176.剣姫
ロジェが選んだ場所は少数用の部屋だった。
更衣室と繋がる訓練場所は、室内にあるため雨の日にも使える。上側の通気口に加えて、閉じている窓を全開すれば風通りも調節できる。
更衣室の棚から察するに十人未満での利用が想定されている。二人には広い。
講義と重ならないよう予約して、教員から利用許可を得る。話の合間に語られたが、手配に手間を要しただろう。素人だとしても、時間分は対戦相手を務めたい。
聖騎士の訓練着の方が動きやすかったが、残念ながら普段持ち歩けるものでもない。とはいえ庶民向けではない値段で、運動用である事は確かだ。
男女での違いは見えず、体型に合わせて白色の中着と渋茶色の外装を着る。
革でない厚手の外装が、頭部や胴体、関節周りを保護しており、転倒での危険も減らされている。
後ろ髪を縛るロジェは模擬剣を二度ほど振ると、こちらに注意を戻す。
寄ってくる間に半目を解いて微笑む。
「どうですか?」
「準備はできた」
こちらの準備運動は長く、模擬剣を持って体を振り回し、最後は剣を様々に振る。
ロジェの場合は、後ろ髪さえ揺れたと言えない動きだった。
剣を振る腕に走りは合わせず、勢いを込める事も無い。
柔らかい人を斬るには十分な動きなのだろう。探索者であれば大体の魔物は振り回しの利く鈍器で構わない。刃がある事で力が集中するものの、当たってこその攻撃だ。
先ほどから見えている戦士の印で、一応の警戒はしている。勝てない自信はある。
「手合わせ、お願いします」
「ああ、頼む」
頷いた後は、真剣な表情で進み来る。
盾は無い。
一閃。
背丈肩幅を広く覆う大剣も見かけた事はあるが、小ぶりな模擬剣も自由に振り回せるほど軽くはない。
下げ気味に構えた剣は、想像より滑らかに動かされる。
踏みとどまるなら腕を振る間が失せてしまう。
大振りを抑えて、襲ってくる剣をひたすら弾く。
歩みに緩急は見えず、ロジェの体が揺れて、こちらの剣は空振る。
防いだはずの剣がなおも迫り、道に舞い込んだ布のように、こちらは振り払われる。
魔物相手に力と勢いで戦う時とは異なる、手数と余裕に満ちた動き。
手と足の動きが器用に合わない。
ロジェの違和感を追うほど、自分の動きが悪くなる。
「駄目。私を見て」
一撃を狙うたびに、疲れが増す。
筋力が劣っているわけでない。
避けられ、逸らされている。
込めた力を無駄に捨てているのは自分だ。
相手の想定内では勝てない。
「そう……」
諦める。足りないなら、賭けに出るしかない。
自分が多く経験してきたのは、一歩引いた戦いだ。
避けて逃げて、力で対抗して勝てない相手の隙を狙う。
安定した勝ちを狙えないなら、そうするしかない。
距離を取った後も、ロジェは悠々と歩く。
捨て身で突進する。剣を投げるより有効な手だ。
速度が変わらなければ寸止めも狙える。
こちらの方が腕は長い。一歩の幅もある。
屈み、踏み込み。
躱されたのは当然だろう。
「私の方が長生きできそうですね」
「勝てないな」
目の前にあるロジェの体がある。
「剣術はどのくらい続けているんだ?」
「十年以上ですね」
体を離した後、呼吸を整えるのは自分だけのようだ。
「長いな……。普段から鍛えているのか?」
問いかけると、話し辛そうしていた表情が晴れる。
「はい、歩きながら素振りしたり、剣筋だけを意識して変に振り回しています」
年数も含めて、自分よりは確実に鍛えている。
「一時は剣を抱いて寝たりもしていました。……鞘に納めた状態ですよ」
後付けの説明は疑わないが、剣に親しいというべきなのか。
「さすがに、それは疑わないぞ」
「そうですよね……」
ロジェ本人は否定して欲しかったのか、変に落ち込む。
「剣を扱う上で、秘訣があったりするか」
「あくまで私の主観ですけど、構いませんか?」
返事を返すと、ロジェが剣を横に抱える。
「剣を振るのは、相手を観察するついでにです。訓練を続けている内に、見覚えのある動きに勝手に反応するようになる。根性論ですね」
ロジェが話し終えると共に、撫でていた剣が下ろされる。
「俺の立ち回りだと、どんな感じになる?」
「アケハさんは冷静な感じです。剣が寄ってきても、痛みを想像して委縮する様子はありませんでした。戦い方を変えた事もあります」
「切り替えたのは、ロジェの一声がきっかけだけどな」
「聞こえていたんですね」
いや、他に音がなければ、聞こえるだろう。
「武器を構えると周りが見えなくなる方も多いので、聞こえるアケハさんは剣士としての見込みが十分にあります」
「落ち着いていたというなら、剣を受けても重い怪我をしない自信があったからだ」
