188.焼け土
眩しさと熱さを弱める、かげり雲が空に広がっている。
基地中央の広場には聖騎士が多い。
門まで道が直線に繋がるよう設計され、物資の運搬や兵の待機に使われてきた場所に普段の様子は無く、動きという存在が広場だけ停滞しているような光景がある。
光神教が占有する外に見えるのは戦時の日常だ。
広場の中心付近にいる少数は、ここ数日で見慣れた顔触れである。聖者と聖女二人、そして従者の数人。自分とレウリファも含まれる。
進む先には台座がある。円周上に六つ立てられた腰丈ほどの柱と、地面の敷き布は当日になって設置された。
分厚い敷き布の中心にある模様は、円と流線の単純なものである。五、六人が手を繋ぐ大きさがあり、布や地面から目立つ一色で描かれている。
魔法を示すらしい。自分には扱えない。
魔法を扱うための補助具を利用し、厳重な警護の元で行われる。魔法を使う前に宣言する定例にならえば、普通は注意の一言で済ませるものだ。
ずいぶんと誇張された前準備は、質素倹約を表向きにする光神教には似合わない。
使われる魔法は、儀式の手間に見合う効果を備えているのだろう。
聖者と従者は足を止め、聖女だけが進む。
「大丈夫。私も付いているから」
軍の耳に届かない小声で、アプリリスがフィアリスの背を支え。愛称で呼び合った二人は、それぞれ意匠のある槍杖を持っている。
中央に接近した二人は、地面の模様を踏まない位置取りをした。
「《竜撃砲》を使用します」
フィアリスの宣言で始まった。
結界で隔てられた奥には、最初、聖女二人だけが立っていた。
変化が表れたのは中心で、何もない宙に見えた歪みだった。視界の先にいる聖騎士の輪郭が曲がり、球のように形どる。次第に大きさを増した歪みの球は、地面の模様に納まる限界まで膨れ上がった。
白いもやが表面を薄く包む球体こそ、竜撃砲と呼ぶ魔法なのだろう。取り囲む六つの柱の宙には、それぞれを繋ぐ白い輪が浮かんでおり。戦場の方に向けて赤い発光が一つある。
出来上がるまで、何度瞬きが許されたか。一人で戦う時には全く使えない。結界さえ越えられるなら、魔法の使えない敵でも対処できる。
戦場の安全圏に十分な護衛を付けて、ようやく実行できる代物だ。
アプリリスが杖をわずかに掲げると、台座全体を包んでいた結界が薄れる。
「基地側の結界を解いてください!」
大声の指示の後には、外の兵士が走る。
水面が揺れそうな振動が、足元だけでなく全身に届いている。
音と揺れの源は、広場の中心。
解除おわり、何時でも可能です、と男の声が告げる。
「第一射。放ちます」
フィアリスの声の直後、中央の塊が空へと飛んだ。
眩しくない視界を細める。
基地の壁を余裕をもって越えた速度には、目で追うしかない。引き込まれた周囲の空気は、人を転がされない程度に揺らし、地面から砂を巻き上げた。
「装置の点検を、第二射の準備をお願いします」
アプリリスの小さい声でも聞こえる空間が残る。
聖騎士の誓くに待機していた人員が近寄り、調べるように身を屈める。一度の使用で点検が要るなら壊れる場合もあるはず。近くに見当たらない替えも、馬車で拠点内に運んであるのだろう。
溜めを利かせた振動が地面を伝い、足との隙間を作る。
新たに生じた轟音は、鼓膜を長く押し続けた。
竜撃砲による長射程の攻撃は、その日、三度行われた。放たれた方向はそれぞれ異なっていたため、どれも十分な成果を挙げたのだろう。
翌日になると、聖騎士が門前に列を成した。
戦場に似合わない清潔な武装を着込む中、とりわけ目立つ全身鎧がフィアリスに寄る。
「行ってくる」
「応援してます」
目の覆いを持ち上げたラナンは、最後にこちらを見る。
「何かあったら、頼む」
「体を張って、時間は稼ぐ」
開門と同時に、聖者は一歩を踏み出し、後続の聖騎士たちと共に戦場へ向かった。
朝には聖者を見送り、昼には広場で聖女の魔法を眺める。光神教が活動を始めて、毎日がこれになった。
部外者である自分が壁の外を知るのは、空と地面の揺れだけ。暇な時間には基地の中を駆ける兵士を見て、飽きた頃に櫓の監視作業を眺める。戦況を詳しく知る機会は無く、ただ優勢とだけ教わる。
夕方になって戻ったラナンは毎回、鎧の輝きを土埃で失っている。
