190.終戦
開戦して四半月と少し。
竜撃砲の要請も数えてみれば数日のみ、聖者の出撃も昨日が最後らしい。
戦争が終わる。
人間という労働資源の利用は、効率化されてるのだろう。
自分の目では兵士や物資の動きを追い切れない。食事や睡眠まで予定に入れた戦闘など、想定とは別物である。理解の及ばない内は、実際と想像の差が埋まらないかもしれない。
短く終わった事は良い。
ラナンには大きな負担だったらしく、天幕の中では疲労を隠せずにいる。敵一人としか交戦しなかった自分とは比べるまでもない。
昼食を待つには早い時間帯、机と椅子で休む。
聖者聖女に相席する従者が自分である事を指摘する気は無い。レウリファに任される小憩の手配も、自分では満足に行えないのだ。
「戦争に勝てば、どうなるんだ?」
相手方から仕掛けてきた戦争であり、軍の事情を自分は知らない。
「都市一つと周辺地の割譲に加え、十年の停戦期間を設ける、というのが当初の計画でした。戦後の交渉次第なので、後は外交部のさじ加減でしょう」
半端な視線でした質問に、アプリリスが答えた。
「都市一つだと少なくないか?」
「過激ですね。……仲介役としての立場を失いそうです」
攻めてきた相手を返り討ちにしたのに、得る物が少ない。いや、遠因に第三聖女の存在があるなら過度な要求も、難しいかもしれない
「協定を守っている相手に、極端な要求はできません。都市の割譲も罰としての意味しかなく、法国にとって喜べない条件です」
「そうなのか?」
都市が増える分だけ人も増える。
得しない可能性となると、資源の貧しい地域だろうか。
「統治経験が足りない。法国は他国に囲まれており、長らく、国土を増やした経験が無い。新たに獲得した土地の統治には慣れていないのです」
アプリリスの言う通り、地図でも法国は圏外に面していない。他国へ侵略する機会がなければ、慣れていないというのも納得できる。
「既存の都市を得たとしても、現地の生活を一新するわけにもいかない。緩衝期間を設けるとしても、物価や政治体制の変化は、市民の大きな負担になります。反発で済めば上々、衰退具合によっては都市の存続も危ぶまれる。これまで他国という理由で許されてきた宗教観の違いも、今後は人材交流の障害になりますから、非常に面倒なのです」
話は分からないが、面倒らしい。
「戦後処理まで視察した資料はありますが、統治上書きの内情となると過干渉になるのか、参考にするにも欠けた部分が多いのです」
仲介役だとしても、他国の情報を探るには限度があるのだろう。
「とりあえず、不都合な事だけは分かった」
「詰め込み過ぎましたね。ごめんなさい」
「いや、教えてもらえて助かったよ」
急な変化が悪い事だけは分かった。
指示と行動で食い違いが生じれば、予想外な問題を起こしかねない。
「戦争後は、聖都に戻るのか?」
「もしかすると、割譲された都市の方へ向かうかもしれません」
「何か用事があるのか」
「自国代表として交渉の一団に聖者であるラナンが加わるなら、その際は聖女であるフィアリスも一緒になり、私たちも同行する形になるでしょう」
聖者が政治に関わるのは以前も見た。自国の戦争ともなれば重役に加えられる。
「意外でもないが、聖者も不自由だな」
「教会を建てる際に、候補地を絞るくらいは可能だと思いますよ」
光神教が広まっていないなら、教会も無いか。
教会の立地を選択できるのには驚くが、自由とは別問題だ。
「獣魔を連れて行くのは面倒になるか?」
「むしろ、連れて行きたいところですね」
聖者一行で獣魔を連れているのは自分だけだ。
馬と勝手が違う以上、遠出の手間を増やす事になる。
「相手方に好印象を与えるなら、ありがたい存在です。見せる機会があるかは分かりませんが、見る人が見れば、寛容と思って親しみを持ってくれるでしょう。獣魔の文化は向こうの方が優れていますから、理解のある住民は多いと思いますよ」
向こうでは獣魔の宿を探すにも、苦労は少ないかもしれない。
「光神教は魔物を根絶やしにする印象があるので、少しでも緩和したいところでしょう」
魔物に対抗する、洗礼と聖者だ。際立つ武力面が魔物排除を強めている。
