140.道端
馬車が減速した後で曲がる。土の摩擦音が重くなり、最後は消えた。
停車した合図を聞いて外に出る。停まった場所は街道の脇。人の往来から離れた位置だ。人間が台車を押す場合と同じく、馬でも休憩を重ねる。
馬車の中で座り続けた自分も、慣れない移動で疲れた。姿勢を意識しすぎて固まった関節をほぐす。草の少ない地面を踏んで確かめた後に、柔軟運動を行う。通り過ぎた方を見ると、人の線が長く続いている。
荷を持たない人間の速足と並ぶ、馬車の歩みは速い。移動距離は長く、一度目の休憩で、王都の穀倉地帯を通り過ぎた。畑は一線になり、目立つはずの城壁も、その背後の山に埋まって見えている。
移動を支えていた馬は、従者から与えられる茶色の屑を頬張る。草か穀物を混ぜたらしい食事は、人が抱える大きさの樽に盛られている。飲む水の量も多く、馬車の一つに人力で運べない量の食料が積まれると聞いていた。
体が大きいため、雨衣狼の食事量と比べても多い。餌をほぐして与える従者たちも大変だろう。組織として集団で管理するような生物だ、探索者個人が持つ獣魔より面倒は多く思える。
馬車を追うよう命じた雨衣狼は、3体とも、しっかりと付いてきている。姿を見せずに長い移動に従ってくれた。獣魔として制限がなければ、遠出させるような指示もできただろう。
行動を特に制限しなかった夜気鳥もいる。馬車のふちに留まるか、飛ぶか、馬車の室内に入れても、文句は言われなかったかもしれない。勝手に自宅に戻られなければ、自由にさせていいだろう。これまで逃げ出すような事も無かった。
アメーバも樽に詰めて連れてきており、それだけは従者に説明して馬車に預けた。
雨衣狼たちに視線を残しつつ、こちらに回り込んだ、ラナンが寄ってきた。
「アケハさん。獣魔に触らせてもらえませんか?」
「頼んでみよう」
視線からすると雨衣狼の事だろう。朝に確認した時は機嫌が良かった。触れても問題ないはずだ。
手前のシードに寄る。柔軟で真面目な性格だ。我慢もしないため信頼できる。ルトは行動が明確な分危険があり、ヴァイスは怪我の手前、接触は減らしたい。
撫でる手を受け入れている。追ったり捕まえる事はしないつもりだ。無理強いはしない。
「触れさせても良いか?」
細かい指示だと、話し言葉では難しい。外に漏れない声でうかがう。拒否は無い。
シードの視界からラナンが見える位置に移動して、首周りに下から腕を回す。
「ラナン、ゆっくりで頼む」
ラナンが近付くにつれて、先ほどまでの仕草が薄れていく。雨衣狼たちが動きを減らすのは、慣れない相手に対して警戒を強めるためだろう。
人懐っこくないのは、魔物の常だ。人間を区別するというより見慣れていない。同種ではない存在と認識しているのだろう。知らない相手に危機感を抱く事は、普通の対応だ。ダンジョンで生まれた事は関係無い。
ラナンが接近する。緩やかな動きで腕を伸ばしてくる。
触れた瞬間に反応が出た。尻尾が震え、足も一瞬だけ浮く。接触に対して過剰だ。急激な変化を見せたのは、予期しない刺激によるものだ。
「離れた方が良い」
「わかりました」
ラナンが素直に従って身を引いた。手が離れた後のシードは動かず、警戒を続けている。
接触の前後で異常は見れない。何かされた場合は、反撃するか、倒れて苦しむなり、変化があるはずだ。残りの2体も、襲う様子は見えない。
「反応が悪い。警戒がほぐれるまで、触れるのは難しいな」
「そうですか。ありがとうございます」
ラナンが物足りないように手を下ろす。見えた聖者の印は肌との濃淡が強かった。
「後で手を洗ってくれ」
「はい」
雨衣狼から離れると、ラナンが隣に付いてくる。
「アケハさんは、どうして魔物と暮らせると思ったのですか?」
ダンジョンから生み出した魔物が命令に従うからだ。襲ってきたなら獣魔にする考えは思いつかず、それ以前に殺されていただろう。
「あっと、すみません。獣使いになる人は少ないので、そういう文化に慣れた地域から移り住んだのかと思って。答えてもらわなくても構いません」
