155.黄昏アンシー
真昼を越えたところでアンシーの家に向かう。
小雨の湿り気が残る今は、日差しも弱く、重ね着をする寒さが続いている。隣家の手前に置かれた席と共に、たき火の場所も用意されていた。
正面扉を叩いて、アンシーを呼んだ後、裏口に回る。一人で行うには面倒な作業を手伝い。食事前に休憩の時間を作った。
庭のこちら側から自宅を見る事は少ない。とはいえ、間近にある物といえば、隣家か崖の景色と大きな違いは無い。端にある分、庭を広く見渡せるくらいだ。
獣魔たちは体を休めているのか、自宅の陰に隠れて、動く姿は見えない。遠出の頻度は下がったため、壁外で運動する用事を作った方がいい。見慣れた庭では満足できない事もあるだろう。
机に置かれた照明の火は、保護の硝子が不要なほど落ち着いている。風が吹くようなら体を冷やさないために中で食事を行っていたかもしれない。
脇にいくつかある箱には食材や飲み物が詰められている。火が作られない内は、アンシーの指示を待つばかりだ。
屈んでいるアンシーは薪を積んでいく。火口となる小さな端材を置き、着火の道具を持たずに、指で指した先に火を作る。
驚きはしない。
洗礼を受けた人間の少数が持つ魔法という暗器には諦めている。知識がない現状では、盾で遮るのが唯一だろう。
自分が持つ硬化の魔法では、肉を切る刃には耐えられず、肉を焼く火には耐えられない。椅子に足先をぶつけたり、泡立つお湯に手を入れる程度が精々だ。程度が悪ければ、痣も火傷跡も生じる。
魔法に対して不安しかない。
人間全てが脅威とまでは思っていない。都市を壁で囲う必要など無かっただろう。
「アケハ。箱、開けてくれる?」
「飲み物で合っているか?」
「うん」
机の脇、台で底上げしてある箱を開ける。
手に取った瓶は若干温かい。中身は澄んだ色の果実酒で、先ほど味わった限りでは酸味と甘味が強く、後味が残らないものだった。柑橘系らしい。
瓶を傾けて、注ぎ終えるより先に、アンシーは正面の席に着いた。
「ありがと」
アンシーは器を受け取ると、口元に運んで小さく傾ける。飲み干さず、口に含む程度だろう。
器を離した手は机に放り出された。
「何から食べる?」
「まだ覗いていなかったから、少し待ってくれ」
火が弱く、金網も台座に置かれていない。確かめる余裕はあるだろう。箱のふたを開けていい、中を覗く。
布や紙で包まれた肉、籠に入った魚や貝類。最後の箱には野菜も用意されていた。これだけの種類を取り揃えるには市場をめぐる必要があっただろう。
「川モノまで用意してあるのか」
「目の付け所は悪くない。珍味なのは事実だよ。……けど、川じゃないんだ」
川でなければ、沼か湖か。
「このところずっと待っていて、ようやく届いた代物でね。海だよ」
「海というと圏外か?」
塩の湖。資料で目にした事は無いが、アプリリスの話で聞いた事がある。
「そう! 辺境から二十日距離ほどの海」
圏外となると普通の探索者では侵入が制限されている。圏外行きの探索者に依頼していたのだろうか。
「どうやって手に入れたんだ?」
「資金援助だよ。圏外調査の支援をする代わりに、獲れ高の一部を配当として受け取る」
アンシーは箱の上部を叩いて示してくる。
隙間もあるが、抱える大きさの箱に入れる量がある。運搬した探索者の手間は相当だ。圏外は魔物の数も脅威も桁違いと聞く。孤立した中で魔物に遭遇してしまえば、重荷はまず捨ててしまうだろう。
「調査のおまけだから見返りとしては少ない。帰らなくなる例もあるから、賭けにしては分が悪い。金額も金額だから一市民では行えないものだよ」
まあ、自分は金を出す気にはなれない。生活を整えるのが先だ。
「私の場合、既知の食料を優先してもらった。比較的、量を貰っている方だね」
「舌が弱らない内に食べておきたいな」
使徒との食事会でも海産物は無かったはず。
