204.建前
他人に話せる話題など、探索者の頃しか思い浮かばなかった。
ダンジョンで暮らす事も、探索者の極一部で実現している本来のそれは過酷なものだと聞く。自分の体験を語ろうにも、ダンジョンや魔物を操れる事を省いて話を組み上げられない。
獣魔の出会いを雑に済ませた内容には、粗探しされなくても閉口するしかない。
ダンジョン以外で活動した経験は少なく、語りはどうあっても短く終わる。移住者を相手にする通訳者にとって聞き飽きた話になっただろう。
クイナは、こちらの語りを促すように適度に相槌を見せていた。
「以前は探索者をしていたなら、最初から光神教にいたわけじゃないんだよね?」
「所属したのは事件で知り合ってからだな」
ダンジョンが壊される事件は、光神教と関わるようになった原因という一言で済ませた。
詳しく話さなかった部分に、クイナは注目したようだ。
「それまで付き合いは無かったの?」
「皆無だな」
演説の姿を見かけるくらいは、都市の皆が経験した事だ。付き合いに入らない。
「変なの」
クイナは一言で表す。
「普通じゃないが、探索者を辞めて教会に入った前例が無いわけでもないだろ」
「まあ、そうかもしれない」
自分と同じ境遇は皆無かもしれないが、脅迫されて所属したなんて話は疑わない。まあ、教会と親しい間柄でもない人間が急に関わり始めたというのは、原因があっても変に思われるのだろう。
偶然、都合よく訪れたために利用された。一般的に見合わないだけの対価を貰っているため、非難しようがない。事情を口外する気も起きない。
「それより、戦えるんだよね」
「正規兵と比べられるのは困るぞ。あくまで素人が鍛えた程度だ」
教わる環境は非常に優れた物だ。これまで教わった相手は、実力と人数のどちらも良い。武器の扱いから格闘や魔法まで。戦闘に関わる能力で足りない部分を、多く指摘されてきた。
個人が経験できる中では最上に入るものだが、活用できているかと問われれば頷けない。
勝てる相手を見つけるのは簡単だが、勝つ必要のある相手には届かないような半端な実力だ。仮に社会と敵対してしまうようなら、惨敗は避けられないだろう。
「でも、遭遇した敵と戦えるなら、十分強いよ。私なら逃げるしかないもん」
「俺だって逃げる時は逃げるぞ。……確かに、戦闘への怯えは経験で抑えられるようになったな」
戦闘は個人で完結するとは限らない。生き残れている現状から最低限は足りていると実感するだけだ。鍛えたところで大した利にならないとしても、鍛える事は諦めない。万全な備えができないなら手広くやりたい。
「できない時期があったなんて、普通、話すかな?」
クイナは片腕を捕えて、揺すってくる。
「話せる内容が少なかったから、その分の足しだな」
「無い弱みを見せられても、助けようがないじゃん」
「ここに来れたのもクイナの協力のおかげだろ。十分助かっている」
「うげ、言わなきゃ良かった」
クイナは言葉だけの不快感を示すも、体を遠ざけるような事はしていない。
「魔法、使えるんだよね。洗礼印は何だったの?」
洗礼印にそこまで意味があるとは思えないが、クイナの視線は手に向かっている。
「自分でも分からない」
「へぇ」
手袋を外してから、クイナに捕らわれたままの腕を持ち上げる。
「洗礼を受けていないのに魔法が使えるの?」
見つめるように顔を寄せたクイナは、手の裏まで覗き込んだ。
「洗礼印が薄い者も見た事はあるんじゃないか?」
「まあ、そうだけど」
調べた後には満足したように顔を引いたが、力を抜いた後の腕は依然として捕まったままである。
「化粧で隠すような人もいるらしいから、見た目では分からないぞ」
「げ、怖。隠している相手に襲われちゃうかも」
あからさまに驚いているが、知っているような話だろう。
「理由がなければ、狙われる警戒も無用だ」
「いや、依頼者を考えれば。私って、この都市の中では狙われやすい存在だよね」
「そうだな」
通訳をする以上、法国の人間との関わりが多い。魔法で襲われる場合に限れば、高い可能性はあるだろう。
だが、人は殺すのに魔法は不可欠ではない。小型の刃物でも、道に落ちた小石でも、素手で足りる者もいるだろう。警戒すべきは人そのものであり、持っている道具の影響は少ない。
どうあっても、知り得た事から相手を探るしかない。出身も判断材料だろう。
武器を携帯する探索者も、往々にして距離を取られるものだ。意図せず武器が当たったなんて事例はある。
クイナを取り巻く環境を全て把握しているわけではないが、防げない死を遠ざけたいと思えるクイナは、慎重な性格をしているらしい。
「洗礼受けたいとは思わないのか? 法国の方に移る機会もあるんじゃないか?」
洗礼についての知っている事は少ないが、短時間で済む儀式であるため、都市を訪れるついでに行えるだろう。
「私は受けたいと思わないかな」
「多少強くなるといっても、日常で役立つ場合は限られているしな」
この国では洗礼の制度は普及していない。
日々の仕事を中断して、受けに行く者は少ないかもしれない。都市を移るだけでも危険は多く、言葉が通じない面倒もあるのだ。
「でも、カナが欲しいって言うなら、教会の前までは連いて行くつもりだよ」
クイナからの拘束が増すと同時に、声の混ざった溜息が聞こえた。
「やっぱり、心配……」
話題作りに失敗しており、カナリアの事を考えさせてしまった。
「ねえ。頭、撫でてくれない?」
「形だけしか応えられないぞ」
カナリアが外出する原因を作り出した相手に求める事と思えないが、他に相手がいないなら構わない。
「卑下してみせるより、安心できる言葉が欲しいかな」
「帰ってくるまでは、好きに要求してくれていい」
「あはは。今の状態でも見つかったら怒られるかも。確かに二人きりの間だけだね」
隣から抱き着くクイナは、年齢か、個体差か。体の成長を残しているように見える。カナリアも同じだ。若くして自立した相手は優秀とみるべきだが、他より不安定とも思う。
クイナの自身で解決するものであり、形だけでも効果はあるだろう。
今日明日の生存も、安心できるものでない自分でも、他人に利益を与えられる。一番の失態は光神教自身が負うため、仕事の関係であるカナリアやクイナに届く責任は少なく済むはずだ。
本音と食い違う行動になるが、外から見た自分は光神教の一員であり、人々を支える組織の一部だ。悪く見せる必要が無いなら、可能な範囲で方針に沿うべきだろう。
個人の事情に立ち入るのは、異常かもしれないが。
「こっちに体を向けて?」
迫る手をクイナは目で追う。
壊さないように触れると、素直に撫でられている。
「大丈夫、見切りを誤まるよう徐々に要求を上げていくつもりだから……」
クイナは、こちらの服を弱く握む。
「引き返せなくても私は気にしないし、悪いようにしないから、わかったと応えてくれるだけでいいよ」
見上げて幼さを表現してくる。
「……最初から極端な要求だな」
「あれ、ばれた?」
「せめて、安心できる言葉をくれ」
「甘えさせたアケハが悪い! 謝りたいなら、しっかり撫で尽くす事」
「我慢しろ。まったく」
冗談で叩いてくる動きを無視して、クイナの髪に指を通す。
会話も無くなり、体重を預けてくるのを支えて、待つ事になった。




