151.目下
夜手前で時間に余裕は無く、入浴と夕食の準備を同時に行う。
帰宅が遅くなる事を教会側も見越しており、調理済みの食事を受け取っている。
お湯を作る鍋の横に、複数ある容器を置く。蓋を外した中には、煮込み料理とスープが詰められていた。温める目安も教わらず、匂いがしてきたところで食卓に移す。容器の表面に触れたところ、鍋掴みは不要だった。冷めた状態よりは食べやすいだろう。
主食となるパンも切り分けられた状態で、手間が極力減らされている。容器と同様に、包んでいた布は日頃使うような物より少々質が良い。食卓に広げるだけでも料理の見栄えが良くなった。
「食べようか」
「はい」
「品数は増やせそうにない。悪いな」
明日の朝食は備蓄している食材で作る事になる。風味を足す香草の類は十分にあり、味に困る事は無いだろう。
「いえ。今日は早く寝ましょう」
教会の馬車ほど明るくない。レウリファしか相手がいないため、光も多くは要らない。
食事を終えて、入浴も済ませる。
先に寝台に入り、レウリファが現れたところで、身を起こす。
「今日は手伝っていいか?」
「お願いします」
腰掛けた横に移動して、レウリファの顔を見る。
一度下がった視線が、こちらに向けられている。目や口に仕草を残すレウリファが姿勢を傾けてきた。
髪の湿気が手に移り、首筋に触れた次に、体温に近い熱が伝わる。期限を延ばした首輪に異常は無い。旅の途中で知らせにくる事も無かった。
レウリファを寝転ばせて毛布をかける。
体を冷やさないよう、触れる部位だけ毛布から出して、毛並みを整えていく。
レウリファが数日整えた毛並みを崩した形になるが、抵抗は無かった。
「明日は雨か」
勘違いでなければ、残った湿気は雨の前触れだろう。旅の間は晴続きで、帰り道でも空は晴れていた。降るとしても小雨程度であってほしい。
「遠い雲だとすると大振りになるかもしれません」
起きていたらしく、レウリファの声が届く。
「買い物は早めに行かないとな」
市場への移動も面倒で、露店も減る。
道具を片付けた後は、火を消して寝転んだ。
目覚めた最初、窓から入り込む光は弱かった。雨音はせず、体を起こして毛布の擦れる音が聞こえていた。寝台脇の机にある水を飲み、心拍が聞こえない程度に関節を動かす。
体のゆるみを治したところで水差しを再び傾けると、器に注いだ水で渇きを癒すと後ろから呼ばれる。
四つ足をつくレウリファが隣まで移動してきたため、水を渡す。半分も注いでいない水は一口で飲み干された。
預けてくる体を支えるように腕を回して、目覚めの挨拶を交わす。急ぎの用がなければ、これでいいのだろう。
水差しは空に、部屋は次第に明るくなる。寝台を離れたレウリファは指輪の付いた紐を首にかけて、今は調理場にいる。
この家での暮らしも、金銭的に耐えられるのは半年だろう。次の住処を探す余裕がなくなる。
中断された探索者活動も儲かるまでにはいかなかったが、見込みはあった。元々、不安のある人数で獣魔で補っていた状態だ。一人減った影響は大きい。ダンジョンを進む場合、一度に対処できる魔物の数が減った。獣魔やレウリファはともかく、自分には戦う余裕が無い。そんな人間を連れていくのは無謀だろう。
戦わず防御に専念すれば、これまで以上に奥へ進めるのかもしれない。硬化の魔法があるため、耐久に関してはレウリファ以上とは思っている。ただ、急所は守るとしても無傷とはいかない。怪我が重なるなら長くは続かない。治療費を考えると稼ぎにならない。
活動を再開するにも討伐組合に寄る必要がある。アンシーの忠告通り、組合の騒動が収まるまで待つとしても、以前の報酬について返還をせまる話が持ち上がるかもしれない。
独自に売り込むという組合を介さない手も無くはない。
