193.時代錯誤の舌
滞在する施設の一室で、現地の通訳者と顔を合わせる。
中央にある楕円形の机と取り囲む椅子だけが目立つ、壁や床の装飾を除けば、物が少ない部屋だ。机に配られた飲食物は、長い拘束が予定されているからだろう。
合図後に入った部屋には、四人の人間が並んでいた。
「交渉準備のための最低限は、既に交渉官が引き抜いたので、自由に選んでください」
「どう選ぶべきか、教えてくれないか?」
沈黙を破ってもらったアプリリスに再び頼る。
「まずは、目的に合う相手に絞るべきでしょう。通訳にも専門があり、交渉に従事する者や市場調査に同伴する者など、場によって飛び交う言葉に偏りがあります」
説明を貰った後、通訳者たちの方へ顔を戻す。
「街を歩きたい。都市の暮らしについて尋ねたい事もある。案内や観光が得意な人はいるか?」
「拘束時間や作業内容に変則的な部分があっても報酬は契約通りです。経験のある方は一歩前進してください」
条件を加えると、候補は半分の二人になる。
年功で礼服を着た男性と、年若い女性の一歩が変わらない。意志を示す際の歩幅に決まりがあるなら、自分が礼儀を守るには苦労するだろう。
「相性が合わなければ、途中で交代させる手もあります。外交部から法国の通訳士を借りても構いませんよ」
戦争時点で交渉を想定した準備は行われていた。自国の通訳を連れてくるのは当然かもしれない。
女性の方は陰りのある黄色髪を短くまとめている。隣と比べて頭二つ足りない背丈と容姿から察するに、十四を越えない程度だろう。
「かなり若そうだが、問題は無いのか?」
「最低期間が四年で、試験選考で一定の技量も保証されています」
こちらより労働経験は長く、実力が保証されている点でも信頼は高い。
年齢だけを基準にした自分より、実用的な選別がされているだろう。
「女性の方にする」
「わかりました」
男性の方は都市で連れ歩く姿が似合わない。庶民街を想像する場合には、女性の方が馴染む特徴を残している気がする。
「女性の方は、名前を教えてください」
「カナリアと申します」
女性は礼を見せた後、落ち着いた表情を保っていた。
「カナリアさんだけは詳しい話をするため呼び出すかもしれません。他の方も用があるまで自由に過ごしてください」
言い残したアプリリスと共に部屋を出る。
「アケハさん」
廊下を進んでいる途中で、アプリリスが足を止める。
「できれば、通訳の方は建物奥まで連れずに、待機室周辺で待たせるようにしてください」
「部外者を近寄らせるのは危険か」
「はい、その通りです」
一時的に雇っているだけで、交渉団の一員ではない。光神教の所属でもないため、うかつに聖者と接触させるわけにもいかないだろう。アプリリス自身が接触した今回も予定にない行動だった。他の従者なら不要な補助であり、面倒を多くかけている。
「あと、護衛が付かない点だけは注意しておいてください」
「見せない形でも、最低限の武装は必ず身に残しておくよ」
対応を異常に感じる事もある。アプリリス自身の気質なのか、自分が従者として異常な立場だからか。
歩みを再開して、廊下の小窓の横を通り抜ける。
「レウリファさんも連れて行きます?」
「できれば誘いたい。……難しいか?」
「視察が連日続くようなら、仕事の割り振りにも支障がでるので予定は早めに教えてください」
「そうする」
獣魔の世話を任せきりにする気は無いため、極端な事にはならないだろう。
「レウリファは役立っているのか……」
「こういう事は教育を受けないと難しいですから、諦めてください」
礼儀作法の場ではレウリファに勝てない。手持ちに余裕があったから買えただけで、当時は奴隷を望める稼ぎなど無かった。所有者に向けた教育がなされている点で、自分に向けられた商品でない事は分かっている。
「魔力なら提供できるから、魔道具なんかの供給作業を割り振ったりはできないか?」
できれば、役立つ形で雇われていたいのだ。
雇用期間の限界も不明で、アプリリスとの関係上、解雇と同時に殺処分される可能性まである。穏便に口止め料を貰う関係が現状である。身の都合で目立つ事は避けているが、横暴な態度を取った場合には処分される立場だろう。
長く、返答が来ない。
「アプリリス?」
呼びかけると、気付いたようにアプリリスの頭部が揺れた。
