199.仮面
通りを二つ抜けた今、振り返ったところで孤児院は見えない。見送りに感謝の言葉を送った養母も普段の作業に戻っただろう。
街灯の足りない地区は夜も早い。明けと暮れの頃は準備で忙しくなるため長居されるのは困るだろう。こちらも帰りを警戒するなら昼の内に帰りたかった。
「どうでしたか?」
「まあ、色々見れたのは良かった。仕事場を覗き見る機会は貴重だからな」
単に子供と遊んだだけではない。一拍置いた後は孤児院の設備を見て回り、生活の様子を見る事ができた。
「忙しい時間帯は避けたので、そこまで迷惑にはならなかったと思いますよ。最低でも五日分くらいはありましたからね」
カナリアの荷も、帰りには軽くなっている。この国の通貨は見慣れた物より小回りが利く。代わりに種類が多く、扱いやすく崩した通貨は背負い鞄に詰める程度に重かった。
「半数は礼儀も学ばない歳ですから、媚びという感覚も無かったと思いますよ」
心付けという作法もあって、作業を妨げるような行動にも言い訳ができた。部外者の自分が孤児院を視察できたのは、従者という立場だからこそだろう。
「まあ、子供の礼儀を確かめに行ったわけではないからな。この都市の生活を知りたかった」
孤児院は都市生活の基準とは言い難い。その要因である金銭的に貧しい点こそ、移住なんていう特別出費がある状況で参考になるのだ。
余裕が少なくても生活できる。実例を一つ知っていれば、心構えも変わってくる。
「そんなに興味を持つものですかねー」
「光神教の外ってだけでも、十分だな」
この都市を遠目で見た時点で、暮らしの可不可は確認できていた。それ以上に情報を得るために孤児院へ訪問した。
「あー。移住の経験でもなければ、他の都市の存在も気にならないかもしれませんね」
カナリアは表現に悩む時間を音で埋めていた。
疑問に思われても仕方が無い。光神教の影響外に興味を持つのは、敵対した場合に備えるためだ。同じ理由で行動する者は少ないはず。
「異なる点を見つけていけば、生活に不可欠な要素を絞り込めるだろ」
「多分ですけど、食料だけで何とかなるのも都市の中だけですからね。都市ありきで考えた時には、自然環境を応じた習慣なんかで、複雑になってきそうです」
孤児院では井戸を使っていたが、水の入手先が違うだけでも生活が変わってくる。同じ都市でも雑用係を雇えば手間は変わる。最悪、川から運んでくるなんて工程も加わるかもしれない。
違いが存在する事を知ってれば、余裕がある内に対策をするなり、今を有効活用できる。
「……今回の視察って、この都市の規則を変える基準になったりします?」
「まったく無い」
いつぞやにアンシーから外国への観光を勧められていたが、得る物は確かに存在した。
滞在場所に戻った後、カナリアと別れる。
向かった談話室には、高い頻度で会うアプリリスだけ留まっていた。
「どうでしたか?」
向かった事実だけは報告する必要がある。
「問題なく訪問できた。こういう時の対処を教えてもらえて助かったよ」
持つ地位に見合った礼儀があり、自分だけでは把握しきれなかっただろう。特に孤児院という環境が特殊かもしれないという指摘は正しかった。
談話室も存在せず、まとまった時間を取れない状況で、礼儀の最低限を達する。孤児院という異例の訪問先では、相手の負担を減らすためにも変則的な対応を考えるべきであり、その場で臨機応変に対応するなど自分には不可能だったに違いない。
「そうですか」
アプリリスの表情にも変化はある。
ただし、生物としての最低限でしかなく、感情を思わせるには足りない。
街中で見かける人々の顔とは明らかに違うため、似た顔を探すのも期待できない。アプリリス自身を観察して仕草を探るべきなのだろう。何らかの傾向はあるかもしれない。
「やっぱり、光神教が運営する孤児院とは違うのだろうな」
従者になる際に使わなくなる生活用品を譲りに行った時に一部だけは見た。荷車を動かしたのは建物の前までだが、来るまでの立地や孤児院の外観は全く異なっていた。
教会の孤児院は、綺麗だったのだ。
常駐の人手に差は無いかもしれないが、定期的に関わる職人の数は違うだろう。敷地中の庭は整えられ、建物の壁も古いながら元の色を保っていた。
初期投資の時点から、設備、予算に差があったのは明らかだ。
今回向かった孤児院と違い、道具が山積みになるような物置は想像できず、幼児でも井戸に近付けてしまうような粗雑な柵はもちろん、半端に割れた雨水槽などが放置されているとは思えない。
都市機能が行き届いていない場所とは、比べ物にならないだろう
