劣化の傷もあり、人工的な形状も含めて、動いている事が異常に思える。
脚の接地面は小屋をまるごと踏み潰す大きさがある。一歩進むごとに、見上げる高さまで持ち上がる足の底は、真下の者に影しか映さないだろう。
ひどく怠慢な足が隣の建物を蹴り崩して、平地を広げる。
重なる足跡が二つの太い線を伸ばし、その度に移動を妨げる地震が起こる。
空に漂わせていた光球が消えて、直後に魔力の波を受ける。体の末端で硬化が消失した。
魔力に枯渇は感じられず、即座に硬化を行き渡らせる。
魔力波によって表面の魔力制御を崩される。風と共に細々とした飛来物が届く範囲には、別の危険もあったらしい。
「クイナなのか……」
魔力波には心当たりがある。
倉庫内で触れたクイナから魔力の圧力を感じた。あの時至近距離で受けた魔力波とは比べ物にならない高い出力だが、同じ使い方をするなら本人だろう。
周囲の騒音が無くても、叫び声が届かない距離は離れている。そんな遠距離でさえ魔法が崩される。溜めた魔力を一気に周囲へ発散させる。単純な操作だが、魔力量頼りで一定の効果を生み出してしまう。まず、魔法による継続的な戦闘は厳しくなる。
魔力量を確認しきれていない自分は、積極的に対処したくない。
都市中の警鐘が鳴る。
城壁の複数地点から強力な光が届く。地面を伝う明るさが巨体を照らし出した。
距離的に照準が困難で物足りない明るさだが、巨体は夜闇から浮かび上がる。都市の住民も動き始めたらしく、かき混ぜられた遠く悲鳴が多方向から聞こえる。
後ろからの呼び声。
男の集団が照明を向けながら、寄ってくる。
揃っていない服装でも武装はしているため、地区に多く存在する倉庫の警備員だろう。
警戒されないように返事をした後、手を動かしてみせる。
「光神教の者だ」
光神教の紋章を前に掲げてみたが、確認のために近付いた二人が理解したかは不明だ。
「話せる者はいないのか……」
男たちの会話は分からない。話が続けられる内に即座に攻撃されない事だけは分かった。
立ち尽くす間に地響きが遠ざかっていく。
目の前で会話を続ける男たちが紙を広げて囲む。
引き寄せる仕草をしてきたため、部外者の自分もそばに寄る。
携帯型照明は油灯が使われており、照された紙は周辺の地図だった。
暗さで確認できなかったため。手に光球を出して地図への明かりを足す。少々の驚きを過ぎると何かしらの説明が始まった。
まとめ役の男が、クイナを示した後に、地図の上に指を走らせる。クイナの方を示した後、それとは別に現在地から遠ざかる経路が示される。クイナの進路予想と遠ざかるための避難路だ。
避難地点まで運んでくれるらしく、集団の中で二人を紹介されて、言葉の通じない挨拶を交わした。
警備の集団と別れようとしたところで、魔力波が届く。
光球は打ち消されて、手の光が無くなる。
警備員の数人が急に叫んだと思えば、腰帯にあった道具を地面へ投げ捨てる。壊れたのは、おそらく魔道具だ。魔力波を何度も受けた結果、耐久に限界が来ていたのだろう。
このままクイナの活動を許せば、都市中の魔道具が壊れかねない。
クイナが進んだ後には瓦礫が残されるだけ。振動は広く周辺まで影響して、建物が崩れなくても、生活道具の転倒・落下は防げない。受ける規模が大きすぎる。
被害は魔道具に限らず、壁に衝突された時には都市の存続にも関わるだろう。
建物を一方的に壊す相手に力比べで勝てるはずもない。有効な攻撃魔法が持つ持たない以前に、魔法自体が魔力波に崩される。接近戦するにしても歩行が困難な揺れの中で、建物を蹴り壊すような巨大な足を壊さなくてはならない。
解決方法を持たない自分は、集団から分かれた二人に従って、手の光を保ちながら避難場所へと歩くしかない。
魔法を使える存在。人から人外へと姿を変える。人に変身する魔物。
クイナは人に化けて、生活に紛れ込む魔族だったのかもしれない。誘拐事件が起こらず、カナリアが殺されなければ、今の事態にはならなかっただろうか。人間を殺すために活動していたなら、いずれ同じ事が起きる可能性もあった。
洗礼を受けていないという話が嘘なら、使徒だってありえる。過去に出会った使徒は、直接触れずに物を動かしていた。今見える巨体も単なる石の塊で、魔法で動かしているだけの可能性もあるだろう。
何にしても今となっては遅い。
既に都市への破壊活動を行い。犯罪の段階になっている。
助けようとしたところで、手が出せる存在ではない。魔族という人類の敵に協力すれば、立場を疑われる。都市の存続も危ぶまれる規模の破壊活動を起こした時点で、死刑どころではないだろう。
擁護のしようがない。自分には後ろ暗い部分があり、疑われる事もできれば避けたい。
被害の少なくなった通りを進んでいき、人混みのある広場に到着した。
「アケハ!」
「ラナン様」
衛兵のそばに集まっていた集団に、聖者と聖騎士がいた。
暗がりの中でも照明を保っていたため、高価な服装が良く目立つ。自分を連れてきた警備の者と、ラナンに同行していた通訳が話し合う間に、ラナンが寄ってきた。
「迷惑をかけてすまない」
「いや、生きてくれていただけ嬉しい。誘拐されたと聞いて捜索していたんだ」
「誘拐? ……今の騒動とは別なのか?」
「誘拐事件で被害者の容姿が、通訳の少女と似ていたと報告が届いたから」
隠れ家にいる事をカナリアに伝えてもらおうとしたが、結局捕まって殺されてしまった。捕らえられる瞬間を都市の住民が見かけていたのだろう。
「アケハ、……通訳の子は?」
「殺された」
「そっか」
聞いた事だけを伝える返事が来た。責任を問うにも今ではないらしい。
「詳しく説明する暇は無いかもしれないが、被害地点で知った事を話しておきたい」
「情報が集まっていないから助かるけど、……誘拐事件と関係があるの?」
ラナンの予想に対して、頷きを返す。