「いえ……。既にある作業を割り振って、雇っている人材に暇を与えるわけにもいきません。ただ、緊急の時には頼むかもしれません」
「破損の危険を考えると、実用前に技能検査が必須になるか。……面倒をかける」
「気にしないでください。従者らしい仕事を任せないのは私の意思ですから」
第二聖女であるアプリリスが自由を得るために雇った形である。素人を使って不自由するのは当然の結果だろう。
それでも、ラナンやフィアリスまで迷惑をかけてしまうのは気が重い。たとえ、敵対する関係であっても、発覚するまでは良い関係を保っておきたい。全く分からない今は邪魔物を続けるのも無駄だろう。
自分たちの談話室に戻ると、早速、アプリリスがレウリファに休日の話題を出す。
雇用関係で、レウリファが街へ出歩くにはアプリリスの同意が必要になる。こちらが話すより先に話題を通してくれたため、レウリファにとっては確認の手間が減らされた事になる。
レウリファの意思を聞いた後には、準備を始められるだろう。
一息ついた後に、通訳者のカナリアを呼び出す。
待機室近くにある未使用の部屋まで行き、扉前で確認してから利用する。
机と椅子だけが揃った部屋は、近くの廊下に複数並んでいる。どこも使われておらず、掃除で立ち入る以外で基本的に利用が無い。
「座ってくれ」
「かしこまりました」
扉を背後にするのは怖いため、自分が奥側に着く。相手が襲ってきても、壁や床を乱暴に叩けば外の者が気付く。扉へ突進して壊すだけの頑丈さも魔法で補っている。
カナリアの方が静かに着席していた。
庶民が少し贅沢して買う、畏まった服装だ。装飾の類は少なく、貴族の関係者という雰囲気も一切無い。探索者をしていた頃の自分は、これよりずっと安物で済ませていただろう。
「今だけ、敬語抜きの口調で話せないか?」
自分一人の場合は特に、敬われるのは苦しい。立場上、慣れるべきだが、いつまでも慣れない。対応としては不適切だろう。
カナリアも戸惑った様子で、開けた口も閉ざされた。
「まともな口調で話せるか分からないから、今後通じるか確認したい」
「失礼いたします」
同意が得られたようなので話を進める。
「通訳の仕事は、どんな感じなんだ?」
「私の場合、庶民向けの観光案内や移住の手伝いです」
口調は緩くなっても、姿勢は整っている。
「雇用主と街との仲介役で、普通だと、交易所で通貨を両替する事から始まって、生活品の買い足し、お店や宿屋の対応は当然ですね。都市に訪れて最初に雇う人間なので、荷運びや個人馬車といった他業種との、まとめ役を任される事もあります」
言葉も違う。通貨も異なる。この国に移るのは面倒らしい。
仲介役の利用は日常的な経験だが、庶民感覚で実感しづらい。職人の手作りを運んでくる商人の苦労は納得できそうだが、言葉にまで必要とは誰も思わない。
「移住の場合には規則の違いを説明したり、慣れない内の定期的な訪問も行うので、方々に走って、忙しいですよ」
特産品を求める行商だけかと思ったが、忙しくなる程度に珍しくないらしい。
説明の節々に加わるカナリアの手振りは、追う目が飽きない。
「雇おうにも、機会を作れなくないか?」
「定期的に国を渡る運び屋や、途中の村にいる仲介業に頼むのが安全ですね。都市にいる通訳と日程が揃わないと、大抵待たされます。通訳者は元々拘束時間が長く、忙しい時期だと探すだけでも大変でして、対応数を増やすために、交代で受け持つなんて器用な事もできません」
悲喜の仕草は特に明白で、感情は活発な方だろう。
「国境近くの村は片言で通じてしまうので、そのままの気分で来て戸惑う方も多く。公用語が違う事を警戒しないまま通訳との接触を忘れてしまい、門で案内を受ける場合もあります。その場合、余計な手間賃を払うわけですね」
緊張が解れてきたのか、頬には薄い朱も浮かんでいる。
「外町の売り込みに頼る手もありますが、問題を起こされた場合の補償が無いです。斡旋だけに見える組合も、まともな通訳を選別して雇用側の損失にも対応できる、私たち通訳にとって必要な組織なんですよ」
カナリアの勢いが止まる。説明を終えたらしい。
詳しいというか、細かった。
「また、同じような質問をするかもしれないが、頼むよ」
「気軽に話しかけてください。厳選をくぐり抜けて選ばれた分、しっかり働きます!」
身長差から見上げる形で、カナリアが明るい表情を動かした。




