130.明かり
自宅に着いた時には、空に夕暮れが見えていた。
夕食はレウリファが作り、合図が不要なほどに慣れた行動を済ませる。レウリファが入浴を終えて現れる、次に入る様子の無いニーシアを見て、自分が先に浴室を使った。
寝間着姿で居間に戻ると、毛繕いをするレウリファの姿がある。普段通りに寝台に腰掛け、手を動かす。気付いたように動作が止まり、こちらも足を止める。
食卓の席にいたニーシアが隠れるように浴室に向かう。背後を通し扉の音が聞こえてから、足を進めて寝台に乗る。寝転んで薄暗い天井を眺めていると、隣の動きも再開された。
毛繕いを終えてもレウリファは布団に入らず、背中を見せている。
ニーシアが階段を上って2階に向かい、音が失せたところでレウリファが動き出す。明かりを消した後で布団に寝転んできた。
眠りが遅れて、目覚めも遅れた。
朝の訓練は行わない。窓を開けて光を取り込んだ後も、布団に再び潜り体を温める。
レウリファが朝食を作り、自分は食卓まで運ぶ。席に着いているニーシアは顔を下げたままだ。昨夜は自身の部屋で眠ったらしい。下りてきた時から、まったく視線を合わさない状態が続いている。
朝の家事を済ませた後は、庭に行き獣魔の調子を確かめる。飛べる夜気鳥はともかく、庭から離れられない雨衣狼は満足に運動できていないだろう。
自分が近付くまで、3体のじゃれ合う姿があった。喧嘩を感じさせない平安な声を出し、噛み付きも傷も付かない加減がされている。目の前に並んで待機させるため、邪魔をした気もする。ヴァイスの怪我も大分癒えているだろう。
ルトとシードを解放して、残したヴァイスの包帯を外して怪我を調べる。
表面の薬を洗い落として、切り傷を押さえている糸を目立たせる。抜糸の期間には入った。長く放置すると、糸が体内に取り込まれたり、治療痕が大きくなるらしく。怪我が悪化しないなら外した方が良い。
布に寝転ばせてから、傷を縫合している糸を切って抜き取る。複数ある結び目も解けず、切った事で一本も短くなる。少なからず汚れはあるため、使いまわしは出来ない。糸は消耗品だ。自分が怪我をした時に備えるべきだが、組合の店では見覚えが無い。切り傷を受ける探索者で所有者が少ないとなると貴重品なのだろう。無駄遣いを減らしたいなら、怪我でも応急処置で済ませて必要な場合だけ治療院に通う。個人が確保しておく理由は少ない。
糸を抜いた後は、薬を塗って包帯を巻く。怪我の処置が大体終わったため、ヴァイスを放す。獣魔に食事を与えてからは、庭の掃除を軽く行って、自宅に戻る。
合図は不要に日課を済ませていった。
昨夜と同じく、入浴の後ニーシアは2階に向かう。元々強制していないため、各自の意思で寝台で一緒に寝ていた。野営用の寝具を使えば、寝台が無いレウリファの部屋でも眠れる。暖かさを我慢する事が前提になるだろう。
隣に残っているレウリファに声をかけてから、庭に出た。
星明りは暗い。上着を重ねて耐えている、夜の冷気を押し出して進む。体重を預けない足取りで、地面の不確かな小石を踏む。周囲の音は遠い。
振り向いた自宅では2階のニーシアの部屋でも明かりが漏れている。まだ起きているらしい。眠るなと言う気は無い。諦めて、顔を戻す。
庭の端に近づくと、明かりが薄く残っている街並みが見えた。街灯はすでに消されている頃だろう。建物の中から漏れた光は弱い。
明かりの並んだ壁の奥、先は穀倉地帯も含めて黒になる。村も遠く、野営による光の道は見えない。
視点を伸ばしていき、星の散り散りで表された空と大地の境界から星空が見えるようになる。王都の中よりも小さい明かりが比較にならない広さにわたって存在する。
夜の風が収まり、体が温まる。
砂利を踏む音を隠さず、アンシーが近寄ってきた。
物も無く持ち上げる片手に、光だけが留まっている。手のひらの宙に浮いた、光となると照明石でもなく、魔法だろう。
隣に寄ったアンシーは王都の方に体を向ける。夜の景色も見慣れているかもしれない。
「こんな遅くに出るのは感心しないよ。アケハ」
「そういうアンシーも、……いや、大丈夫か」
夜道の心配をする以前に、アンシーの方が確実に強い。
「言葉にしてくれないんだ」
「ごめん。アンシーより自分の方が不用心だった」
「それだと、逆にむなしくなるよ」
光の強弱が揺れる。魔法を乱すような内容ではないだろう。
「これでも、比較的非力な、女性という分類なんだけど。心配してくれないのかい?」
一般に含めるには偏りが大きいだろう、探索者という存在も個人の力には限度がある。夜に出歩く行為は変わらず危険だ。