獣使いになったのは単純な理由だ。戦えない自分が生存するために必要だった。
「僕が以前暮らしていた村では、魔物は害敵とだけ認識されていて、一緒に暮らすなんて事は考えませんでした」
ラナンの考えは普通のものだ。基本敵に魔物という存在は敵である。
比べて、自分は過去を憶えてない。どこで生まれたかも定かでない。新しい言葉を知る度に、持っていた知識に違和感を持つ。身に覚えのない既視感がある。
「魔物が敵とは知っていた。最初に出会った魔物には襲われなったからな」
壁の内で暮らしていても、魔物が危険な話は当たり前に聞く。一度も壁を出ない者でも教会には行くため、女神の事を耳にして魔物の存在を知る。
探索者という武装をした人間を見れば、好悪はともかく、興味を持つだろう。
「襲ってくるなら、獣魔にできませんよね」
自分は屈伏させるような力量を持っていない。暴れる魔物を躾けるような獣使いもいないとは限らない。飼育が可能ながら、馬のように街で見かけない時点で、難しい問題はあるのだろう。魔物として知られている種類では、連れ歩くにも適していない。
「ラナンは、どうやって聖者になったんだ?」
自由に選べないとは聞いただけ、詳しい話も知っておきたい。
「聖者を召喚する儀式で、フィアリスに呼び出されたみたいです」
専用の儀式があるらしい。
「気付いたら、見知らぬ広い部屋に自分が倒れていて、まったくの他人に囲まれていた。直前まで農作業をしていたから誘拐と疑ったけど、そばにいたフィアリスから、光神教の施設にいると教えてもらいました」
場所を教えてもらったからといって、誘拐された事は事実だ。
「光神教の人は庶民と比べて高価な服装をしているから、始めは貴族と勘違いして、とても怖かったです。室内には聖女が3人とも揃っていたけど、武装した聖騎士にも囲まれていて、まともに動けませんでした」
抵抗する事もできない状況だったらしい。聖騎士に囲まれて市街を歩いたため、共感できなくもない。
「洗礼を受けて聖者の印が表れた状況は、かなり痛かったので印象に残っています。実は年齢を過ぎても洗礼を受けずにいて、悪い事をしていたかもしれません」
洗礼は痛いと、ニーシアも同じ事を言っていた。知っていて当然の話なのだろう。
「それからは今のように、光神教の元で聖者としての活動を続けています」
聖者は一人しかおらず、呼び出した聖女だけ共に活動する。
残りの聖女が同行できない規則があるかもしれない。戦力だけを考えれば、大量の聖騎士を連れて行けばいい。人材に限界はあり、同行者を増えすぎても移動に手間がかかる。
「村に戻らなかったのか?」
「いえ、聖者と知らされた後は、最初に村まで送ってもらいました」
誘拐した後も、ラナンの意思は尊重されているらしい。
「ただ、法国でも端の村の出身で、中央の聖都からは馬車で十日以上かかりまして、村に戻ってきた時には、すでに死んだ事されていました。村人が魔物に襲われたり、行方不明になるといった事件も、少なからず聞いていました。当然の扱いだと思います」
わざわざ遠い人間を選んで、誘拐したとは考えられない。
身元を確かめて、地元に送る手間は減らしたいだろう。馬車で十日というなら、旅費無しに移動するのは難しい距離で、諦めてもらう事も予想した可能性はある。
とにかく、洗礼を受ける前の聖者を判別できるらしい。
「両親には突然消えた事に泣かれて、知り合いも集まってきて、フィアリスが謝罪した後、村からは聖者になった事を応援してもらえました」
教会の一団を連れてくれば騒ぎにもなる。混乱があっても、一度に大勢の村人へ説明できたのは手間が省けただろう。
「村で過ごす事は考えなかったのか?」
「特別な機会を逃すのも損かなと」
一人だけの存在に選ばれた事は、確かに特別だ。
「仕事としては好待遇ですよ。自由が少ない代わりに豊か生活は保証される。祝い金も村に渡されていて、下手に帰れば無責任だと追い返されそうです。お金のやり取りを見て人身売買だと後から感じたのは内緒ですね」
ラナンは望んで続けているらしく、笑って話す。




