175.転々
図書館は居心地が良い。
元々、学園自体に悪い印象が無い。
舞う砂は無く、周りの足音も少なく、内装から教会に似た無機質な臭いがありながら、通り過ぎる学生からは揃った目的を感じられない。
教会内でも注目された事は無いが、光神教を大敵と意識する分、緊張が残る。学園に行けば、教会と遠ざかった事に安堵して、他に意識が向かなくなるのだろう。
特に図書館は学園の中でも利用者の目的が明確で、話しかけられる機会も少ない。
だから良い。
自分が人類の敵だと発覚すれば、周囲にいる誰も敵視と共に攻撃を行うようになる。
そうであっても、最初は動くのは光神教だろう。身分を保証されている限り、他からの手出しは難しい。
今が一番行動できる期間なのだ。
二階に上がり、吹き抜け横の閲覧場所で過ごす。
一階と比べて人が少なく、長机につき利用者が一人いるか、いないか、という程度。どの棚に通っても、必ず近くの席を見つけられる。人の少ない現状を好ましく思えないが、目的がある者からすれば困らないものだ。
受講者のいない講義を持つマギポコは、他講義の助手を任されている。図書館に別の用途を探すも、静かな広い空間では利用者の少ない間しか存在できないだろう。
とにかく、図書館が存在する間は、知識を増やす目的で通う事ができる。
魔法の知識には、早くも限界が見えてきた。
体系化された魔法が使えない事で、実践向けの説明に理解が及ばない。初歩の魔法でさえ持続性や威力の調整に文字数を割かれ、規模が大きくなる程複雑になる、それは適性の無い者からすれば大体が無駄な内容だろう。
魔法名と数行の解説を読むだけで、流し読みしている状態だ。
一冊読み終えて壁時計を見るたび、魔法使いに怯える時間だったと呆れるばかりだ。
「アケハさん? また、お会いしましたね」
「ロジェ」
こちらを見た後、机の本に視線を向けてくる。
読み終えた数冊と、残りの一冊。何を思うのかは分からない。
眉をゆるめて笑ったロジェが正面の席に着く。
ロジェが持ち込むのは、魔法の原理や適性についての書物だ。知らない単語や統計資料に溢れた難読書である。魔法を苦手と語ったが、使えないわけではないのだろう。
手袋に加えて机を拭く布まで常備しており、関連書に読み慣れている。中には粉っぽい物を選んできて、司書に渡していた。
自分としては、特定状況で使われやすい魔法を覚え、対策を学ぶのが目的である。
魔法の可能性にだけ警戒すればいい。
大抵の魔法使いは基本だけを扱い、複雑な制御まで手が届かない、とはロジェの見地であり後で聞いたマギポコも同意であった。
ロジェと挨拶を済ませた後は、本を読みつつ時刻を確認する。
昼になり自分が図書館を出る際には再び言葉を交わす、という短い出来事が加わる。
本を閉じると、ロジェがこちらを向いている。
「もうお昼ですね」
「ああ」
「また、おすすめがあれば持ってきますね」
「助かる」
向かう棚が近い分、比較的手間は少ないはずだが、探す事自体は面倒だろう。
「アケハさん。一度、剣術の練習に加わってもらえませんか?」
学園の訓練着は貰ったまま、新品の状態だ。
「講義か?」
「いえ、個人的に場所を借りています」
学生も多く、訓練場所は複数ある事は想像できる。講師でない学生が個人で使用できるとは知らなかった。
「女に似合わないなんて言われて、組む相手も探せないんです」
「言っておくが、下手だぞ」
「構いません。良ければ多少の型は教えられます」
「時間があればな」
昼までとなると時間を用意するのも難しい。
「都合が付けば、で構いません」
「わかった。気にしておく」
加えて、自分は人相手に剣で戦う事を半ば諦めているため、積極的になれない。
ロジェと別れて図書館を立ち去り、馬車の停留所へ向かう。リーフの節約術は数日で極まり、帰りにマギポコの部屋の前を経由する工程も消えた。
先に待っていたリーフの手に応えて、速足で馬車に乗る。
「いつもどこにいるんだ?」
対面に座るリーフは、元々明るい表情に笑みを増す。
「芝生とか、人通りの少ない床かな」
具体的だが、場所は分からない。
「アケハさんこそ、どうやって暇を潰すんですか?」
「マギポコに教わらない時は、図書館に行ったり、別の講義を受けている」
「図書館ですか、どんな内容を読むの?」
「魔法や光神教関係だな」
「魔法はアレだけど、光神教については私も教えられますよ?」
アレとは何なのだろう。
「どんな内容なんだ?」
「人は皆は協力して生きましょうとか、魔法は正しく使いましょうとか……」
確かに標語として存在するが、それで組織が分かるわけでもない。
「神学書より内容が薄くないか?」
「なら、従者経験から得た話なんてのはどうです?」
欲しい情報だ。
聖女付きの従者となれば、他者とも関わりは多いはず。教会施設の間取りや、組織の構成、聖者聖女の立場は詳しく知っておきたい。
「教会内は意外と綺麗で、取り換えたばかりの絨毯なら寝転んで服の汚れを落としたりできて、あと、壁にもたれる場合は窓を正面にした方が民衆受けするとか」
掃除道具を使え。あと、そんな知識は要らない。
「それは参考になるのか?」
「えー。でも私と同じで、あまり作業は任されないでしょ」
「それは事実だな」
リーフも半日学園に通うが、教会に戻れば従者に戻る。
それ以上に暇が多い自分は、空き時間の過ごし方も見習うべきなのだろうか。
「二人なら梯子を運んでも怪しまれないでしょ。雨宿りもできる良い場所あるよ」
従者小屋に通っている時点で気にする段階は過ぎたかもしれないが、教会内で目立つような行動は避けたい。
「こだわる必要があるのか?」
床で寝転ぶという話が場所を選んだ上と思えない、リーフの判断基準には足りない部分があるだろう。
「当然、眠るだけでお金が貰える良い仕事だよ。代わりに質が求められるけどね」
まあ、教会側としても、リーフは一人で十分だろう。
教会に着けば、共同部屋に入って、アプリリスの報告を聞く。
ラナンとフィアリスはいない。聖都についてから、必ず会う状況というのは、朝夕に食事の席くらいだろう。こちらより忙しく過ごしている。
「学園に通って不足はありませんか?」
「進むには、進んでいる」
マギポコの講義の他でも、学園という環境を利用している。
ただ、得られた知識も有効活用する場は無い。
神学も二度ほど受けてみたが、講師の語る内容は分からず。聞き慣れない単語を覚えるので精一杯だった。
「十日通って場所には慣れてきますし、夕方まで通ってみませんか?」
夕方にしか受けられない講義はある。
半日だと知っていたため、講義の名前を見た程度で、受ける気は無かった。
「それだと獣魔の世話が難しくなるな」
獣魔を洗うのは数日置きで、食事も教会の飼育係に任せる事が多い。
構う時間も減っているが、会えない状況は困る。
「毎日ではなく、遅く帰りたい日だけで構いません。事前に分かれば御者の方も予定が組みやすいので」
「わかった」
マギポコにも用事があるため学園での自由時間が増える。ロジェからの剣術訓練の誘いも、応じる事は可能になるだろう。
後で、レウリファにも聞いてみるが、断わられる可能性は低い。
他に新しい情報も無く、茶会を済ませてからは自室で休む事になった。