王都内で代わりの仕事を探すのか。稼ぎは減る以上、見合わないこの家から別へ移る。獣人レウリファの働く先は簡単には見つからないだろうし、飼う場所の無くなる獣魔を手放さなければならない。今後、王都を離れる決断はできなくなる。
生活を捨てるなら、王都を離れて新しいダンジョンは作れる。生活用品の調達ができなければ、探索者に見つかってしまえば。戦力に余裕がない以上、長くは生きられないだろう。
聖女の勧誘に従う選択が一番楽だ。身の安全を保障するという約束も、近くにいればこそのものだ。
聖者に同行するだけなら、代わりになる者は多い。使徒と聖者の戦いを見て、自分が戦力の足しにならない確信はある。自分の強みと言えば、武器には負ける頑丈さとダンジョンを操れる事だ。前者は生身に勝てても武器には負ける半端なもので、後者は人に見せられるものではない。
獣使いとしてなら価値はある。獣魔を偵察役として使える。軍に専門の部隊があるからには用途もあるはずだ。聖者の乗る教会の馬車は移動が速く、護衛をするなら足の早い獣魔が適している。魔物に襲われているといった誤解も、並走の次第では防げるだろう。
一番の敵となりえる光神教は、一番の安全を得られる存在でもある。
危険性が低いと評価されている間に、相手を調べておきたい。教会が敵になるなら、組合も同じなのだ。探索者か聖者か、発覚する順番が逆になるだけだ。
人の領域から逃げ出せても、先が無いのが現状だ。魔物が多く生息するという圏外なら人は当分来ないにしても、知っている情報は魔物が強いという事だけ。王都のダンジョンでも並みの魔物しか対処できない自分たちでは殺される。人を避ける生活は難しい。
獣魔という飼い方があり、ダンジョンだって有益という理由で人の手で管理されている。自分もその範囲に入れられる可能性を探ってもいいのだ。
聖者の同行者であれば、拘束された場合でも待遇が良くなる可能性はある。内通者や裏切り者として悪く扱われるのは避けたいが、全くの他人よりは対応も変わるはずだ。自分はダンジョンと違って対話が可能で、現状のダンジョンより安定した魔物の出現など、人間側への交渉材料を持っている。
単に敵としてみられているなら、同行者に誘う前に殺すだろう。すでにダンジョンを操る存在と知られていて、弱いという理由で生存を許されているのかもしれない。
ダンジョンは人間を殺すためにあると譲ってくれた精霊が言っていたが、現状では目的通りには使えない。
王都内に魔物を解き放てば、戦うすべのない住民を百は殺せるだろう。それで終わりだ。兵士と探索者が駆けつけてしまえば一方的に負ける。
ダンジョンを使い捨てたとしても、目撃者や調査が現れるだろう。壁外と比べて中は狭い。逃げ出す前に門が閉ざされるかもしれない。
人殺しという目的だけでは、ダンジョンを使い捨てられない。
今は聖者に同行して様子見すればいい。
ダンジョンコアを所有している言い訳はすでにある。魔法が使える事も、知ったラナンとフィアリスが気にする様子も無かった。同行してきたアプリリスも同じだろう。
ダンジョンがを操作できる事だけは隠す。無能だと解放されても、資金に余裕のある内なら取り返しがつく。
直近の危険は少なくても、人より殺されやすい立場である以上、生き残る可能性を増やしておきたい。
「アケハさん」
呼ばれた方向、真横にレウリファが立っていた。
「朝食か」
「はい」
寝台に腰掛ける自分とでは、顔の高さが違う。
一緒に暮らしている以上、レウリファの今後にも関わるだろう。奴隷と主人という関係で、レウリファは逃げ出せない。
レウリファからも情報を貰って、最良を選択すべきだろう。
「買い物から帰ってきたら、今後について相談を聞いて欲しい」
「わかりました」
料理の並ぶ食卓に着いて、レウリファと視線を合わせた。




