165.担当教授
一限目の講義を受けない学生を多く見かけたが、どれも視線を向けてくる程度だった。
部外者とはいえ教会の人間では対応も違うのかもしれない。
リーフの案内が止められる事は無く、連絡通路を通り、建物の階を上がり、立ち止まった時点で目的地に着く。
扉を叩いてリーフが名乗り、許可を得る。
立ち入った部屋は物が少なかった。
端しか埋まっていない本棚。壁付けの低い収納棚も天板が目立つ。
いくつかある机に散らばる紙束も棚を埋めるほどではなく、数少ない小物も部屋の輪郭を薄めるには足りない。
個室のようだが持ち主の個性に染められていない。間に合わせの部屋にも思える。
窓の光が遮られないのは、明るさという意味では良い。
「ようこそ、学園へ。指名くださり、以来心待ちにしておりました」
最後に、近付いてきた男を見る。
整えた広い髭に、皺のある手。すでに五十歳を過ぎていそうな老人だ。
「時間を用意してくださって、とても感謝しています」
リーフが挨拶をした後、互いの紹介を済ませる。
老いた体に似合わない、よどみない動きと張りのある声だ。
マギポコという名で、この学園で教授を務めているらしい。
「あ。これ、証明代わりの手紙ですけど、要ります?」
「受け取っておこう」
リーフの崩れた口調を、マギポコは気にしないようだ。
「それじゃあ。昼にまた来ます」
リーフが振り返り、こちらへ告げた。
横を通り抜けた後、扉前でリーフが止まる。入口脇の置物が気になるらしい。
球体の外周に小さな球体を浮かせているような、円に包まれた姿をしている。これまで見かけた事は無いが、立ち止まる程度には重要な物なのかもしれない。
外周の輪にリーフが触れると、それぞれの輪に付く小さな球体が複雑な動きを見せる。
光沢と色のある置物は、動きを止める様子が無い。
眺めている内にリーフが感心したような声を出して、部屋を出て行った。
「出ていったな」
マギポコが視線を動かす。こちらの頭から足まで観察しているようだ。
「まあ、席に座ると良い。こっちに来てくれ」
「はい」
案内で示された椅子に座る。
部屋の隅に置かれた寝袋は実用品だろうか。
「アケハといったな。魔法を教えるという話だが、……好みはあるのか?」
「近接を避けて、攻撃できるものが欲しいです」
「ふむ、具体的な例を挙げるか。《火球》や《土縄》、大規模なものでも問題は無いか?」
魔法の呼び名のようだが、知識が無いため分からない。
「まあ、迷うようなら、適性から調べるべきだな」
適性に合う魔法を選ぶというのは、ラナンが話していた通りだ。
マギポコが持ち出した板は、討伐組合でも見かけたものより、細工が多い。
「これに手のひらを付けてくれ。手袋は外すように」
自分の手の甲には洗礼印が見えない。
「待て、自分の印が何なのか覚えているか?」
「いえ、忘れました」
板に触れる直前にマギポコに気付かれる。洗礼の印は個人の特性が表れるため、変に騙るのは危険だろう。
印が薄いほど特性が弱いというなら、どの印でも対応は変わらないかもしれない。
「そうか」
「大抵の魔法は補助具を使えば、どうとでもなる。教会が付くなら費用の問題もなかろう」
止めていた手を板に付けると、マギポコが掴んでいる側の端が光る。
「もう、離していい」
マギポコが顔をゆがめる。道具を片づけた後も、考え込むよう額に触れる。
「悪い結果ですか?」
「適性が無い。おそらく、魔法を扱えんだろう」
不可能という事ではないはずだ。硬化の魔法は使えるのだ。
「ここまで低いと、基礎部分が成り立たん。補助という段階を越える。魔法を扱うというなら魔道具に任せるしかない」
適性を見て不可能と断言されているが、自分は魔法を使える。
「幸い発動には足りる。どんな立場か知らないが、一人のために大荷物を運ぶわけにはいかないだろう。魔道具を揃えるにも、小規模な魔法に絞るべきだな」
魔道具が使えるのは本当だ。
「結果に誤りは無いのですか?」
「……すでに魔法が使えるのか?」
「一つだけ、防御系の魔法を」
「今、ここで使えるか?」
頷いてから応える。
催促されたため硬化を使うと、マギポコがうなり声を吐く。
「面白い。使徒でないなら教会でも手を焼くか。確かに、これは公表できんな」
魔法を解くよう言われてから、腕の硬化を止める。
「どうですか?」
「こちらの発言は誤りだったな」
マギポコが腕を組み、指を踊らせている。