訓練だからと安心している事もあるが、硬化魔法は常に使っている。
自分を刃の潰れた剣で殺すのは難しいだろう。
「自信ですか……」
「一応、魔法で防御している」
「全身、大丈夫という事?」
「ああ」
鋭い物では傷を浅くする程度だが、無かった時と比較するだけでも、少々の自信は付く。
「何か変ですね。魔法が苦手と聞いていたのに」
ロジェの疑問は当然だ。
魔法の一覧によると、全身強化は難しい部類に入っている。
制御によっては防御一方になり、他魔法と並列させないと攻撃できないという点でも、扱える者が限られてくる。
才能に余裕がなければ、まず全身強化を学ばない。
自分の場合は別だ。
一般の魔法が使えず、学べる魔法も限られる。
適性が無い事までは話さない方が良い。
「訓練相手というか、動く人形なら成れるぞ?」
「……少し卑屈すぎ。でも、相手をしてもらえるなら、いろいろ教えますね」
不審な表情を解いたロジェが、遅れて答えを出す。
「いいのか?」
「はい。でも時々ですよ」
「これから、よろしく頼む」
短い期間だが、技量は追い付かないまでも、自分の改善はできるだろう。
教えてくれるロジェの、時間も無駄にはできない。
「こちらこそ。お願いします」
握手で触れた肌は自分より柔らかい。
重い物を扱う者は皮が厚くなるという話を聞く。探索者でも、手の一部が濃く変色していたり、硬くなっている場合がある。
使い込んだ痕跡を、ロジェの手から感じ取れなかった。
再開した訓練では、指摘を受ける連続だった。
剣の振り方から体の動かし方まで。対人訓練に限らない指導をロジェが行う。
結局、挑戦して一方的に打たれたまま、ロジェの体へ剣が届く事は無かった。
更衣室は少数で使うわりに物が揃っている。
壁の一面だけ十ほどに仕切られた棚があり、休むための椅子もある。部屋まで繋げられた水道のおかげで、水場まで移動する聖騎士より楽をしている。
だが、男女で使うには悪い。
自分が上半身を拭く間、ロジェは衣服も脱げずに留まっていた。
「少しの間だけ、後ろを向いていてもらえませんか?」
「部屋を移ろうか?」
目線が気になるなら隣へ行かせればいい。訓練室なら外扉も開けない。
「いえ、向こうだと、体が冷えますから」
「わかった。終わったら呼んでくれ」
動きの無い景色を見ていると、背後で物音が鳴り始める。
脱げた服、絞られた布から滴った水。自分より時間をかけて行われている。体を拭くにも、髪を洗うにも。女性は容姿を厳しく見られるため手間がかかるようだ。
香水か何か。容器が開けられて閉じるまでの音。
「女性に傷をつけた男性が責任として結婚を申し出るという、おとぎ話を知っていますか?」
背後で着替えを進めているロジェが、話しかけてきた。
「いや、知らなかった」
気配が近づき、足音の最後には背中から風を感じた。
「こちらを向いて、服を脱いでください」
「ロジェ」
必要も無く、近寄られている。
すぐ逃げられるよう、姿勢を意識して体を回した。
「傷薬があるんですけど、使いませんか?」
目の前にいるロジェが容器を開けて、中の軟膏を見せてくる。
「思ったより強く当てたみたいで、アケハさんの肌に傷を残しそうなので……」
転倒したり、剣を受けた傷も数日で治るものでしかない。
ロジェが気にする事ではないが、先ほどの話に関係していそうで傷跡を早く消しておきたい。
受け取った傷薬も、匂いは普通だ。
「届かないと思うので、手助けしますね」
場所をわざわざ覚えるというのは、真面目過ぎる。
怪我をさせた事に負いがあるなら、任せた方が良いのだろう。
「手の届く場所は、先に自分でしていいか?」
「わかりました」
服を脱いでからは、自分の体を丁寧に見直して、今回が原因でないような傷も探す。
それでも見落としはあったらしく、傷薬を返されたロジェが体側面に薬を塗り込む。
「実は衝立があって、背後を向いてもらう必要も無かったんですよ」
「使っていたのか?」
「いいえ。アケハさんがいつ気付くのか、笑いをこらえていました」
いや、見られる心配をするのはロジェの方だ。言われる立場が逆になっている。
「あまり、慣れていないんですね」
「まあ、利用したのは初めてだな」
作業が終わり、ロジェが傷薬を鞄に片付ける。
服装を整えた後は、戸締りも済ませる。
訓練室を去る直前、外扉の手前で止まったロジェが振り向く。
「大体でいいので、予定の無い時間を教えてもらえませんか?」
「日は分からないが、昼以降なら空く場合が多いな」
「わかりました。次、会う時に決めましょう」
ロジェと別れて、待っている馬車へと向かう。