「長生きしてくれ」
「お、っと」
光の演出が来ない。単に返すだけでは満足しないとも限らなかったらしい。
「まあ、この地区は民家が離れている分、住民が事件を起こしたなんて聞かないけどね」
「事件か」
予想外の事件が続いたため、最近は忙しかった。
死と隣り合わせという事は、ダンジョンで活動する間も考えていた。魔物や地形は油断できず、臨機応変に行動する。
自分の想定が、現実より狭い可能性しか考慮していない。
ダンジョンという場所も、それ自体が絶対ではなく、壊す事は可能である。知っていたが、間近で行われるとは考えていなかった。
「二十日近く、無事を伝えていなかった」
遠出をする探索者なら、同行者でもない限り、半年再会しない程度は普通だ。
今は異常な状況だろう。ダンジョン崩壊という事件があって活動が抑えられている今は、顔を合わせる頻度も増えるはず。関わりない人は、全く影響もない状況かもしれない。
「優先して探さなかったが。アンシーも忙しかったのか?」
組合に留まる仕事は終わったのだろうか。組合から報酬を貰った後、アンシーの自宅を確認したが会えなかった。
すれ違いという場合もあるため、定かにはならない。
「まだ忙しい。というより、今後も影響が続くかもねー」
語尾を伸ばしたまま、アンシーがこちらに向いた。
「……君にも関係しているよ」
「教えてくれ」
「わかった。先にいうと、アケハは討伐組合に近寄らない事だね」
言い切ると、アンシーは体の向きを市街の方へと戻した。
「アケハが受け取った報酬の件に限らず、いろいろ問題を起こしていてね」
ダンジョンコアが報酬だった事以外にも、不審な点が見つかったのか。アンシーが内部情報を知っている件には驚きたくない。
「組合は上層部からの指示で、大規模な人事異動が行われている」
貴族に動いたという噂もあり、教会まで動く事態になった。組合の判断が悪かったのだろう。
「脱走しようと暴れた職員も一部にいたから、警戒しておいてね」
職員同士で騒動を起こしているなら相当だ。個人単位で活動する探索者と違って、重大な事件だろう。
「活動できない期間は長いのか?」
収入が無くなるのは困る。貯蓄が持つ間に別の仕事を探す事も考えなければならない。
「ひと月以内には治まると思う。断定できない」
「それでも助かる」
討伐組合について詳しい人は、アンシーの他に知らない。
停職期間は耐えられる範囲だろう。
「伝えに来てくれて、ありがとう」
「隣人のお節介だから」
遅い時間なのに、こちらの都合で立たせている。
「家まで送ろうか?」
「嬉しい申し出だけど。あと少し、眺めておくよ」
夜景を見る習慣があるのかもしれない。
「長く見てきた分、他が意識しないような細かな変化も楽しめる」
アンシーが身体を向ける。照らし切れていない青い髪が暗い。
「良い夜を」
「アンシーも」
背を向けると、2階の部屋が暗くなっていた。ニーシアも眠ったらしい。
歩く間に、アンシーから離れて視界通りの寒さが肌に触れる。身体が冷えない内に、自宅の小さな照明にたどり着いた。
自宅に入った後で重ねた上着を脱ぐ。
居間に進むと、寝台脇に残る明かりで、布団に入ったレウリファが見える。風を抑えながら移動して、明かりを消す。
暗い中で寝台を回り込んで、布団に潜る。
「レウリファ?」
「はい」
小さい声に反応した。レウリファは起きていたらしい。
「少し触れる」
向けている背に手を伸ばして、目的の首輪に触れる。魔力は溜められていた。
奴隷であるレウリファは主人から離れて活動できない。逃亡防止や活動制限に便利な機能だ。管理に適した環境を整ってこその機能だ。不意に主人と奴隷が離れるような事態が起これば、魔力を溜められなくなった首輪が、いずれ奴隷の首を絞める。
どちらかが誘拐されたなら、長くない内に奴隷が死ぬ。レウリファは難しいにしても、自分が捕まれば同じ事だ。危険があるなら対処しておくべきだろう。
二日の期限を二月に伸ばして設定する。誘拐されても対処する時間はあるだろう。殺される場合は仕方が無い。
首輪を外さないのは、拘束する唯一の手段を残すためだ。隣で眠るほどに隙を見せている自分に似合わない慎重さだ。
「ご主人様」
「期間を伸ばした。誘拐された場合でも、二月あれば対処は望める」
主人から離れて、勝手に首輪を外すまで可能かもしれない。とはいえ獣人一人での生存は難しい。支援者でも現れない限り、脱走する気は起らないだろう。
まず、自殺を考えさせる待遇ではないはず。
「わかりました」
レウリファの返事があった。




