146.三体と三体
昼過ぎでさえ陽の光が届かない。窓が閉ざされたままの通路は、魔道具の照明が続く。村の民家に存在しないだろう装飾が端々にあり、数えるには終わりが見えない。前回訪れた時と違う、陰の少ない屋内には落ち着いた色合いで包まれている。
アプリリスがゲイザを連れてくると、扉を進んで食堂に入った。
個人が使うには広すぎる空間で、中央に1つ大きな食卓がある。淡い光を届ける照明は、天井と壁とで、広い室内の明るさを補う。棚や机に置かれた小さく揺れる明かりが、唯一動いている。
部屋の隅に立つ一人と隣の配膳車には遅れて気付いた。
「こんな、見た目でしたか」
ゲイザの一言。
食堂内は通路と変わらない様式である。住み慣れたゲイザが疑問を持つのは意外だ。
「食堂の利用は少なかったのですか?」
「ええ。ここ数年は食堂を使わず、食事は自室で行っていました」
単に遠いからでもないのだろう。容姿や動きが若々しくても、この建物の閉塞感は強かった。窓を閉め切り、明かりも少ない、そんな中で暮らす人間が活動的とは思えない。
「普段使いのように整っていましたよ」
告げたアプリリスは朝の内から従者と共に準備を行っていた。食堂の様子は先に確認しているだろう。
「それは側仕えのおかげですね」
前に広がる光景は、今回の食事会に合わせて、事前に清掃された結果らしい。
ゲイザを一番奥に、後は左右に分かれて席につく。
隣にアプリリスとレウリファが座ったため、ラナンとフィアリスは対面にいる。座る位置は聞いた通りの並びは、馬車にいる時と違いが無い。
見覚えのある人の給仕で、全員に飲み物がれた後にアプリリスの手が動いた。
「本日の食事会を執り行う事ができて嬉しく思います」
ゲイザの方へ小さく礼をしたアプリリスは、返事の後に言葉を放つ。
「遠方から集めた食材があしらわれた料理と飲み物を、地勢、気候の異なる地域が生み出した様々な個性を確かめ、大地の豊かさを一片でも感じていただきたく、このような場を設けさせていただきました」
アプリリスの頭がこちらに向けられる事は無く、人の辺りを見回すように動かされていた。
「料理の提供形式からして非正規ですから。どうぞ、気軽にお楽しみください」
口上が終わり、厨房側の扉から配膳車が現れる。
配膳車の棚は、三段あり、下側は使われていない。給仕たちの手で配膳されていく四角い器は、肩幅ほどの大きさがある。中身は蓋のおかげで隠されており、料理の匂いも感じない。
「ゲイザ様、地の物を含めて、飲み物を取り揃えてあります。目利きに優れませんが、私も一緒に付き合ってよろしいでしょうか?」
「私だけでは寂しいので、ぜひ」
「要望を言っていただければ、いくつか用意するので、好みの味を探してみてください」
「期待しますね」
「はい。それと取り分けたい料理があれば、その都度、私にお伝えください」
「お願いします」
隣の会話が行われる間に、全員分の器が運ばれた。
「時間の許すまで、いただきましょう」
蓋の取り除かれた器には、手の平で隠せるへこみが並んでいる。へこみのそれぞれに小さく料理が盛られていた。
数品ずつ出される料理を食べて、配膳までの間に会話が続く。
すべてを食べ切る前に手を止める。料理を残すのは損な気もある。料理がこれきりでないため、一度味わった後は、見比べるか、味を思い出す程度に留める。食べきっても文句は言われない。判断も自由だ。
飲み物から感じる薄い甘みは、料理を口に入れて以降で確かになった。自分たちも飲み物を選ぶ事ができるため、何種類かお酒も頼んだ。
ゲイザとアプリリスは酒器を持ち替えながら、それぞれ味比べをしているらしい。専用の給仕が配膳車から樽や瓶を動かして、合間に酒器を取り換えている。
「ここまでくる道中の食事も、このように豪華だったりしますか?」
「はい。道中の食事は同じ料理人に頼みました。教会の厨房で腕を振るっている方なので、今ほど豪華でないにしても、教会の食事は普段から美味しいです」
人々を導くはずの教会が貧しい食事しかできない状況ならば国の将来が危ういだろう。
「とはいっても、連れてこられる機会はめったにありません。外出時は携帯食も含めた食事というのが通常ですね。私も多少の覚えはありますよ」
「羨ましい。私は料理の腕はからっきしです。こう、長く暮らしているのに任せきりですね」