聖者を示す剣さえ、金属の鋭い臭いに泥と血が混ざる。そんな姿を見た翌朝には、新品のように見事に洗われた鎧で出撃していくのだ。
戦争相手を知らない。味方すべき側も分からない。
何も知らない状況に不安を覚えながら、役割を与えられない事に安心している部分もある。積極的に関与せず、責任を感じずに済んでいる。
光神教が敵と判明したわけでもない。
従者として給金が与えられているにも関わらず。仕事を任されない時点で疑われている可能性があるにも関わらず、貢献せず、信頼を得ようとしない。
待てば事態が好転するでもないのに、目先の安全に囚われている。
自身の行動ひとつで、今の安定さえ崩れるかもしれない。
殺されるのに今と後で違いがあるのか。どこまで生きれば自分は満足するのか。長生きしたければ備えを増やすべきなのに、周囲の目が怖い。監視の目が怖くて身動きが取れない。
自分の身を守れなど、他人が命令してくれるはずもなく当然の事だろうに、光神教という強大な力に怯えて、命令という言い訳がなければ動けなくなった。
失敗が怖い。
日暮れ前になって、ラナンに誘われる。
軍の基地を眺めにして座ると、普段集まる天幕は背に隠れる。腰を休める台は室内と異なり、硬く冷たい。
光神教の借地は、物で埋め尽くされる光景が無い。視界脇の箱馬車や箱積み諸々を除けば、正面奥にも道行く兵士の姿が見えている。
風も吹けば、混ざった物音も届く。少しの間、辺りに人は通らない。
ため息のような呼吸がラナンから聞こえた。
兜を脱いで以降の表情は暗い。帰還後に笑顔を残すのは傍にフィアリスがいる時くらい。安定して確保されている就寝時間も、連日の戦闘による疲労を回復するほどではないようだ。
ここへ来てから教会の食環境も大分改善され。調理、摂取しやすい料理が並んだ。作業を省いた雑感は自然な気配がして安心できる。皿数は手余りだが、以前ような遠巻きに管理、監視されている余裕が見られない。
疲労を増やさない環境作りも、戦時の聖者を落ち着かせる効果は足りないらしい。まあ、戦地の脇で一人遊ばれても困る。
人を殺した経験は有れど、大規模な戦闘に混ざった経験は無い。人が容易に死ぬ魔法が飛び交う環境で昼夜を過ごす趣味も無いため、遠ざけれられて良かったと思いはする。
ラナンのように強制された人間を理解するには、共感が足りない。
「戦った相手も人間だった」
背を緩めた姿は普段以上に小さい。
これに鎧と剣が足されると兵士を従える聖者になる。違和感を覚えるのは身近な人間だからだろうか。
知識と演技力が成すものなのか。仕事外で見せる姿は都市で見かける若者と変わらず、聖者という特別がラナン自身に備わっているようには見えない。
選ばれた時点で素質は確かなのだろうが、類する人間が他にいても納得できる。
聖者と判明した時は、特別に洗礼を受けたと聞く。皆と並んで受ける場合と違って、それこそ聖者を生み出すための洗礼だった。なんて事も妄想してしまう。
何であっても、ラナンが聖者である事に違いは無い。与えられた職務を遂行するだけだろう。
「国が違っても、自国のために戦うという兵の役割は変わらない。大本の立場の違いだけで同士を消耗する。自国の損耗を抑えるために一方を殲滅するのも綺麗事みたいじゃないか」
ラナンは話す間、うつむいている。
「互いの被害を覚悟で共存する事はできない。協定に沿う形で全体の損耗を抑えているのは確かだけど、戦争を行う側からすれば足りてない」
両肘を膝に預けて、重ねる手に力は無い。
「結局、僕の考えた共存というのも、負担を極少数に押し付ける事でしかない。現状と変わらず、分散具合の違いでしかない。協力できたところで何になるのか。領地が広がらない不満を、阻害している魔物に押し付ける事と同じ」
ラナンが呟く。
「人によって管理された土地というのは、他国と武力衝突してまで得たい物なのかな」
魔物対人間という構図においては、戦争相手も同類に入ってしまう。
勝手に入れたというべきか。現状の行為も足手まといか邪魔としか思えない。圏外を諦めたら死ね、なんて強要も無理解だろう。
立場の対立による問題なら、魔物も他国も大きく変わらない。協定の有無。程度の問題だろう。
