186.戦争
宣戦布告を公表して、一か月半が過ぎる。
最短の都市から五日距離にある中立地帯の平原は、平原という名に似合わない。地図に書かれた土地は広大で、足跡で埋め尽くすのに一人の人生では足りない。本来は、足元の塵を引き留めない自然な芝が遠い林まで続いていたことだろう。
いくつか陣地を回る内に、異常な場所だと意識する。
低い防壁と重なる塹壕。街道でもない壁外に人が集まる。陣地各所に土嚢が積まれ、天幕と柵が並ぶ。近距離に建造物が集まった光景しか見当たらない。
自分たちが到着したのは、大方の陣地が組まれた後。開戦までの日数も残りわずかというところだった。
順調だった道中に一度だけ雨を降らせた空は今、遠くの争いを伝えている。
自分のいる場所は土と木で築かれた防壁に囲まれている。背丈の倍はある壁を越えた外に争いがある事だけ教えてくれる。櫓から見下ろす機会もなければ戦況は見えないだろう。
ルイス法国とアルドレ亜連合が交戦する中、基地のひとつに留まっている。
兵士だけでなく、聖騎士にも守られた場所に、自分の役割は無い。
近くに足跡を増やそうとする自分の元に、アプリリスがやってきた。
「気になりますか?」
「いや」
アプリリスの背後に見える建物には、生活の色が感じられない。暗色かつ硬質の外装は、塗りあげた土壁ではなく、板を重ねた構造をしている。素人作りで気になる歪みと隙間風は、正面の建物には存在していないだろう。
軍の司令部らしい。自分は立ち入れない。
並の探索者はダンジョンという環境に手を加えた経験など無く、見知った人工物といえば照明杭か組合施設くらい。やはり、大規模な争いは兵士の仕事なのだと思う。
少し前には、ただの平原だったという。
即席とは思えない門や馬小屋があり、矩形の石を積み上げた倉庫があれば、布に何かを塗り固めたような小屋もある。
村規模の設備を容易に築き上げる軍隊がいても、畑は都市周辺に留まり、人は圏外に広がらない。魔物の脅威は、人のそれ以上なのだろう。
「聖者は戦いに加わるんだよな?」
「はい。敵の陣形が変わる頃に投入されるみたいです」
地面には建物同士の経路を示す木材が等間隔に埋め込まれている。踏み固められた土にも足跡は付かない。
会話をする間にも外では死人が増え、軍という存在が少しずつ消耗されていく。
自分が魔物と戦う時には考えもしない事だ。戦う相手を選べず。軽度の怪我や疲れを感じても、回復を待つ暇を得られない。戦争には個人の余裕が感じられない。
結局、兵士という存在も数として回復する物でしかない。国の損益に比べれば、戦争による人の死は取り返しのつく損失に納まってしまう。他者という価値で、自分も量られる状況なのだ。
国を保つために必要だが、大抵の者は大怪我や死亡を前提とした活動など経験したくないはず。個と群れの価値が明確に示される事に納得できない。
起こりえる事など誰の想像にも難くない。扱われる物資や結果の規模が異なるだけの、依然として存在する事柄を見ずにいた。知らずに死んでいく人々と自身が同等であるなど、実感したくもない。
特別な理由がある自分は他者ほど直視しなくて済む。
聖女付きの従者という立場を利用して、戦線から離れた位置で戦争を傍観する。
壁越しの戦争なんて、中途半端だろう。
「ローリオラスの謀略なのか?」
「分かりません」
経由してきた都市にも、ダンジョンが破壊される事件が発生していた。
討伐組合の管理下にある施設を襲撃する。内部協力者や襲撃者の装備を揃えるといった手配の段階にも困難は多く、死者を複数出すほど事件の規模も大きい。
時期を重ねたように各都市で発生した事を考慮すれば、権力者が首謀した可能性は高い。周辺国を含めて貴族が複数関与するなら、大きな組織を思い浮かべてしまう。光神教の派閥対立も視野に入る。
壊したダンジョンコアは上質の魔石として代用できるため、討伐組合が流出させた物をもとに、強力な魔道具が作られないとも限らない。
同派閥の者を活躍させるか、あるいは敵国の兵として活躍するのか。戦争という状況において、登場する機会はあるだろう。
一応、少数の男神派ではなく、優勢な女神派が実行する利益も無くはない。
