158.わだちと足跡
教会に留まっていた数日も過ぎた。
出立の予定もあって、移動が許されたのは一般人が立ち入れない範囲であり、自宅で過ごした時とも似た、市街の喧噪から離れた日々だった。
滞在中は自由時間ばかりで、残りも聖者たちと同席する程度、教会の業務に関わる事もなければ、掃除洗濯食事も任せきり、雑務を頼まれる事も無かった。
持ち込んだ獣魔の世話だけしていた時点で、アプリリスの関係を除いて、こちらを雇う意味は無かっただろう。
フィアリスが同情気味に語った、ラナンと過ごす時間が増えたという内容も、アプリリスだけ居ない状況があったため確かかもしれないが、部外者を雇ってまで喜ぶ事ではないはず。
教会内での待遇も良かったため、自分は悪い気もしないが、この状況が長く続けられるとは思えない。
見覚えのある馬車と乗り込んでいるのは、聖者ラナンと聖女フィアリス、アプリリスと顔触れまで同じである。
アプリリスに付いているラクレが別の馬車に乗っている事から、レウリファと自分に与えられた従者という役職は本当に名前だけのものだ。
集中できない室内、徒歩ではない移動で距離感はあやふやになる。王都の門をいつ出たかも分からず、三度目の休憩をする時には、王都の姿は山の背に隠れていた。
法国の中央に向かうまでに都市を複数経由する、この移動は長くかかる。
会話の話題も尽き、空いた時間は増える。光神教について質問し続けるのは相手にとっても面倒であり、歩くより揺れが少なそうな室内は、お菓子や飲み物といった暇を潰す物も備えられている。
定期的に行う馬車休憩では、獣魔と駆けたり、ラナンと剣を重ねるため、それまでの体力回復という点では、寝転ぶ事さえ悪く思われないだろう。
自分が持ってきた数少ない玩具を取り出す。
両膝に置く大きさの箱に入っている物はアンシーから貰った魔道具だ。
握りやすい形に整えられた筒のような物を取り出して、底の部分から魔石を差し込む。青い結晶が露出している状態は気になるが、それ以上は奥に詰められない。
硬化魔法を止めた後に、魔道具へと魔力を込める。
非常に単純な流れで魔力を扱う方が、魔石からの抵抗が少なく、上部が光出す時間も短い。レウリファの首輪に魔力を送る場合も同じだったらしい。
魔石の抵抗を無視して強引に魔力を流した場合は点滅した光で異常を示してくる。正常な場合と区別できるため、魔力供給を早く習得できるだろう。
これを続けていけば、いずれ専用の魔道具無しで、直接魔石に魔力を込める事が可能になる。習熟すれば魔道具関係の仕事にもなるため、悪い事は無い。魔法を扱う上でも、魔力操作を試す機会は増やしておきたい。
待たない内に上部が光る。一番低質の魔石で試すと、こんなものだ。
光出した後は魔力の注入を止め、人差し指、中指の二指を引いてボタンを動かす。引いた感触と音の後、次第に光が薄れていく。消えれば、魔石内の魔力が尽きた事になる。
実のところ、意識して魔力を送らなくても、馬が休憩する時間、四半刻程度、掴んでいると勝手に光りだしてしまう。元々、故障していなければ、自分は普段から魔力を垂れ流している事になる。まだ、他の魔石で試していないが、高質の魔石となると一晩中掴み続けても光りそうにない。もう少し暇が作れる頃にでも試すべきだろう。
光が消えた事を確認して、魔石を魔道具から外す。箱にある別の魔石と入れ替えて、再び魔力の注入を試す。
「昨日も光らせていましたけど、それは何の道具ですか?」
反対側で見ているだけのラナンが気になるのは当然だろう。行う動作といえば、時折箱から出して、一時だけ光らせては片づけるだけ。
魔道具という事は教会にも知られている。光を出すだけだと、他人の手でも検査されている。ラナンに伝わっていないとしても、害のある物とは思われていないだろう。
「魔力を溜めて、光を出すだけの魔道具だな」
「それだけですか……」
「ああ。これ単品はそうだが、中に挿入する魔石はそれぞれ品質が違う」
魔石によって、魔力を流す際の抵抗も、溜まる量も異なる。魔石の品質が魔道具の大きさに関わる事は実感できる。買取値段が違う理由も、少しは実感できる。
話し始めると、他の視線も集まる。それくらいに暇がある。
「回数に限りがある魔道具をいくつか持っていて、戦いに使うなら、自分で補充した方が良いと思ってな」
オリヴィアから貰った魔道具の指輪が2つある。
魔道具に魔力を込める店がある以上、任せた方が壊れる危険も無い。ただ、戦いで利用するには、回数が一度きりというのは頼りないため、自分で補いたいのだ。
専門の者から方法を教えてもらえない場合は、消音の指輪で試すのも悪くない。用途の無い方なら壊れても損失は少ないだろう。
奴隷の首輪の方は、素人でも魔力を込められるよう設計されているのか、魔力を込める際に苦労した覚えは無い。
「そうですね。毎度、お店に行けるとも限りませんし、取り換えできる物でも替えの魔石が荷物になりますから。良いと思います」
ダンジョン襲撃者も替えの魔石を持っていた。荷物が増え、取り換えの手間もある。充填の出費まであるのだから、魔道具の管理は面倒だろう。
