166.日和見主義
「対魔法学とは、どのような内容でしょうか?」
マギポコは答えず、視線を外して聞き取れない何かを呟く。
「まず、アケハは魔法という存在をどう捉えている?」
マギポコが視線を向けてくる。
「魔法とは何か。どういう物であり、魔法を扱う事で何ができるか。話せる限りで構わない説明してくれ」
答えるにも、魔法についての知識は少ない。
アンシーから硬化の魔法を教えてもらった以外では、討伐組合の資料で読むか、使徒と戦った聖者や、魔族であるサブレが使っていた姿を見たくらいだろう。
「魔物が人より頑丈な理由に魔法による強化があり、独自の魔法の有無で個体の脅威度が大きく変わる……」
硬化しか使えない自分は、どこにでもいる弱い魔物と同じだろうか。弱いと表現しつつ、自分で対処できるのはその程度でしかない。
「人間が魔法を扱うには、洗礼後に学ぶか、魔道具を持つ必要があり、魔法で可能な事といえば、直接触れずに物を動かしたり、何もないところから物を出現させたりと、対策を考えるには切りがない……」
物体を切断する魔法が使えるなら、都市を囲う分厚い壁も物陰を作る程度でしかない。
「事前に知っていないと対策も難しく、現象が起こされるまで目に見えない力だと思います」
魔法という存在は、携帯しやすい便利な道具だ。
「脅威度というと、討伐組合が情報元か?」
「はい。以前は探索者をしていました」
「なるほど。都合がいい。経験済みだと手間が省ける」
壁外に出る習慣が無ければ、魔物の実態も知らずに済む。探索者でもない者なら、魔物を解体して魔石が取れる事も知らないのではないだろうか。
自分みたく、人まで解体する者は多くいないだろう。
「一般に、魔力という存在を動かして起こる現象を魔法と呼ぶ」
魔力を動かして魔法になるのは実体験でわかっている。
「魔物は魔石に溜め込んだ魔力で魔法を起こす。体躯の差で脅威度が格段に変わるのは、大きな魔物ほど魔石も大きく、魔法の規模が大きくなりやすいためだ。魔法に長けた個体の駆除には膨大な労力を要する」
都市周辺や小さなダンジョンで出会う魔物は、数人がかりで対処する小物ばかりだ。過去の討伐記録には百人体制という例も少なくない。未攻略のダンジョンには大勢で向かう事もある。
討伐組合も、個別に動く探索者を依頼という形で集めて、未知に対して十分な警戒をしている。
「人間の場合は魔石ではなく、全身に帯びる形で魔力を溜め込む。最悪な表現をするが、人の腕をすり潰した塊でも、一部の魔道具は機能する。おそらく、洗礼を受けて魔石代わりになる何かを得ているのだろう」
何をされているのかは知らなくても、見かける大人は全員洗礼を済ませている。痛みがあるといっても、皆同じなら気にならないのだろう。
洗礼の効果を調べれば、人間が今以上に魔法を扱えるようになる可能性もありそうだ。
「魔力に好かれるという考え方もあるが、その場合、魔石に閉じ込める魔物は悪だろうな」
魔力に好かれる、魔力に意思があるというのは、自分をダンジョンに呼び出した精霊の事だろうか。
「魔力の動きは目に見えず、それによって起こされる魔法の規模も事前に見えない。一部の魔道具は目的に沿った形をしているが、それさえ確実ではない」
一番気になるのは、人間が魔力を帯びるという話だ。
硬化魔法を覚えるために、魔力の扱いを練習した。魔力の流れを実感するために、魔力を強引に動かす魔道具に何度も触れた。
自分の体に魔力の源を感じる。
魔力を奪い取られた感触、体の中央だけ魔力が保たれる感触。決して全身に広くという印象ではなく、魔力が保たれ続ける核を感じた。
単に自分の勘違いかもしれない。全身に帯びる魔力も、操作する場合には基点があるのかもしれない。
疑問に思ったところで、自分の経験だけでは確信できない。
「説明として誤りだが簡潔に言おう。魔法とはすべてであり、魔力とは見えないすべてだ」
マギポコの話は続いている。
「これまで多く研究されてきたが、万能性を持つ安定した存在という見解で済まされている。実際、魔法を扱えば、魔力を操る事さえできれば、大抵の事は可能だ。物理的な作用を無視して空を飛ぶ事もできれば、生身で火に飛び込む事も不可能ではない」
自分が唯一使える硬化の魔法でも、体が頑丈になり熱に耐性がつく。怪我の多い探索者には便利な物だ。魔法の無い以前の生活が危ない状況であった事は理解できる。
魔法の有無は行動範囲に大きく影響するはずだ。
「唯一の制限といえば量的な限界だろう。魔力は無尽蔵ではない。現象を起こすにも規模に見合った魔力を消費する。効率差はあるものの、魔力に対して魔力で対抗できてしまう」
マギポコが息を整えて、間を置く。
「まあ、何を基準にしているのかは断定できないが、魔法の規模と魔力の消費には定量的な関係がある。魔力は貨幣のような性質を持つらしい」
「金ですか?」
「ああ。基本、多い分には困らない存在だろう」
話を終えて廊下に出たところで、昼に戻ってくるリーフの姿は無い。
暇つぶしに学園内を歩きながら、通りがかった生徒に声をかけ、新設された屋上庭園に向かった。
貴族の庭で見かけるような高い樹木は見当たらない。人丈を越える木々と、生垣と。葉の大きさや茂り方の異なる植物が多く集められた、都市に数少ない、緑豊かな庭がある。
そよ風は臭いに混じり気が少なく、市街のそれより冷たい。屋外の日差しも、早朝の名残のような湿気で抑えられている。
雨の日でも泥を踏まずにすむ、敷石の細道を進み、入口からは見えなかった奥の建物に向かう。
途中にある花壇で区切られた芝や壁に垂れかかる蔦に、枯れた部分は見つけられない。
一度曲がった後の道は、やや丸みを残したまま分岐に届き、庭の形に沿って奥まで続いている。
進んだ先、低い生垣に囲まれた壁の無い、日陰用の建物には、すでに利用者がいる。
「むにゃむにゃ、もう食べられにゃい。――は!?」
声が止まり、机の上に突っ伏して寝ていたリーフが起きる。
「あれ? ……もう昼でしたか」
周囲をうかがうように顔を振り、最後はこちらに向ける。
「いや。まだ、寝たままで構わない。顔合わせが早く終わった」
「あー。それで暇だったから、ここに?」
「ああ」
初めから起きていたかのように、寝ぼけた様子は無い。
「迷わなかった?」
リーフが無表情から薄い笑みに移り変わる。
「学生から聞いた」
「……その割には、連れがいないけど」
「誘いは断わった。大勢で来るのも迷惑だろ」
「名前くらいは覚えておいた方がいいよ」
「これからは、気を付ける」
忘れる以前に、数人は名前も交わさなかった。
「あそこ、視線を向けてきてるよ」
入口付近は別として、壁が広く硝子張りになっており、建物内から庭園を眺められるようになっている。
立ち止まる者の中に見たような顔がある。
「さっそく、呼ぶ機会が来た感じ?」
「ここにいて構わないか?」
「もしもの時は、私が名前を尋るけど」
「助かる」
ため息をついたリーフが席の隣を叩いたため、日陰に入り、遠くの視線を背に座る。
「同僚のよしみとして、従者の過ごし方を教えてあげよう」
「寝るだけじゃないのか?」
「立ったまま寝るにもコツがあるんだよ」




