195.悪手
談話室でラナンと二人きり、席は隣。
全員が揃う場面でもなければ、座る位置は時次第になる。
「水、飲むか?」
「貰います」
水を配る程度なら、先までいたレウリファを呼び戻す必要も無い。盛り付けるような菓子は配膳車に存在しないのだから。
「交渉は長くなるか?」
「いえ、順調に決まって、交渉自体は昨日で終わりました。明日からは、都市を運営する人と顔合わせなので、日程も早く決まると思う。実際に帰るのは四半月は先かもしれない」
十五日もあれば、数回は都市を歩ける。大した成果を望めない活動に自分も飽きてくるだろう。
「……もしかして、退屈だったりします?」
「いや。通訳を連れて都市へ出歩いて、勝手に過ごしている。退屈どころか、迷惑をかけていないか心配する方だな」
「それなら良かったです」
光神教の意向に干渉しない限りの身勝手が認められている。
好待遇というより飼い殺しのような気分だ。
予期しない潜入で、慎重に行動せざるを得なかった。組織を調べるにも権限の範囲内、姿を隠すような真似もしない。不審な行動を避ければ、疑われる可能性も低いだろうと。
結果として、大した情報は得られていない。適切な能力を持たないため重要な役目を任されない。相手が油断する機会を待つだけになる。
消極的な活動だが、失敗が致命的になるなら、こうなるだろう。
「視察に同行する通訳を借りた分、誰かが不便していそうだがな」
「あったとしても、僕たちの耳まで届きそうにない話題ですね。人数に余裕を持たせているはずなので、大丈夫だと思いますよ」
働かず養われている。
アプリリスの件で強く出れないなんて段階は越えている。置物のような存在だと認識されており、労力を使ってまで排除する価値も無いのだろう。
そんな予想も虚しく、目の前のラナンから不満は見えない。椅子の背を借りない姿勢も相変わらずだが、多少は力を緩めているように見えた。
「それより、観光は楽しめていますか?」
「まだ、得られた物は少ないな」
滞在中の建物だけでは地域性を見いだせなかった。
生活家具や食材、高級な物は依頼者の要望が強く表れる。金次第で素材や形状に融通が利くため、対する目利きにも知識が要るだろう。産地を告げられたところで理解するのは不可能だ。
容易に変わりようもない、住民の暮らしを見た方が違いを多く感じられた。
「ここ住民は、あまり洗礼を受けてないんだな」
「教会が無いと、そんなものだと思います」
全員の手を見たわけではないが、手に洗礼印が無い者は多かった。移り住んできた者を含めても大した数は無いのだろう。
「個人が移住するのとでは、やっぱり違うか」
「宗教は、建物ひとつでは済まない問題ですからね」
ラナンは水を飲もうとする動きを止める。
「……光神教って、後から取り入れるには面倒な組織だと思いますよ。政治に関わったり、商業に文句を付けたり。とにかく、動かすお金が大量で、既存の経済を崩す可能性も高い。新しく受けるには強すぎますからね」
「この都市は今後どうなるんだ?」
「あまり詳しくないので予想ですよ。……最初は貴族層に洗礼を認めてもらう事からですね。魔道具を必要としない魔法は魅力ですから、有用性を知ってもらってから広めていくんだと思います。洗礼が制度として定まるのは、早くても一世代は後じゃないかな」
「洗礼を受けなくても魔物に対抗できているなら、積極的になる意味も無いか」
「はい。今働く世代は洗礼を受けずに一生を過ごすと思います。どこまでも人次第で、洗礼の有無で脅威が消えたりはしませんから」
洗礼を受けたところで、魔法を学ぶにはお金がかかってしまう。少数しか利益を得られないなら、多くは受け入れる面倒を拒むだろう。
都市を渡って受けに行くなんて光景が無い以上、魅力は低いと思われている。
「聖者なんて言われても、ちょっと強くなっただけの人間ですからね」
出会った人間の中でも、聖者聖女は戦闘に秀でている。洗礼を受けた人間としても最上の戦闘力を持っているだろう。武装が整っている点もあるが、並みの人間が数十束になっても敵わない。
洗礼は、十分な教育を受ければ戦力を高められるのだろう。
はたして、教育期間を増やしてまで必要とする人がいるかどうか。戦わない仕事なんていくらでもある。最初に流行る人物も限られてくる。
「神に頼り切るのも問題なので、独り占めしなければいいと思います。薬も過ぎれば毒なんていわれますから、頼らない術も考えておきたいですね」
「ラナンが言うなら、そうなのかもしれないな」
光神教は、洗礼という援助を利用しているだけの可能性もある。
