164.学園
鐘の音に起こされる事は、ここにくるまでにも都市の教会で経験している。
教会の敷地内にある鐘塔は、清掃を行う者以外は上がれないらしい。
朝の支度を済ませた後はレウリファと別れ、リーフと共に出発の時間を待っていた。
乗っているのは二人乗りの馬車だ。印を除けば教会の物と判断できない外装をしており、中も座席以外の設備は少ない。荷馬車は別として、市街で走らせる物としては、一般的なものだろう。詰めれば四人乗る事も難しくない。
聖者が遠出の際に使うような、寝台付き馬車と比較すると小さく感じる。
アプリリスの従者であるリーフは対面から視線を向けてくる。
「うーん。地味……というか、笑顔が欲しいですね」
「似合わないか?」
「いえ、色合いは似合ってますよ」
お互い、服の色合いは同じだ。従者の服を着ているため、教会関係者だと一目で分かる。
「学園内に教会関係者は少ないよな?」
「まったく、いないね。正式な訪問でもなければ、誰も立ち入らない」
教会色をまとって目立つのは今日限り。以降は、すでに受け取っている学生服を着る。
「講義の時間中に訪ねるから、人混みも抑えられるはずだけど。実際はどうだろうね」
「立場の無いような人間だぞ」
「部外者はそんな事情は気にしない。教会というだけでも繋がりはあって損は無いでしょ」
リーフは前傾になりながら幕を寄せた小窓から外を覗いている
聖都に来たばかりで、教会の敷地から出た事が無い。街の景観に違いはあるだろうか。
「それに聖者付きと知れば、無理に群がってくるかもね」
「嫌だな」
「大丈夫。時間をずらして最初の勢いも抑えているし、慣れた頃には甘いお誘いも失せるよ」
聖者付きとは公表されない。立場を明かすのは面倒が多いかもしれない。
「リーフには詰め寄ってこないのか?」
「まさか? 女に寄るのは婚約目当てだし、教会の下っ端といえば庶民だよ。無い、無い」
小窓から遠ざかると、払うように腕を振る。下ろした手には戦士の印があった。
「しっかり背中に付くから、的になって私を安心させて」
リーフは組んだ両手を持ち上げると、顔を半分ほど隠す。
「荒事になった時は助けてくれ。盾代わりする分には構わない。丈夫さだけが取り柄だからな」
「嘘でしょ。決闘なんて馬鹿は今どき行われないけど。力勝負で勝てないのは頼りない」
急に落ち込んだリーフが、前に崩れた姿勢を戻す。
「……まあ、不当に傷害を負わされた場合は、教会からの圧力で平貴族はペシャンコだろうけどね」
「武器がなければ軽い傷で済むし、危なければ走って逃げるが構わないか?」
学園は魔法を学ぶ場所であるため、出会う学生は使えるとみていい。
魔法による攻撃なら一撃で死ぬかもしれない。
「うんうん。私も逃げ足には自信あるよ。通路だけは覚えておいてね。あー、アケハは探索者だっけ。そっちの連中の方が乱暴だろうね」
探索者でも、街中で乱闘するとなると酒で興が乗る酒場くらいだろう。
「意地の張り合いなら盛り上がりそうだけど、大事になる前に警備の人が制止してくれそうだよ。……ってなんで暴力沙汰なの? どらちかといえば言いくるめられて、連れ去られる心配が先じゃない? 例えば、これ」
そう言いながら、リーフが横の荷物から小さな容器を取り出す。
指先で掴むと、こちらの眼前に持ち上げてくる。
「なんだと思う?」
丸めの容器だ。色の付けられた硝子細工で、液体が詰められているのか、中で水面が揺れている。彫り跡も滑らかで、作るのにどれだけ手間がかかるのか、値段も相当だろう。
飲み水にしては量が少ない。気付け用の強い酒なら、丈夫な容器に入れるだろう。