初めから、素人でも扱えて魔石の取り換えが不要な魔道具を買えばいいのだが、そうもいかない。照明の魔道具も値段が高く、庶民には手が出せない。
「僕も遠出をする事はあるので……。もしかして、従者にした事と関係あります?」
「いや、元々欲しいと思っていた。機会があれば買っていたはず」
はたして、機会があったのか。
照明というには光が弱く、魔道具としての魅力は低く、店に並べられていたとしても、別の物に目が移る可能性はある。
道具の整備や普段の生活、魔道具がなくても出費はあった。家賃に見合う稼ぎは無かったのだから、一生買えない可能性まであった。そう、貰う機会が無ければ、手に入らなかっただろう。
まず、貰い物だ。値段を知らない。
掴めるほど大きな魔石は貴重だろう。買取の場で数回見かけたぐらい、自分で魔物から取り出した経験など無い。買取表を見て存在を知っているだけだ。
「ここまで大きな魔石だと、得られる魔物は少なそうだが、実際はどうなんだ?」
「えと、大きさだけなら、どうとでもできるみたいですよ」
意外だ。
「魔道具に使われる魔石は、複数を合わせて成形した物もあって、そのままでは使えない低質の魔石なんかを砕いて、その粉を繋ぎとして利用するといった話を聞いた事があります」
なるほど、確かに形が整っている魔石など魔物から獲れない。削って整えるだけだと小さなものばかりになり、紛失や取り換えの面倒がある。常に携帯する物でもなければ、大きい方が良い。
討伐組合で小さな魔石も買い取りに含まれていた時点で、廃棄するだけという事は考えにくく、用途があるのは確かだろう。
「となると、この魔石もいくかの魔石を合わせた物なのか」
「だと思います」
そうすると、繋ぎに使われた魔石の品質によって、魔力の通り具合も変わるかもしれない。
「大きな魔石から削り取る方法だと、欠陥や故障が少なくできるみたいです。けど、値段は相当高くなりませんか?」
「買取の時点で倍では済まないな」
単に倍の大きさでも値段はそれ以上。削り落とす事を考えると、大きな魔石を準備するだろう。
何にしても、握れる大きさがあり、比較できるほど品質差がある魔石、それが4つ。高価な事に違いない。
「自分の魔力量の確認にも使えたりしますか?」
「試した事が無かったな」
どうだろう。
魔力を喪失する感覚といえば、硬化魔法を覚えていた頃に経験がある。魔道具の板に触れた際の感触こそ、それだろう。ただし、それも一時だけでしかなかった。何度も試すうちに苦痛にも慣れたか、魔力に余裕が増したか。
最近でも、魔力充填を練習しない間は、常に硬化魔法を保つように意識している。再び限界を意識する事はあるのだろうか。
魔法に魔力が不要なんて矛盾は考えない。魔道具だって魔力を消費している。硬化魔法では使い切れないほど、魔力を蓄えるようになるというのも変だろう。練習するだけで使い放題になるなら、戦力に困る事など無い。
敵対して戦った探索者に魔法を使う者はいた。土埃を作り、炎を放出する。出し続けてくる事は無く。最後は命令した魔物に殺されていた。
単に慣れていなかったという事は考えにくい。魔法の習熟に金がかかるのは知っているが、借金の返済に追われていたとしても、慣れた後の比較的安全な稼ぎを選ぶだろう。
限界があるというラナンの話も元々変だ。魔力を蓄えるなら人間も魔石を持つと考えてしまう。だが、人間は魔物ではない。魔石も見つけた事も無い。
洗礼を受けると魔法が使えるようになる。魔石とは別に魔力を蓄えているのか。
「魔石を体内に埋め込めば、魔力量が増えたりするのか?」
体内の魔力を操作できるなら、魔石に蓄えたりできないだろうか。
ラナンは見開いた後、目を落ち着ける。
「アケハさん。確かに魔石を埋め込めば、魔力の保有量は上がりそうですが、それは禁忌ですよ」
認められていないらしい。
「元々、体に存在しない物ですから、埋め込む事で悪影響が出るかもしれません。禁止されている以上、何らかの不都合があるのだと思います。それに、望んで魔物と同じになるのは印象が悪いです」
「そうなら難しいだろうな」
魔石を持つ魔物と同類になるのは、その通りだが、埋め込んでしまえば外見では判断できない。傷口だって縫合でき、言い訳も簡単だろう。
体に影響が現れるなら無理な話かもしれない。元々人間が魔石も無く、魔法を扱っているため、魔石を埋め込んだところで扱えるのかは不確かで、単に体重と違和感が増す無駄手間になる可能性もある。
魔物が人間の邪魔になっている事は分かる。害のある生物が少なければ、壁も要らず、暮らす場所も広がるだろう。魔物は人間の脅威である。
獣魔の扱いも人間とは異なるため、魔物に対して悪感情を持たれている事は知っている。人間を守っている光神教が、魔物を好むというのは難しいのだろう。
レウリファがこの場にいる事を考えると、魔物自体を嫌っているわけではなく、脅威となる個体を区別している。雨衣狼も夜気鳥も手放せなんて強要はされていない。
大抵の魔物が危険である事は事実で、一般に嫌われる事は仕方の無い事情だろう。