情報を判断する材料も無い。多くの情報が欲しい。
「禁忌を破った相手について、ラナンの方で話を聞いていないか?」
「人手が少ない今、調査も進んでいない状態ですね」
「これまでには遭遇しなかったのか?」
「アケハさんが……戦った時みたいな異常が初めてで、気付かずにいた可能性はあります」
怪我の処置を考えなければ、魔石を埋め込むくらい誰でもできる。
ただ、肉体に邪魔物を入れるだけなら誰も真似しない。魔石を埋め込む事が禁忌とされるのは、魔力を溜める性質を利用できるためだろう。
「魔石を埋め込めば、人間も魔物になるのか?」
「それはないです。単に禁忌を破った人間であって、器官として魔石を備えた生物とは別です」
「人間の姿を真似る魔物なんかと区別する方法はあるのか?」
「表面を似せるだけなら、生物としての違いは多いです。生活を観察すれば決定的な違いも見つかる思います。……あとは魔族ですね」
殺して確認しなくても、生活から違いを見つける手もあるようだ。
職業、地域によって異なる生活は統一できない。生活すら真似されるなら完全な手段ではない。即座に判別する事もできない。
「魔族も人に化ける、だったか」
「はい」
「紛れ込んでいる可能性はあるのか?」
「十分に考えられます。どちらにしても警戒は欠かせません」
自分が勝てたのは、まともな戦闘をしなかったからだ。相手が一撃で倒れなければ、魔法や武器で怪我を負わされたはずだ。
「体内に魔石があるかを調べる道具は無いのか?」
「あります。魔道具を判別する装置なら、隠ぺいするような加工も発見できるので、体内であっても、高い精度で魔石の有無を調べられるはずです」
「持ち歩かせるのは難しいか?」
「人が背負える代物ではないです。都市中の人を確認するのは量的に難しいですね」
「その前に疑われて逃げられるか」
「はい」
完全武装では街を歩けないため、襲ってきた時は逃げるしかない。
光神教の関係者を狙ってくるというなら、従者になった事で危険が増した事になる。
生活が安定するなんて利点も、狙われて生き残る力が無ければ無益だ。仮に、従者にならず探索者を続けていたとして、現時点まで生きられたかは分からない。怪我に怯えて、まともな稼ぎも無く、別の仕事をしていた可能性まである。
力量差なんで考えるのは無駄だろう。
戦って勝てない相手はいくらでもいる。戦争の時でも自分は少しの誤差で死ぬ存在であった。戦力を持つ集団との衝突なんて事態では、遠いところで死ぬ誰かのように不安定な存在だ。
「アケハさんも、街へ出る際には注意しておいてくださいね」
「そうするが、……出歩く事は止めないのか」
「戦争中には守ってもらった実績もあるので、心配はしても行動を縛るのは駄目だと」
一応、聖女を狙ったような襲撃だったため、守った形になる。
ただし、横を通り過ぎようとする盗人に足をかけたような、結果的に効果があっただけの小さな行動でしかない。
自分がおらずとも、結界で防げていたり、他の聖騎士が解決していた可能性もあった。
「認められているのか。……嫌われて避けられていると思っていたが?」
アプリリスとは話す機会も多いが、フィアリスはラナンといる時くらいしか顔を合わせない。
「フィアリスの事かな? まあ、避けられていると言えば、確かだと思う。嫌っているわけじゃないけど、会う機会を減らしているみたい」
発言する前のうなり声からも、打ち明けにくい事情は察せられた。
「ラナンなら相談を受けたりしているのか」
「うん。立場的な意味での、男女の懸案かな」
「まあ、それはなんとなくわかる気がする」
光神教に来てから、アプリリスの婚約問題や自分が表向きラナン付きの従者であったりと、男女関係の掟らしき存在を暗に見てきた。
フィアリスがこちらを避ける事も、関係していないなんて事は無いだろう。既に大迷惑をかけてしまっているのだ。
アプリリスの異常行動から始まった事であり、乗じて自分も従者になってしまった。
「とにかく、不本意であり、向こうから接してくる際には対応した方がいいんだよな」
「そうしてあげると、向こうの不安も納まると思う。あの時は突然で、事態も深刻だったから」
嫌われていたとても、即座に従者を辞められる状態ではない。言葉の通じない土地で捨てられるなんて事態には、明日の生存もままならない。
「確かに新しい事を取り入れるのは、面倒が多いみたいだな」
新しいではなく、歪みだろう。
「……無理やり当てはめた感じだけど、同意するしかないんだろうね」
長い唸り声の後には、長い沈黙が続いた。