「人によって得意不得意はありますから。代わりに側仕えの方が優秀だったりしませんか?」
「ええ。昼夜構わず作ってくれるので、日々に助かっています」
ゲイザは食べる手は進まず、飲み物でも一度に注がれる量が少ない。透明な器に注がれる量は、一度口に含めば尽きてしまう程度である。
「嫁入り前の身なので、腕を磨けるよう食糧庫の鍵は預けています。今日の料理を渡せば少しは助けになれそうです」
「日持ちするお菓子もあるので、見本にはいいかもしれません」
「確かに、この村でお菓子は少ないので、いい手ですね」
ラナンとフィアリスの方でも話を続けている。
レウリファの食器に空が多いのは、元々の食事量の差だ。自分と比較して、半分とはいかず、四半分は多く食べる。丸きり残している料理もあるため、無理に食べている様子はない。
事前に聞いていた主食も来ていない。一皿ずつ盛られる温かい料理を待つためにも、この勢いは途中で抑えるだろう。
「なじみの無い盛り付けでも、味に関しては、かけ離れた料理は少ないな」
「はい。崩す手を止めてしまうような盛り付けです」
レウリファが食器のふちに残る汁汚れを指で拭く。手拭いを使った後の手は閉ざされた。
「食べ続ける事を考えて、配膳毎に味の傾向を作っていますね」
色合いが違う物を除けば、料理の盛り付けと味付けの差は少ない。見覚えのない食材でも、匂いまで確かめれて、食べるか判断する。
気に入らない味を感じた時には口を洗う。飲み物は何度か変えており、今は温かい飲み物になっている。薄い白濁とぬめりを含む、これは数種の穀物のゆで汁らしい。
「これだけ多いと、好みを覚えておくのは難しいな」
「食事をした事だけは記憶に残りそうです」
料理のひとつひとつは難しくても、部屋の雰囲気は覚えられる。
「それは確かだな」
多くの味を覚えていれば、思い出す機会は多いかもしれない。
使徒との食事は貴重だろう。殺す相手と同席する。騙しているわけでもなく、自覚した相手と話す機会。似た経験が増える事は、まず無い。
予定通りなら、ゲイザは数日の内に死ぬ。
死闘する相手と会話する意味を想像できない。
殺す相手の情報を集めるというなら理解できる。魔物を殺す際には特徴を調べる。弱点を知っておけば対処は楽になるし、実力が劣っている場合には逃げる必要もあるだろう。
この場に相手の力を探るような話題は無い。
「アケハさんとレウリファさんは、いつから同行させているのですか?」
ゲイザの質問はアプリリスに向けられている。
「今回が初めてです」
ゲイザはこちらに気付いて顔を合わせてきた。
「以前は何をされていたのですか?」
「探索者です。ダンジョンに潜っていました」
今でもそうだが、活動しているとは言えない状況である。
「獣魔を連れてこられた事は聞いています。探索者で獣魔を連れる方は多いのでしょうか?」
「少ないです。片手で数えるほどしか出会っていません」
人間並みの体躯を持つ獣魔は見ていない。偵察用の個体ばかりだった。軍隊に属している獣魔なら戦う個体も見つかるだろうか。
「それなら良かった。まだ、村では獣魔への抵抗があるので、探索者への依頼を控える事態も心配していました」
村の依頼といえば村周辺の魔物の駆除だろう。獣使いであ滞在も難しいかもしれない。獣魔を受け入れる宿が無いとしても、野営をするなら壁の内を選びたい。
獣魔に拒否感があると、獣使いを断わる条件がつけられる。村に壁で隔てた外はともかく、村の中で留まるのは難しいだろう。
獣使いの探索者が増えるとは思えない。戦力としては確かでも、生活の手間は大きい。近く見かけるような魔物は獣魔として不都合が多く、移住者でもない限り、獣使いはいないだろう。
「獣魔を村に入れていたのは、大丈夫でしょうか?」
「むしろ、助かります。獣魔への理解はあって損はありません。本当なら村の規模が小さい内に取り組むべき事でした」
村人に抵抗感があるようには見えない。遠巻きに眺めてくる者が少々、退去を迫る者もおらず、極端に嫌う様子は無かった。
「この機会に合わせてもらえた事は、とても感謝しています」
ゲイザの前にある料理は手を付けられた様子が無い。
待つ内に、全員の皿が取り換えられて新しい料理が並んでいく。
ゲイザが食べたのは、珍味と説明があった物に限られていた。




