148.落命
湖のほとり、木々の無い場所に馬車は止まった。
聖者と使徒が戦う、この空間はダンジョンの通路と比べれは断然広い。王都の城壁を横倒しにすると中ほどまで湖に沈む。庶民の家が十軒は建つほどの土地が空いている。
剣を交わすには広い場所でも、自然に囲まれた場所で、周辺に遮蔽物が多い。魔物の遭遇を警戒するためにも、森と湖から離れて戦うだろう。
当初は地下室と聞いていたが、後から変更されたようだ。
安全だけを考えるなら村の中を戦いの場に選ぶ。私闘なら迷惑を減らすように、村の外か、街道の脇を選ぶかもしれない。そうもいかない事情がある。
使徒を殺す。公に認められた行為でも、殺しの現場を隠す事は納得できる。処刑で殺人に見慣れているとしても、今回は別だ。
ゲイザは罪人ではない。村人にとって犯罪者より、身近な存在であるはずだ。親しい人間が殺されるのは、好ましくない。
殺す事実は連絡するとしても、住民全員に見せつける必要は無いだろう。
連れてきた獣魔たちを休ませ、空いた土地の中ほどまで進む。
自分たちのいる場所以外は、湖と森の間に余裕が見えない。広がる水に根元を漬けた木々が遠い対岸まで続いている。川を避けて進んだだめ、河口からも離れている。
切り開かれたような土地は、自然によるものとは思えない。川から村に水を引けるなら、湖も利用する計画があるのかもしれない。
何も目的が無く、道を作る事は無い。
とはいえ、日頃から利用するには不便な代物である。
整備が十分ではない。茂った草葉に通る馬車は側面を汚す。均されていない地面は粗く、雑草に隠れない靴が埋まる穴も所々にある。旅人が歩くにしても酷いものだ。
当然、馬車の歩みは遅かった。
街道には無い揺れが度々起こっていたため、姿勢を崩さないよう常に意識していた。
馬車の方へ振り返ると、一緒に乗せられてきた使徒も湖の方を見ていた。
戦うというのに、ゲイザの服装からはその気が感じられない。礼服のようにも見える上質な服装は、戦闘のために作られた品ではないだろう。激しい動きには向かない恰好は、昨日の食事会の様子と変わらず、普段使いの物かもしれない。
対して、馬車の中で準備をしているラナンは、戦闘を考慮した服を着ていた。
ゲイザがこちらに顔を向ける。そばまで近寄って来る前に停まった。
「近付いていいですか?」
「少し待ってください」
雨衣狼がそばにいるため、一度待ったのだろう。身に危険が無ければ襲う事もしない。待機を命じてから、ゲイザの所に行く。
「彼らとの付き合いは長いですか?」
「はい、出会って半年ほどです」
先に呼び出した夜気鳥でさえ半月多い程度、五十年も生きる人間の付き合いからすれば、短いだろう。
寿命の短すぎる魔物は、特殊な場合を除いて獣魔に選ばれない。獣使いであれば、数年は獣魔と共に暮らす。
ただ、一年も経っていない自分の体感では、大体の日を獣魔と過ごしてきた。
「触れてみても?」
「一応は気を付けてください」
獣魔だとしても、魔物に対して警戒するのは普通だ。
シードを近寄せると、ゲイザが手袋をつけた手を差し出す。
こちらがシードの正面に屈んで様子見する。機嫌は良くも悪くもない。ゲイザの手を気にした顔も少し経つと反らしていた。村の中に閉じ込めていた不満も無いようすで、首周りを手で揉むと好意に反応してくる。
ゲイザはシードの背をひと撫ですると、感謝を告げて手を遠ざけた。
「体に触れた事は、一度もありませんでした」
湖に体を向けたゲイザが言う。
「若い内に知っていれば、こうはならなかった」
こちらに話す言葉ではなさそうだ。
「ただ、私が違ったところで何も変えられない」
ゲイザは閉じた指を動かしている。
「力が足りず、皆の命を預かるには頼りない」
湿気の多い空気は、手袋の下では感じられないかもしれない。
「これで良かった」
体を戻して、こちらに向く。
「やはり、心残りは消えませんね」
見せた笑みを薄めると、ゲイザは体の向きをずらした。
ゲイザに合わせて後方に振り返る。