会話に関わる道具、話題になるような液体か容器になるようだが。
「わからないな」
答えを求めているらしく、リーフからは笑みしか返ってこない。
口角が細く持ち上げられた後は前傾が増して、容器の奥からリーフの体も近づく。
歯を見せると話すように口を開けてくる。
「これはねー」
話の途中で、馬車が速度を落とした。
「――あっ!」
驚いたリーフが姿勢を崩し、抜け出た容器をこちらで掴み取る。
背を打ったリーフが今度は迫ってきて、容器を掴む手に手が重なる。
焦ったのか勢いがあり、重ねた手もずれて、リーフが体ごと倒れてきた。
「リーフ、大丈夫か?」
半ば抱き着かれている状態で、リーフから退く気配は無い。
直接見れない硝子容器は、手ごたえがあるため無事のようだ。
「あー、うん。……ありがと」
人間と違う、薄甘い花のような匂いがする。香水を付けているのだろう。
再び、馬車が動き出して、体が押し付けられる。
「座れるか?」
「あっ、ごめん」
急に離れて風が生まれる。遠ざかった匂いは、馬車が持つそれに隠れていった。
「これ返すぞ」
「うん」
受け皿にする手に容器を置くと、少し間があって荷物の中にしまわれる。
「えーと、そう!」
横向きの姿勢が戻ると同時にリーフが声を出す。
「気を付けておくのは、か弱くない女の子が倒れてきて、香水をかけるアレね」
両腕が膝を押さえて、張ったような姿勢を取っている。
「匂いが落ちないまま自宅に帰り、両親ばれて交友関係を疑われて、女の子の実家に確認されて、謝罪の面会に来て、っていう風に関係がずるずる進んで、結婚する結末になるんだよ!」
「そうなのか?」
「そうだよ! 異性の噂は広まると面倒なんだ。貴族連中は約束事に厳しいからね」
「まあ、わかった」
リーフは長く息を吐いて、姿勢を緩める。
「……人を避ければ、ひとまず問題無いよな」
「大問題だよ!」
リーフが勢いをつけて立つふりをする。
「名高い光神教の者が人を避けているなんて悪評は下手でも止めて。いっそ、豪遊してもらった方がましなくらいだよ」
「それも、それでどうなんだ?」
「清廉潔白、汚職豪遊。アケハも立ち振る舞いは堂々とすべきだよ」
胸に手を置いて話しているが、リーフは処世術に長けているのだろうか。
「聖者への悪評を防ぐなら、一択しかないんだが」
「まあ、そうだね。頑張って」
「リーフは、学園で眠るなんて話をしていなかったか?」
「見つからなければいいんだよ」
空き時間の対応は、従者経験の長いリーフから学ぶべきだろう。
「そんなものか」
「そんなものだよ」
あまり、参考になりそうにない。
こちらの考えを察したようにリーフが頭を傾けた。
落ち着いたリーフは小窓から外を覗く。
馬車道を進んでいるため、歩道より景色は広いだろう。
「もうすぐ、到着だよ」
誘われて、外を眺める。
歩道には制服を着た学生が歩いており、その横には高い塀が道に沿って続いている。
塀の奥にある施設が学園なのだろう。
眺めている間に長い距離を移動したが、景色に大きな変化は無い。庶民の建物なら何軒も通り過ぎていただろう。
到着目前になり、窓から遠ざかるように言われる。
服のしわを確認する間に、馬車の速度は落とされ、おそらく敷地の中に入る。
呼び鈴が鳴らされ、返事をした後に馬車を下りる。
馬車の停留場は、旋回用に広い道があり、中央に景観用の植物が設置されている。馬車道の掃除は欠かせないため、樹木の落ち葉もついでに回収されているのだろう。
「それじゃあ、また昼に」
「帰りもお願いします」
リーフの声に続き、運んでくれた御者に礼をいってから馬車を離れる。




