135.肩書
骨の折れる高い音。乾いた殻が砕かれ、唾液が混ざった後は鈍く崩されていく。
本来持つ硬さを、全身を支えつつ筋肉の生み出す力に耐えうる強度を、感じさせない。ひと噛みで、足が奪われるという話に納得できる。軽快な表情と仕草がある。
雨衣狼の咀嚼は、時々こちらの身の内に響く。
軽々砕き、物足りずに求めてくる。自分たちで手に入る魔物のそれでは満足せず、精肉店を頼って廃棄の太い部位を買ったほどだ。保管の間に腐らないよう、洗って乾燥させた物を多く与えている。食べ応えとしては生の方が良いらしく、こちらとしても安上がりである。
自宅で見る光景であれば、骨へと感情移入する事は少ない。それでも肉を噛む姿より、強度のつたなさを示してくる。彼ら3体と距離を取ってしまう。
骨を与えた後は、雨衣狼が留まる寝床近くを離れる。庭の砂利が背後の音を多少は隠してくれた。
十分離れて、王都が見える位置で止まる。教会の建物は、どれも白で周囲と目立つ。ここからの眺めの中にある、一目で見つけられる鐘塔の1つは、景色を見比べる際の目印になっている。
自分の周囲で事件は度々起きた。街中での誘拐や殺人、個人として重大な程度では、景観が変わらない。建物を維持する住民が行方不明になっても影響が現れるのは先の事で、別の住民が住み着けば、掃除や扱いの癖に違いがあっても、建物としての形は残る。
街並みの変化に気づかない自分は、暮らす人々がすり替えられても気づけない。
「このところ晴れ続きだね」
「アンシー」
振り返った斜め横、砂利音も出さずにアンシーが現れた。
「驚かせないでくれ」
「変質者らしい行動だろう?」
アンシーらしい行動ではある。
「それはそうだが。似たような真似をするのが、アンシーだけとは限らない」
近付く存在には警戒するだろう。その場合は殺されていた事になる。
「ああ、ごめん」
少しの間俯くと、顔を持ち上げて表情も直された。
「教えた魔法はどんな調子?」
教えられた硬化魔法は練習を続けて上達している。魔力の扱いにも慣れて、身に着ける魔道具に影響しない事も確かめられた。使役の指輪を外さなくても硬化は可能だ。
「全身はできない。部分的なら大体の場所を守れる」
「んー、器用だね。……そこまで器用なら、体の扱いも上手そうなんだけどね」
アンシーが視線を下げて、指輪をはめている側の手を見てくる。
「この魔法は硬化でいいのか?」
「正解、と言いたいけど純粋な効果じゃない。硬いだけなら動けなくなるよね」
単純ではないという違和感は覚えている。使っていて困る程度ではない。知ったところで個別に扱える利点も少ないだろう。
「いろいろ混ざっていて、そういう方向に整えられたから。まあ、認識としては硬化でいいよ」
魔法の効果が整えられたというなら、以前はもっと不安定な物だったのかもしれない。
「アンシーは魔道具にも詳しいか?」
「どうだろう。知識に偏りはある。どんな物を示されないと判断できないね」
腕を組んで、肘の内側をつついている。
「何かの魔道具を探しているのか、効果が分からない魔道具を確かめて欲しいのかい?」
腕をほどいたアンシーがこちらに意識を向ける。
周囲に人もいない。アンシーと出会える少ない機会だ。
「魔道具らしき武器で、短剣の形でありながら刃を潰したような形をしていた」
ダンジョンの襲撃犯が持つ武器は魔道具だろう。取り換えるための魔石も持っていた。
「刃が無いのに、金属や革といった素材を、空でも切るかのように断ち切る事ができる」
鉄格子や盾、人間も同じだったらしい。
「硬化魔法で防げたものだが、知らないか?」
硬化魔法と聞いて思い出しただけで、知って何かできる事も無いだろう。
「便利な武器。まあ、対人向けの暗殺武器だろうね。強い探索者を相手にした場合、全裸で眠らせても殺せない。ダンジョンを突き抜けたなんて業物なら欲しいね」
後半に物騒な事を話している。自分の場合はあり得ない話でもない。対策ができない道具でも、使わせなければ無い物と同じ。実力が無い自分では扱えない。簡単に奪い取られる。