「いえ、大抵は似たようなものだと思いますよ」
「アプリリスは知っているのか?」
「私は孤児でしたから」
孤児出身なら詳しい知識があって当然だ。半日も滞在しなかった自分よりは参考になる。
とはいえ、複数の孤児院を渡っていたわけでもなければ比較はできないだろう。
「街で下働きをする姿は想像できないな」
どちらかといえば、作業を黙々と続けるような印象だ。
孤児院の保護が洗礼まで続くとしても、聖女と判明する以前は、都市生活に半ば進出していたはずではある。
ただ、騒々しく遊ぶ光景と馴染ませるには色が違い過ぎる。
「周囲と合わない子も、一人や二人いるものです。教会の孤児院では、素質に合わせた種別教育が成されるので、基礎教育を済ませた後には気にされませんよ。……私の場合は力仕事より、識字算術を優先されましたし、人によっては貴族の迎賓に適した礼儀作法を学ぶ場合もありました」
「下働きで学ぶのに比べれば、職業教育まで行うのは結構な差じゃないか?」
「本質的には変わりませんよ。需要に沿う品質に育てるために苦労する。定期的に孤児を受け入れるような一般業種はまれで、孤児院も求人を探すために忙しいですから」
孤児の受け入れ先は、別に孤児院のみではない。慈愛の強い人間が直接拾い上げる場合もあれば、評判の悪い業種が囲い込む場合もある。
「画一的な設備に抑えると、おそらく教会の孤児は皆、職を得られず飢え死にしてしまいますからね」
「そうなのか?」
「光神教の庶民受けは微妙です」
アプリリスの表現は簡潔過ぎた。
「敬われている事は確かですが、支配的や税金取りという悪印象を受ける以前に、習慣の一つという扱いになっていまして……。存在自体を疑われないだけ良いのですが、最適とは言い違い。個別対応をするのは貴族相手ばかり、悩み相談や民事法の立ち合いを頼まれる事は少ないですからね」
補足説明は速やかに行われた。
「活動をあまり知られていないのか」
「ええ、洗礼以外で関わる機会が無い。洗礼時に受けた印象を孤児院にまで向けられてしまう。手抜きと疑われた場合、組織全体に影響しますので下手に節約もできないのです」
分かる気もする。
実際、孤児院から教会の雰囲気はあった。村の子供は都市の街並みでも驚きそうだが、教会はそれ以上。育てられた孤児から特別感がなければ、足りないという印象が強調される可能性もある。
「こちらの顔色をうかがう者は庶民には少なく。特別な教育でなければ、知人の伝手を借りる方が楽と思われてしまうでしょう。名義を失くすために経営を遠ざけるとなると、財源の方に問題が表れる。国税の一部で運用されるわけですから、特定施設だけ優遇するような事は許されない」
光神教に人気が無いという話なので、孤児の就職先は教会が多いかもしれない。
「結局、わずかな出費に悩むのは教会の経営側も変わらず、孤児だって異質な環境にいる自分を自覚する。……こればかりは物事の捉え方次第でしょうか」
「そうかもしれないな」
次々離されて、理解が追い付かない。
設備や教育に違いはあるが、孤児が教育に感じる印象は似てくるという話だろう。
「予算や経費の資料を目にした事くらいです。私は地方出身なので、中央となると、また別かもしれませんよ」
近い環境を経験しているなら、自分の予想よりは詳しいだろう。光神教の孤児院全てを詳しく知る必要は感じていない。
「法国に帰還した時にでも、訪れてみては?」
「そうだな。そっちだと魔法くらいじゃ驚かれないのだろうな」
「魔法を見せたのですか?」
「光球をいくつか動かした。危険な類じゃないはずだが、……問題になるか?」
アプリリスは首で緩やかに否定する。
「いえ、洗礼を受ける歳ではないので魔法には驚いてくれると思います。大人の行動に興味を持つのも珍しくありませんよ」
「なら、不和も減らせそうだな」
相手の空間に立ち入るなら好印象を与えておきたい。会話で間を保つのは難しいため、魔法を見世物するしかない。
他にも街での行動を報告して、話題が尽きる。
「お疲れでしょう。後はゆっくり過ごしてくださいね」
「わかった」
聖者の従者という立場を、都合の良い部分だけ利用している。
仮想敵である光神教の内部を探ると言いつつ、事は進んでいない。他より多い自由時間も暇つぶしに浪費するだけである。状況が変わらない内は、効果の見られない自己鍛錬や、怪しまれない程度に観察を続けるばかりだ。
疑われていない事に疑ってしまう。
部屋を出る際にも視線が向けられている気はしたが、振り返っても、書類を読むアプリリスがいただけであった。