「そこまで考えるのは無駄だろ。立場の違いなら、味方同士でも個人の立場がある。それぞれ利益に差は出て評価も変わるだろ。どうせ、味方しか評価しないし、味方内で満足するしかない」
敵に同情するほど心理的余裕は無い。推し量ったところで判明せず、思考は得た情報次第で容易に反転するものだろう。
国のために身を捧げる兵士も、敵国からすれば害だ。
「最低限の生活が保障されても利益の少ない場所には留まらない。誰も付いて来なくなるぞ」
味方を増やすにも、信用をさぐる期間は欲しい。
境の変化は個人の都合を待ってくれない。
手が届かない部分は見捨てるわけだが、見捨てるという認識も他からすれば思い上がりだ。知らない何かと新たに共存するなど日常では考えない。
「そうだよね。今でも十分なんだろうね。負けても都市の住民が虐殺される事は無い。隷属されるような事も無い。平和なんだろう。皆、今を守るために働いている。目標に沿った行動して満足できている。……生活に限界がある事実を知らなければ、僕は狂人か何かだろう」
自責というのか、最後の一言が重い。
「相手の国はこちら以上に、魔物の脅威を知っているのかもしれない。法国は圏外と接していない。魔族の脅威もとっくに理解していて、諦めているのかもしれない」
魔物という存在も、知らない者たちへ例え話をするなら野盗だ。被害を経験しても、対策ができるかは別。村規模なら土地を捨てる場合もあるだろう。
周囲の環境を想定に入れて、他国への干渉を選んだ可能性もある。
「人間が知っている広さなんて、ちっぽけだ。空も地面も、ずっと遠く広がっている」
人間の済む範囲がせまいとラナンが言うなら、圏外は人が期待できる広さなのだろう。噂では、似た大地が続くだけでなく、知らない地形も存在するらしい。海なんてのもそうだ。
人間が活用できる資源が、知る者には見えているのだろう。
「勝てないと自覚があって手軽な優劣にこだわるなら。住民から見た聖者なんてものは無駄の塊なのだろう。集めた資金で何をするのか。外の事を知らなければ、資源を捨てに行くのと変わらない。国が変わったとしても、生活に大きな変化は無い」
無知は責められない。個人次第であり、かく言う自分も怪しまれないように行動を抑えている。
「直接生活に関わらない事は、公表しても覚えないだろうね」
自覚の無い失敗も社会全体で負担する。おかげで知らない者からすれば、決まりという名の強要が増えるわけだ。
「むしろ注目すべきは、関わる立場からは支持が得られるという方だろ」
外に期待しても、何にもならない。
「知らない状況に流され戦場に来た身として、自分を守ってくれているのは外で戦う兵だ」
少なくない死者数も聞いている。指揮官のいる基地にも状況次第で戦火は届く。自分としては、兵士が身近な死を遠ざけてくれる事に助かっている。
身近な状況でしか意識できない事だ。共感や感情にも鮮度がある。遠い知り合いに対して興味は届かない。
「ラナンが働いてくれる事に感謝しかないし、頼りにしている。……俺が味方に思えてこないか?」
先ほどから見上げていたラナンが、悩み声を出した。
「それはそうだけど。……事実として味方なんだけどさ。別の目的があって、単に利用相手として見る場合でも同じ言葉を使いそうじゃない?」
自身の愚かを他人に背負わせる。今の自分にとって、ラナンの言葉は的確だ。組織の一員という自覚があれば、現状も当然だと納得できたはずだ。
「利益に変わりないし、価値基準が違うだけで、何でも利益の競争でしかないだろ」
仲間を作るのは、元々目的があるからだ。共通するとも限らないし、一方的な負担で終わる事もあるだろう。
「選ぶ側は自由だなあ」
「売る側も自由だろ。光神教という組織も資金回収に成功している。魔物排除という大義名分でも、個人では到底難しいだろ」
他人を利用するなら、相手に見合った方法を採用する。
意思疎通に言葉や仕草を使うように、賛同を得るために工程は必要だろう。無自覚に扱えてしまうから、新しい手段を探す事に違和感を覚えてしまうだけだ。
「既に出来ていた、か……」
「程度の問題だな」
話は半端に終わる。
次に出た言葉は、体を温めるために部屋に戻るという一声だった。




