206.生存淘汰
運搬道具が置かれた入口付近を通り過ぎる。
壁のように積まれた木箱の間を進むと、広い空間に出た。
上階の床は途中で途切れており、二階は壁際に足場を残す程度。一段高い天井には照明がつり下げられており、中央が照らされている。
急ぎ荷物を退けて作ったような半端な広さだ。先ほどまで案内してきた者たちも周辺を囲む箱に散らばっている。
中央。
頭を袋に被せられて、椅子に縛り付けられた子供がいる。服装を見るからにカナリアだろう。手足を紐で拘束されている他、服の至る所に傷と汚れが見える。激しく抵抗して大きく疲労したか、薬で眠らされたように頭が垂れている。
近くには男二人。
片方は武装を整えているが、もう片方は街を出歩くような服装だ。
いつ襲われるか分からないため、硬化魔法は保っている。
話を試みるために、相手が警戒しない距離まで近づく。
「呼び出した目的は何だ?」
「遅かったな」
話し返してきたのは非武装の方だ。同じ言葉を話したため、この国出身でない可能性はある。あるいは通訳か。
「こんな事に夜まで待たされるとは思わなかった」
見覚えがある。孤児院への道中に出会った男だろう。暴言を吐き捨てていた口調も、今は落ち着いている。
通訳の男は話しながら、カナリアの正面に進み出てくる。剣の間合いからは離れているが近付くのは不用意だ。こちらの武装を解くような指示をしてこない。
「呼び出した理由だったか。……まあ、あれだ。」
通訳の男は傾けた頭をかく。落ち着かず視線が、こちらや周囲を見たりするが、他に動きが無いため合図ではない個人の癖だろう。
「戦える相手で見世物を作るためだ。相手にするには良い機会だからな」
「散々やったろ。毎回こうだから気が滅入るんだ」
武装した男の方が口を開く。
「これまでは知ねえが、相手が悪かったんだろ。今回は違うぞ」
通訳の男は、横の男に振り向いて会話を続けようとしている。両方とも、こちらが知る言語で話せるらしい。
戦闘前だと語ってくるわりに、自身が戦闘範囲に残っている事を自覚していない。人質を無視する相手なら一人を減らす好機と捉えるだろう。
相手の予想通りというべきか、自分はクイナやカナリアを見捨てられない。
通訳の男は部外者なのか、会話からは長く接した間柄に見えない。
とはいえ、一人語りが許されている時点で、目的が揃っているとみていい。不意を突いて襲えば、目の前の二人だけでなく、周囲の伏兵まで交戦する事になるだろう。
「なんと、洗礼を広める神の信徒だそうだ」
「戦争後の時期だぞ! おいおい、殺して良い奴なのかよ」
「護衛も要らないくらい自信があるんだろ。戦闘技能だって持っているはずだ。魔法だって素質の良いやつを囲い込むくらいなんだ」
目の前の二人は、こちらを見つつ会話を続けている。
「見たかぎり、武装は少ない。試しておきたいと思わないか?」
「まあ、気にくわない奴らだからな」
「一度、見せた方が向こうも安心できるってもんだ」
話しかけられている武装した男の方は、通訳の男ほどの言葉数は無い。
ため息を吐いた後には、舌打ちを一回してみせる。
「元々、身代金は取れない。見たところ金持ちにも見えない。宣伝に使える点だけは、そこらの腕自慢より稼ぎになるだろ」
「だと良いんだがな。……殺人を心配するのも今更だ。やるよ」
積極的ではないが、こちらを殺す事に反対しないらしい。
何にしても、こちらを無視して話が進んでいる。話が通じる相手ではない。
まだ、真横にクイナがいるため、相手に進行を任せるのは危ない。
自分の戦闘技術は低く、他人をかばう余裕などない。
カナリアの解放を達成しておかなければ、素直に誘拐された意味が無くなる。
「戦うより、先に人質を解放しろ」
通訳の男は、こちらに視線を戻す。
「あー、来てくれる保証なんてなかったからな。ほらよ」
通訳の男は、カナリアの背後に回って椅子を押す。
地面をこする音は、男が数歩進んだところで終わった。
