134.束縛
布が擦れる感触と音か。あるいは、度々届く暖かい風か。初めに気付いて目を覚ますと、早朝らしい暗さがあった。
仰向けの体に広く触れてくる者がいる。布団の小盛が動き、隙間から風が吹く。
「レウリファ?」
呼びかけて、布団から抜け出た頭が首元まで這ってくる。
「はい、ご主人様」
帰ってきた声でようやく正体が確かになった。
布団に潜っていたレウリファが、体を押し当ててきている。
両腕がこちらの体を登って、支えを失った重みを感じる。
レウリファの指が、頬に首に、流れて動く。
「まだ、指輪を使わないで」
レウリファの手が輪郭をなぞる様に動いて、こちらの手まで届く。こちらの両手を掴み、自身の腰へとあてがう。撫でまわさせる操作は次第に離れて、布の下にある柔肌を感じなくなった。
身を起こしたレウリファは、こちらの肩を掴んで体重を傾けてくる。浮かせた体を揺すり、体を擦り付けてくる。
布団を逃れた上半身に冷えが回る。
「止まってくれ」
言葉に従ってレウリファが止まって、上から退く。身を起こして残った布団を、レウリファにかけてから寝台を降りる。
暗い室内を進んで、脇机にある油皿を持つ。明かりを作るために土間へ向かう。麦殻を固めたような着火剤に点火して、油皿へ移す。燃焼時間を伸ばすための油を足して、寝台に戻った。
レウリファの布団を着た姿が見える。こちらを追う表情は落ち込み、周囲の暗さに溶け込むほど、動きが弱い。
持っている明かりを脇机に置いて、寝台に踏み入り。陰を作らない位置からレウリファに近寄る。
包む布団ごと抱きしめて、レウリファに顔を寄せる。
「レウリファ、我慢できない」
「……ください」
こちらの腹に伸ばしてきたレウリファの腕を、撫でて止めさせる。腕の毛並みを確かめ、互いの片手を重ねて、肌をこねる。
レウリファを倒れさせて、上から押さえつけた。
*****
窓から届く光は明るい。本来なら朝食を済ませた頃だ。
食卓には食事の用意も未だに無い。代わりに置かれた、飲み物を口に含む。
冷えている。最初の休憩で作って時間が経過した。口から腹までを温める効果は、すでに期待できない。口の中で温めてから喉に通す。もう一つある器を使った者は、先に休んだ。
レウリファは寝台の端近くで寝転んでいる。まともな睡眠を欠いて、慣れない運動を重ねた。湧き出した疲労を抑えるために、少しの仮眠でも欲しいところだろう。
空いている場所は、体が冷える事もあって、寝るのは避けている。痛々しい汚れが点々とあり、毛並みから落ちた毛が布地に湿って貼り付いていた。
長く肌を重ねて、当然、汗も出ている。布団に包まれた中は、肌が焼けるほど熱を持った。心拍を抑えるための休憩で、体を拭いた布から出た湯気は見間違いではない。換気を度々行い、冷えない程度に布団を遠ざけても、敷布団は濡れた。ささやき程度に抑えた声と物音が続く中、熱い水滴が肌を伝い、遅い動きで生まれた熱風が漂う。満ちた湿気は下に留まらず、全体を包む。
つまり、掛布団も同様、洗濯には大分手間を要する。単に外気にさらすだけでは乾く気がしない。先ほど見た時も、染みた濃さと広さに、変化は無かった。鐘が鳴ってから、料理を準備する程度の時間は経っている。
朝食よりも先に睡眠が欲しいため、自分もこのあとは仮眠を行う。
寝台に行き、レウリファとは間を置いて、寝転ぶ。 今は一人で休ませた方が良い。姿勢も気にしなくて済む。間の休憩で十分に触れた。
怠慢な動きでも、長く続けて疲れている。呼吸を整える間に眠りは許されず、相手が小さく触れてきた。全身の肌から相手の脈動を感じていた。
次に目覚めたのは昼前で、軽食後に入浴を済ませて、寝具の洗濯も行った。家事を済ませているだけで、残った半日も終わる。
夕食になり、レウリファと向かい合って席に着く。見える首には奴隷の首輪とあと一つ、指輪を通した革紐があった。
視線に気付いたように、レウリファが指輪へと手を伸ばす。目を細めた笑みを見せて、掴んだ物を服の中に隠した。
「ご主人様」
「どうした?」
「いいえ、なんでもありません」
レウリファは一度肩を揺らしてから、首を小さく傾ける。
見ている間に、並べた料理が冷めてしまう。
「食べようか」
「はい」
食事の手を動かす。
ニーシアが去った事で、机上に空きが増えた。物を置かないよう気を付けていたため、見慣れていた、普段使いの光景との違いが目立つ。
椅子は変わらず4つ残している。向かい合って座る時もあれば、隣に座る場合もある。疲れた時でも、移動させる面倒が省けるだろう。
食事の途中、レウリファがこちらを見て止まる。
「あの。味付けはどうですか?」
夕食を作ったのはレウリファだ。慣れた以前との違いを意識してしまうのだろう。10日前までは、ニーシアが役割を長く預かっていた。
「美味しい」
品数も量も十分ある。肉の割合が増えた事も極端ではなく、少々。それも料理の品目で変わる程度だ。肝系は獲れたてを食べる機会が多く、最近は見ていない。
「筋力を増やす場合は、肉を食べた方がいいのか?」
「はい。肉に穀物をあわせて、ですね」
「今以上となると、腹が疲れそうだな」
個人の感覚としては、今が適量だと思っている。
「一度の量を減らつつ食事の回数を増やすのはいかがですか? 鍛錬中の空腹感も抑えられると思います」
「それは考えなかった。火を用意するとなると、外では難しいだろ」
「自宅にいる間だけでも、試してみませんか?」
「できれば頼む」
「薪割りは、お願いしますね」
「わかった」
返事を聞いてレウリファと食事を再開した。
片づけを終えた後は、入浴を済ませた自分が、戸締りの確認をする。窃盗するなら容易な地区と間取りだ。貴族の邸宅と比べた場合だが。
人も明かりも少なければ、少々の音も気づかれない。隠れ盗むではなく、脅迫する人間に侵入される場合もあるだろう。護身を命じてある獣魔も、眠っていれば吠えてこない。立ち去らずに窓や扉を壊す事は考えられる。
この地区に住んでいて、探索者のように武器を携える者は自分たちだけである。獲物を選ぶ余裕があるなら、無理に狙わないはずだ。
用心として置いている武器も、最初から武器を持つだろう敵に注意するなら必要な準備だ。奪われる以前から危険に変わりない。
寝台で待つと、入浴を終えたレウリファが現れる。
毛並みの湿気を拭き取り、櫛を扱う。濡れた後にしては乱れが少なく、自身で軽く整えたらしい状態である。違いを感じて、納得してもらうのは難しいだろう。
それを過ぎると、野営用の寝具を並べて眠った。