「訂正しよう。アケハは魔法は使えるとみていい。ただし、体系化された魔法が一切使えないのは確実だ。学園の講義を皆と並んで学ぶのは無駄だろう」
調べた適性に誤りは無く、別の理由で魔法が使えるらしい。
「しかし、魔道具の真似事となると専攻ではないな。単純なものでも多くは解明されていなかったはず。これは時間がかかるぞ。工程は思いつくが実際に可能か分からん。現に教えている者がいる以上、何らかの方法はあるのだろう」
途中から外れていった視線が戻ろ、額にあった手も離れた。
「手紙で内密するよう指示されている。他を呼びたいところだが少し待ってくれ」
内密と書かれていたなら、一対一で学ぶという話は事実らしい。
一言、告げるとマギポコが思考に集中するよう、こちらへの意識を再び諦めた。
マギポコが指名されている事は、作為を疑うほど都合が良い。
洗礼を受けた記憶が無いまま魔法が使える事実に疑問があり、これまで自分が魔物である可能性を消しきれなかった。今回の機会がなければ不安も収まらず、魔法を習うにも正規の手段は選べなかっただろう。
知る者を少数に限るという話も、原因を調べるマギポコが光神教の部外者である点も、不安を減らす助けになった。
聖者周りの戦力を敵対者に知られたくないなど、秘匿する理由はあるにしても、こちらが異常である事実を、教会側があらかじめ知っていたのではないかと疑ってしまう。聖者聖女、使徒の教育を行う以上、魔法に関する知識はあって当然だが、いつの間に調べられたのか知らない。
とにかく、人外とは判断されないようだが、自分は特殊な例のようだ。
「結論からいえば準備が要る。今日の間は話だけにしておこう」
思案から覚めたマギポコが、飲み物の準備をする。
瓶から注がれたお茶は温かく、一口飲んで潤しておく。
「まず、以前学んだ方法を教えてくれ」
「魔法を使う際の魔力の流れを再現する魔道具を使って、体内の魔力が強制的に動かされている状態を覚えて、同じ流れを意識的に作れるよう練習していました」
アンシーの時は適性を調べられた覚えがない。
板状の魔道具には触れていたし、魔力の有無も調べられていた。適性も同時に判断されていた可能性はあるだろう。他人が触れないよう注意も受けていた。
「無理やりという点でも面白い方法だ。現物は持ってきているのか?」
「いえ、すでに返して、手元にありません」
「本物なら容易に手に入るものでは無いな。知らない方が良い事もある」
拷問具だったか、処刑人でもなければ持つ者は少ないだろう。
「別の方法で学ぶ事になる。先に説明しておこう」
マギポコが器にあったお茶を飲み干した後に、姿勢を改めた。
「最初は魔力の総量を調べるつもりだ。あまり少ないと試すのも危険な場合がある。量次第で練習時間も調節するが、今後は自身の判断で休憩を増やして構わない」
魔力の総量というと、魔法を使える回数に関わってくるのだろう。魔法を使えない状態では、魔法の訓練などできない。
「次に魔力の扱いに慣れてもらう。魔法の妨害は教わっているか?」
「いえ」
「魔法の才能が無くても、魔力放出さえ覚えれば魔法使いへの対処も可能になる。相手次第だが、接近戦に持ち込めるはずだ」
魔力制御を妨害すれば魔法が使えないのは想像できる。アンシーの話では流れを乱せば自滅させる事も可能だそうだが、試す機会は無いだろう。
「魔力放出に慣れた頃に、新しい魔法を覚える。工程としてはこのくらいだな」
「期間はどれくらいになりますか?」
「能力次第だが限界まで詰めて六十。ひと月だな。半年でもいいくらいだ。魔力を回復する方法はある。だが多用は危険だ。特に短期間となると身体への悪影響は計り知れん。後遺症ものだろう」
自身の魔力に頼らず、魔道具を持ち運ぶなら、そういう心配も無いだろう。
「当然、空き時間は多くなる。魔法の習得と並列して、魔法への対処を学んでもらう。私が専攻する対魔法学の分野だ。仮想敵となる体系魔法の知識も同時に叩きこむ。魔物相手にも有効だろう。……対魔法学は嫌いか?」
「受けていないので分かりません」
「食わず嫌いは無いか。安心しろ。なんせ今期の受講生はいない。最も中退率が高い講義のひとつだが、誰でも受けられるという点で、職業割合の少ない講義とは格が違う」
マギポコが深い笑みを見せてくる。
「講義の時間だけなら、いくらでも確保できるぞ」
「お願いします」
手袋を外して握手を交わす。