「余裕があったおかげで、まあ、こういうわけ」
男が背後から椅子を蹴る。
倒れる椅子と共に、袋を被ったカナリアが地面に衝突した。
「先に殺しておけば損も無いって事だ。……実のところ、私怨を晴らす好機だったからな。良い獲物を誘えた事には感謝するさ」
強い衝撃を受けても、カナリアに一切の反応が見えない。
「人質は嘘か」
拘束を解くような素振りも無かった。
「殺される相手が何をしても無駄だろ。騙されたと思うなら死んだ後にでも衛兵を呼んでくれ」
通訳の男が後ろへ身を引く。
相手との間に、カナリアの遺体が残った。
交渉の余地を残さない。捕まった時点で殺されるなら、クイナが逃げ延びる可能性は少ない。既に取り囲まれた状態で、室内に入ってしまっている。
必ず通り出入口には戦力を残しているだろう。
自分が勝って去る事は考えていなかった。人質を交代してカナリアとクイナには帰ってもらうのが理想で、耐久力のある自分なら捕縛に抵抗する時間も長いだろうと、予想していた。
相手の情報を知らず、最悪を選択してしまっていたらしい。
カナリアは殺され、従った自分とクイナも殺される。
尾行を避けて帰る方法があったかは不明だが、カナリアの死亡は、護衛を付けずに活動した自分の過失だ。
相手から知り得た情報は少ない。戦う事になるのは分かっている。仮に勝ったとしても生存は保証されず、次は分からない。
一方的に動かされる状況の中で、クイナを逃がす手段を見つけなければならない。
もう、周囲への影響を気にしていられない。
強い光で視界を遮り、倉庫の荷物に火をつける。相手も魔法を使えそうだが、こちらが魔力量で劣るとは考えにくい。
この土地が連中と無関係だったとしても、所有者に損害を与える事をためらうわない。罪に問われて従者の職を失うとしても、他の手段が無いなら行うしかない。逃亡するか捕まるかも後で考えればいい。
今死にさえしなければ生存の可能性はある。行き詰れば終わりという環境との全面衝突になるが、何もしなければ死が確定するのだ。
横に視線を移して、クイナを見る。
これまで声も出さずにいたが、無表情のまま立ち尽くしている。
「クイナ?」
問いかけにも反応しない。冷静とは別だ。姿勢を維持しているだけで、まともな思考状態ではない。
「おい!」
意識を起こすために呼びかける。揺らそうと肩へと伸ばした手は空振り、クイナの下半身が姿勢維持を失う。
クイナは膝から崩れ落ち、顔をうつむかせた。
全身に施した魔法強化が乱される。
硬化魔法を邪魔したのは、外から当てられた魔力だ。
「う、撃て!」
焦った大声。離れた者でも気づく異常。
放たれた攻撃は自分の身を害する事は無かった。
伏せた頭を戻すと、防ぎ切れなかった矢がクイナの体に刺さっていた。
肉を支えにして垂れ下がらない。矢は確実に臓腑に到達している。
魔法を阻害する魔力の風が、再び、体表面に届く。
周囲からではない。
慌てて攻撃したように、他の人間からも突然の出来事だった。周囲で数人が苦しむように倒れ、もがき、悲鳴を上げている事が暗に示している。
魔力風の発生源はクイナだ。
抱き寄せている体に相当な魔力抵抗がある。送り込もうとする魔力が外へそれる。
外からの干渉を防ぐ圧力で内部が満たされ、ある瞬間に放出される。魔力風を作り出したのはクイナだ。
魔力を操る以上、洗礼を受けていない話は嘘か。偽る方法はいくらでもある。手袋のない手に印が見えなくても、受けていないとは限らなかった。
身に突き立った矢が姿勢の変化を大きく示す。
傷の悪化も構わず、クイナがカナリアへと向かおうとする。
止めようとした自分は軽々と突き飛ばされ、倒れ込んだ状態でクイナを見た。
体を引きずりながら進む姿を、
敵が一斉に襲いかかる光景を、
カナリアへと届く前に囲まれた結果を、
急ぎ立ち上がった自分は全身が砕けるほどの衝撃を受けて、その場から吹き飛ばされた。