実際には討伐組合の運営にも関わって獣魔登録も認めており、魔物一切を殺す事は無い。
知られていないか疑われているなら、実績を重ねて、信用を得るしかないだろう。
「獣魔の体調も確認しておく」
「お願いします」
慣れない環境で過ごす獣魔を快適に過ごさせるのが仕事であるなら、従者になる以前から続けていた事が稼ぎ変わった事になる。
立場が違えば、同じ行動でも価値が異なる。
予想外を身に受けて、変な気分だ。
平時を過ごして、夕方前に馬車で休む。
天幕では軍の人間も立ち入ってくるため、今はいない聖者や聖女も、落ち着く場所は馬車の中かもしれない。
座席に座らせたレウリファの袖をめくらせ、隣に自分が座る。
机にある道具を取る前に、ひとまず、毛並みを見る。少ない汚れも指で掴み取る程は無い。結局は櫛が活躍する。
日の終わり頃になって行う事ではないが、元々、毛繕いとしての意味は薄い。
「自分でした方が綺麗だろうに」
「アケハさんに、されるから良いんです」
力加減が正しいか、不安になる。相手の様子を探るにも、表情や指の動きでは細かい事は分からない。天候を気にして行う技量も持っていない。
「癖、付けてもいいんですよ。指でこねる程度で毛は抜けませんから」
「まだ、出歩く時間だからしないぞ。見られて悪い状態と思われたくないからな」
「そんな事に気付くのは、アプリリス様だけだと思います」
服の隙間から見える範囲など限られているが、アプリリスなら気付いたとしても驚かない。
湿気を気持ち拭った後で、櫛を流す。
手を振るだけでも新しい癖は付く。今の毛並みも決して実用的ではない。動きだすまでの短い時間、肌の感覚が揃う程度の小さな利益だろう。
元々、レウリファ自身で整えているため、極端に悪いという状況は発生しないのだ。
「働いている内に、不遇な目に遭っていないか?」
「やりがいもあって、良い仕事だと思います」
給料も高く、生活環境も良い。
不安さえ解消されるなら、自分も今の待遇に満足してしまうのかもしれない。
ダンジョンを操作できる事を明かして従者として働くのが難しくなっても、魔力量を活かす仕事なら可能かもしれない。
争いから遠ざけられている事で、命は守られると錯覚してしまう。嫌な期待だ。
「良い環境か……」
聖女付きの従者として働くようになってからも、レウリファは奴隷のまま。
既に手放す事はできない。こちらが殺される事態では共犯者と扱われるだろう。奴隷の立場しか、見捨てる言い訳が残されていない。自滅願望は無いが、見捨てても助からない状況であって欲しいとも思う。
「終わったぞ」
「助かりました」
「まあ、主人として与えられるのは、このくらいだからな」
目に見え、程度の知れた労力である。未知の危険が無いという意味では安心だろう。
片付けが終わった後もレウリファは袖を戻さず、こちらを見る。
「アケハさんも」
両手とも重ねて、体を寄せてくるレウリファと口づけを交わす。撫でる指を止めて顔を離すと、今度は抱擁を行う。
伝わる熱が落ち着く頃には、鼓動まで揃う。
熱と鼓動。違いが薄れていく経験は、既存の共通点を見返すより効果がある。変化という要素が加わるだけで、足りない今と重ねてしまう。自分の立ち位置とレウリファの生体に確かな共通点があるわけでもない。
それでも、異なると自覚していても、抱擁の回数が増すごとに少なくない影響があるだろう。
自分を扱い切る決断力も、確かな行動を選ぶ判断力も無い。状況に流されやすい事も、自分を知らず基準を持たないなら当然だろう。
これは欠陥だ。他人が生誕から積み重ねている経験を自分は持たない。人より自分が少ないために、環境に影響されやすい。
当然の欠陥でしかない。
「ありがとう。十分温まった」
「今度は私が満足するまで、付き合ってくれませんか」
「……わかった」
外を気にしない室内で、視界も閉ざして待つ。
相手を忘れない程度に、腕を動かして待つ。
自分に与えられた暇を使い切る。
戦争は勝利に終わった。
基地で行われた宴の中、ラナンとフィアリスが勝利を称える言葉を兵士に送っていた事は覚えている。
戦場だった平原を越えて、馬車に運ばれて国境を越える。