「教えた魔法で防げるなら、お高くて貴重な武装で防げるよ。一般だと手に入らないね。欲しいの? 普段使いはしない方がいいよ」
雨衣狼に対して効果は薄かった。他の魔物に対しても適さない武器だろう。本当に人間相手の道具なら、自分が持っても意味がない。
「いや、気にしないでいい」
防具は欲しい。とはいえ、高価な物を借りて、外で捨ててくるような行為は避けたい。
「魔法を教えてもらえて助かった」
「うん。これからも騒がしくなりそうだね」
アンシーが一歩ずれて、視線を外す。
道へ続く方向から、白い服装の人が歩いてくる。知らない姿だ。
「教会のお使いだね。君目当てだと思うな」
有名なアンシーでも、教会と関わりは薄いのだろう。
お使いの人に寄っていくと、名前を確認された後に手紙を渡される。用を終えたのか、すぐに道の方へ去っていった。文字が読めるかを確認してきたため、読み上げてくれたかもしれない。
教会の印が刻まれた手紙が届けられただけ。拘束でも連行でもない。穏便だ。
アンシーの元へ戻ると、手紙を追う視線があった。
「私も見ていい?」
「一度、確認させてくれ」
「そうだね」
アンシーを背にして、封を開ける。
書かれた内容は秘密を求められていない。
「アンシー」
手紙を渡して読んでもらう。
返されると同時に、アンシーが笑う。
「恋仲にでもなったの?」
「冗談にもならない」
「断わる方法は書かれていないから強制だね」
アプリリスから求められている事は、教会への出頭と、旅行の準備。旅行の間は獣魔も連れて行くらしい。
「6日間となると、……まあ、そうだね」
アンシーの声が急に落ち着く。自身の手を重ねて撫でている。
「どうかしたのか」
「馬車で移動を続けるだけなんて事は無い。交流会の体を取っているから、どこか滞在するだろうね。普通なら王都を離れる理由がある。距離の離れていない村かな」
早い馬車であれば、隣の都市を往復できる日数だ。
「君のために整えたのかもしれないね。断わっても教会は許してくれるだろう。万が一だけど、噂が流れると世間体は悪くなる」
教会の命令に反したら、という事だろう。断わるにしても教会に向かう。返事を書くのも面倒で、無視もできない。
「第二聖女のお誘いなんて、出世だね……。いつ、知り合ったか聞いてもいい?」
声も表情も平坦だ。
「10日前あたりだ」
アンシーがうなり声を出して疑ってくる。
「まあ、いいか」
何かを諦めたらしい。
「第二というなら、第一は誰なんだ?」
アンシーが表情を作り直す。
「知らないの? 胸も含めて、一番小柄な子だよ。聖女フィアリス=シルルー様」
途中であった女性だ。名前も聞いていた。
「ついでに第三聖女は対照的らしいよ。法国に残っているはずだから会えないけどね」
聖女は3人いるのに、聖者が1人しか現れない。フィアリスは聖者に同行して、後の行動は自由なのだろうか。聖女に順位があっても、立場は独立している風だ。
「武装が不要というのも変だね。獣魔は連れず、道中の護衛でもない。親睦というのも嘘では無いかもね」
手紙を送ってきたという事は、自宅の住所を知られている。教会が独自に調査していなければ、組合や他にも知られている可能性はある。
「アンシーは6日間で外出する予定はあるか?」
「無いよ。……自宅の見回りかな?」
ダンジョンコアを持っていかない。いっそアンシーに預けた方が安全かもしれない。
「できれば、頼む」
「常にとはいかないけど、日に2度くらいは見るよ。聖女が迎えに来るなら隠れるけど」
「ありがとう」
「一つ貸しとして、覚えておいてね」
すでにいくつか借りを作っている。家探しや魔法の指導に対して、アンシーは主張していない。
「わかった。覚えておく」
「新作のお菓子を貰えたら、後で銘柄を教えて欲しい。味の感想もあると嬉しいな」
「あまり期待しないでくれ」
自分は料理にうとい。味の区別も雑だ。お菓子を貰った場合は、持って帰るくらいでいいだろう。
離れていくアンシーを見た後で、自宅に戻る。