「なら火が強まるまで、味の薄い物をいくつか食べようか」
「わかった」
「開きの方は脂が多いから先に蒸してある。一応、焼きが足りなくても食べられるよ」
美味しく食べれるよう下処理されているのは助かる。見た事も無い食材ならなおさらだ。
「魔物なら、魔石は取れるのか?」
強い魔物であれば、魔石の質や大きさが良い。売れる物もあるかもしれない。質問したが、期待薄い。
「何種類かは魔石が取れるけど、低品質だね」
どの個体も抱える大きさは無く、極端でなければ魔石も小さい。人並みの体格を解体した場合でも、こぶし大の魔石など見た事は無い。
それでも、圏外であれば見立てが通用しない事はあるだろう。
火の準備が整うと、それぞれ希望を挙げて食べる順番を決めていった。火の番を交代し、時折休憩を挟み、一食とは思えない数の食材を味わう。
途中、藁を足して網に載せた魚を燻した時には、夕焼け空に混ざっていく薄い煙を見た。
食事の後片付けをしていた時には周りは真っ暗だった。魔法で明かりが保たれ、暖かい空気に包まれた中、椅子と机が残った場所で体を休める。
温かい茶は、セノカの球根を砕いた、消化を助ける生薬が混ぜられている。食べ過ぎた気もするため、酔いつぶれた者のように体を心配するのは悪くない。
若木のような甘い香りと、後を引かない弱い辛味。脂に慣れた鼻や舌を落ち着かせるには十分なものだ。
「顔を合わせるのも、数えるほどだね」
聖者の背に続いて王都を出れば、アンシーと会う機会は無くなる。
「……見送りとしての贈り物があるけど、受け取ってくれる?」
アンシーが視線を落とした隣から、箱を持ち上げてきた。
指示に従って蓋を除けると、中には握れる大きさの物が並んでいた。
厚布の敷かれた上、青い箱型の物が四つ。端に一つある黒い物は一回り大きく、握りのような形状をしている。
「本当はもっと魔法も教えたかった。けど、時間も無いから、これでお願い」
アンシーの手が青い塊に触れ、表面を撫でるように進んで掴み取る。次に黒い握りの方を持ち上げると、握りの方の底にあった穴に青い物を差し込んだ。
青い方に見覚えがある。ダンジョンの施設に襲撃犯、その一人が持っていた道具に似ている。
魔石とそれを利用する魔道具だと思う。
「魔道具だけど便利な機能は一切無い。技術を覚えるための物だよ」
持ち上げて見せてきている様子に変化は無い。
「持ってみて。……まだ、魔力は込めないように」
受け取ったところで、何も起こらない。ただ握った感触では、人差し指のところに押せそうな突起がある。
「魔力の充填を覚える道具で、握った状態で魔力を注ぐという感じかな。魔力を込めすぎると魔石が壊れるのが普通だけど、この道具なら直前に注入を止めてくれる」
奴隷の管理に必要な指輪と首輪の魔道具は、おそらく最初からこの機能が付いているのだろう。
「慣れてくれば魔道具の方は不要になる。魔石に直接魔力を送れるようになれば、仕事にもできる。覚えて損は無いよ。知っていて欲しい事でもあるから」
レウリファが首飾りにする指輪は、一度使用すると金を払って魔力を補充してもらう必要があった。自分で間に合うようにできれば出費も節約できる。使い切りでなくなるなら、緊急ではなく戦闘手段に加える事も可能だろう。
「握りの上近くのボタンを引けば、取り付けた魔石から魔力が抜ける。保管の際、魔石を引き抜く必要は無いけど、万一を考えるなら取り外した状態が良いかな」
「大事に使うよ」
「そうして欲しい」
言ったアンシーは両手を机の下に隠す。
その後の話は、短く終わった。
アンシーから離れると、砂利を踏む音だけが目立つ。
思ったより長く過ごしたらしい。王都の光は遠く、星明りが見えない中を歩く。
体を冷やさないように隣にいるレウリファを早く寝かせたい。
自宅に入る直前、玄関の外灯がわずかな光で入口を示していた。