「単に知っただけという可能性はあります。他国の騒動に乗じて動く。私たちが離れている間に、本拠地を狙わないとも限りません」
「すぐ解決できる事ではなさそうだな」
否定は来ない。
「この戦争で勝てるのか?」
「分かりません。……けれど、勝つだけの武力は有していると断言します」
自分の目視では、自国の兵士が大量にいる程度しか分からない。軍部に立ち寄る聖者聖女なら、大体の戦力を知らされているだろう。
「聖者聖女がいるかぎり、敗北はありません。……私が殺されるまでは、頼りにしたまま安心していてください」
話すアプリリスに、ためらいは見えない。
能力の優を自負する、こちらに伝えようとしているのかもしれない。
最悪の想定として、聖者聖女を残して他が殺されている状態では、自分なら早々に諦めている。
「後はフィアリスの準備か……」
ラナンの鎧姿は到着してから一度見かけている。後はフィアリスの戦い方だ。
アプリリスが直接参戦しない件は、政治的な問題が関わるかもしれない。聖者と共にいる聖女といえばフィアリスであり、他二人の扱われ方は知らない。活動に自由が与えられるとしても、何らかの形で制限を含んでいるだろう。
「積み荷を広げるだけなので、軍が用いるような兵器より、ずっと簡単です」
「魔法なんだよな?」
弓や槍なんて代物ではない。
洗礼者を示すのは、やはり魔法だろう。
「ええ。……まだ数日先の話ですよ」
敵兵が被害を被るというのに、都合が良いと考えるべきか。
見せてもらう機会は他に無い。魔力を無駄に使うなら聖女も断っていたはず。被害を逸らす先が存在していなければ、本来、敵対した際に見る光景かもしれないのだ。
「近くで見ても邪魔にならないか?」
「至近に結界を張るので、その外であれば。好きに眺めてください」
「興味があるから見るよ」
聖騎士の護衛を割くつもりは無い。目の届く場所には留まる方が安全だ。
「魔法は好きですか?」
「今一番の関心ってところだな」
脅威となる可能性があるから見たいだけで、他人が強力な魔法を扱える事には喜べない。
聖者聖女に関する情報は少ないため、扱う魔法から見込みを付ける事にも価値はある。学園で一般的な魔法を見聞きした分、比較も可能だ。
国対国という時点で相当な規模であり、比較対象にもならない自分が劣る事は明白だ。個で勝っていると仮定しても、相手が有利を捨てて、個別に戦ってくれるなんて期待はしない。奇襲も数を重ねるたびに許されない状況になる。
であれば、敵同士を衝突させる手も必要になるのかもしれない。
「武術が下手だったから、魔法頼りなってしまった感じだろう」
そもそも、武器一つで戦うなんて者は才能のある限られた少数だ。並なら攻めずに守りを固める。壁や柵の合間から槍を突き付けるくらいが限度だ。剣という一点を活かせないなら、広範囲にわたる設備で戦う。大荷物を運ぶ労力で勝ち取るしかない。
自分が魔力量という有利を活用するのは当然だろう。
「あまり、執着しないのですね」
「魔法が活かせなくなるなら、また別を探すだけだな」
武術も弱く、魔法も劣るという場面が来れば、次に頼るのはダンジョン操作だろうか。
「アプリリスこそ、どうなんだ?」
「魔法ですか……」
正面に立つアプリリスとは、背丈で勝っている。
高い物に手が届くなんて少ない優位も、足場一つで意味を失う。高身長の者を雇っても解決するものだろう。背が高いという点さえ、一様に優れているとは言えない。
「ただの手段のひとつでしょうね」
アプリリスの両腕は、警戒させないよう滑らかに動かされている。
「生きるために他の選択肢が無く、選ぶほかなかった。生きていける今は、かつての選択が正しかったと思うしかありません」
「好きでも嫌いでもないか」
「比較する対象がありませんでしたから」
深く追及する気は無いが、価値を明確に定めた理由はあるらしい。
「軍の方では立ち通しだったか?」
「いえ、座る椅子も用意されていました」
「そうか。まあ、立ち話も疲れるし、部屋へ戻るか」
「はい」
戦争になっても空に大した変化は見られない。
少々の土煙も日々の誤差に納まるものだろう。
足元に視点を戻して、光神教に割り当てられた場所まで道を進む。