戦う準備が整ったらしく、ラナンとフィアリスが馬車から現れた。
それぞれが白と黄の輝く剣と杖槍を持っている。
道具として実用的に納まる宝飾は、持ち手を選ぶ。青や赤の明るい色味の付く武器は、聖者聖女の服装でなければ似合わない。
個人行動の多い探索者は、明るい染色に手を出さない。聖騎士の訓練着でさえ白と灰が主で、着ている自分も色味の多い武器は似合わないだろう。
「アケハさん。手袋を預かってもらえますか?」
「はい」
聞こえて向き直す。
答えた後に手を差し出すと、目の前でゲイザが手袋を外した。
すこし痩せた肉付きだろう。指には骨と関節の形が表れており、筋張った手の甲は老いを強く思わせる。この体を保てるほどの食事も行っていなかったため、使徒特有の何かがあるのかもしれない。
洗礼の印は手袋にある柄と同じ、戦士を示している。手袋にある通りの色合い。これほど濃い印は聖者であるラナンの手にも無い。濃い印が手にあったアンシーも使徒なのだろうか。
ゲイザの手袋を持って、馬車に向かう。
「戦う時もその服なのか」
「聖者は目立ってこそですから。鎧の場合はこれ以上に光りますよ」
ラナンは自身の体を見て確かめる。動く顔に取り付けられた眼鏡は、目を保護するために耳の左右まで幅広く覆っている。
硝子でもない軽く丈夫らしい素材は、耳当ての細工がなければ見失うほどだ。武器に加工すれば、刃を見せたままでも、堂々と市街を歩けるかもしれない。
「離れた場所から、学ばせてくれ」
「わかりました」
隣を通り過ぎてから、アプリリスと会う。
「手伝ってもらえますか?」
「ああ、運ぶ位置を教えてくれ」
馬車の脇に置いてあるのは箱型の魔道具だ。
障壁を作り出す事が可能で、囲んだ内と外との干渉を防ぐ。今回は、戦いの影響が外に漏れるのを防ぐために使う。
それなりに質量のある物で、自分は左右の手に持つだけで限界になる。上部のへこみに持ち手が付いており、一応の携帯性を備えているため、投げるだけでも武器になるかもしれない。操作方法は知らない。
手袋を馬車の中に納めてから、アプリリスの指示で広い四方に置いて作業を終える。
蹴っても転がらない重さがあり、剣で叩き壊す事も難しい。風で転がるなんて事は当然無い。唯一気にする魔物の存在も、外にいる者で防げば問題は消える。
待つだけになるとアプリリスは杖を手にした。結界が壊れた場合の緊急には、アプリリスが結界を作る。
ラナンとゲイザは続けていた会話を止めて、こちらに顔を向けてきた。
「アプリリスさんの結界を確かめたいそうです」
ラナンの声の後、アプリリスが顔を向けてくる。
「行きましょう」
「わかった」
レウリファに獣魔の指示を任せて、アプリリスの後ろに続く。
「万が一を考えて、貴方の防御を見せてもらえませんか?」
「はい、少し離れた場所に作りますね」
「お願いします」
「湖の側に作りますね」
ゲイザの要求にアプリリスが答える。
合図の後には、離れた位置に透けのある青い壁が生まれた。
「羨ましい。……打ちますね」
ゲイザがつぶやく。
「はい、どうぞ」
ゲイザが手を向けると、壁の方から小さな衝突音が届く。何も見えず、何かが当たった事実は音以外に無い。
出現した壁といい、ゲイザが試した事も、何をすれば可能になるのか予想ができない。
何の魔法なのか、討伐組合の資料では探し出す事は難しい。自分が調べた限り、魔物の行動について詳しい情報があっても、魔法の索引までは無い。
素人では対策も考えられない魔法だ。扱う魔物がいるとすれば、身近に生息するような、脅威の少ない魔物ではないだろう。
聖女物語にあった魔法も、何でもありという印象しか得られず、実際の知識にはならなかった。
「安心しました」
「後の事はお任せください」
アプリリスと共に場を離れたところで、聖者と聖女が使徒から距離を取る。
獣魔を背後に、レウリファを隣にして、戦いの場を眺める。
先に立つアプリリスが横目を向けた後、手に持つ杖を掲げ地面を付く。
湖にも似た青が視界を広く埋めた。




