127.傾倒
聖女が目を開けると、こちら3人を見比べた。
「これ以上は強制になりますから、駄目ですね」
ダンジョンコアをこの場で取引する事は無いらしい。
「ここまで準備してもらって、断わったのは悪かった」
「気にしないでください。あくまでの場を整えただけで、それ以上の意図はありません。遠慮が過ぎますよ。一応、連れ去った側だと思っているのですが」
「確かにそうだな」
飲食店で待ち伏せされて、抵抗もできずに教会まで連れてこられた。
「ですから、断わられても文句は言えません」
口に指を置いて、聖女が一間を置いた。
「実のところ、行方が判明したダンジョンコアが問題だったのです。後ろ盾は無く、実力も知られていない探索者が貴重な素材を持っている。狙う者が現れるのは時間の問題でしょう」
危険に陥ると予想した組合が故意に品を与えた。受け取った自分も油断していただろう。
「教会関係者に囲まれて街中を堂々と歩いた。周囲に見せつけた事で、一応は解決しているんです。過激な行動を起こさないようにする、不安定な状況を鑑みた、教会からの牽制ですね」
辺境都市での演説も、今回の連れ去る演技も。教会は都市の混乱を抑える役も担っているようだ。
「法治とはいえ、牽制と信用で成り立つ社会ですから、力無い平民では簡単に消費されてしまいます」
消費というと物扱いだが、個を意識しないなら当然だろう。探索者が一人欠けたところで、社会に大きな問題は起こらない。
「討伐組合は探索者個人を保護するには規模が大きく、警備機構はありません。自衛の能力があれど個人では無力に等しい。団体という単位でまとまる事も、後ろ盾がない間は重要です。有名な探索者でさえ恐れられず、家族が狙われた事件もありましたから」
団体に入れば、探索者が集まって行動できる。隙を減らして、いざという時でも戦力を盾にできる。
「地位も確立されていない間に目立つ事は、避けた方が良いと思います」
今回は避けようが無かった。報酬を拒否すれば防げたとしてもダンジョンコアを得られる貴重な機会である。襲われる事を知っていても受け取っただろう。
「他人より自分の事が大切ですから、どこか権力者の庇護下に入った方が良いですよ」
言われても、探索者としての価値が低い。年若い者だけでは他にもいるだろう。
「教会をお勧めしたいのですが、規律もあって活動が制限されるかもしれません。獣魔の待遇が良いとなれば、やはり軍隊でしょうか」
聖女の視線がまったくの横に向く。
「その、噂ではありますが……合同の訓練では一部の隊員が獣臭く、いわく、夜帯に出歩いていて、一緒の寝床に、獣舎へ入っていった姿を見たとか。……それだけ個人の自由が認められているのかもしれません」
「そう、ですか」
「いえ、その、冗談です」
座った姿勢が揺れた後は、聖女の視線も戻っていた。
「説教ばかりで、ごめんなさい」
再び礼を見せた後、顔が下向きになって留まる。
「折角、菓子を配ったのに食べる時間を用意しないのは失礼でしたね」
持ち上がった顔も、表情は読めない。
「先に言っておくべき事柄を残していました」
聖女の平坦な口調で、言葉の流れが止まる。
「飲食店の代金は払っておいたので、支払いに戻る必要はありません」
「借りた分を今返しても構わないか?」
「いいえ、誘拐の口止め料です。ですから、教会の悪口は広めないでくださいね」
「わかった」
飲食代は探索者として一日拘束される以上の料金があった。急な収入でも、組合よりは理由が理解できる。
「後はゆっくりと召し上がって、これからの話は音楽と考えて聞き流してください」
言い終えた聖女が机に置かれた飲み物へと手を伸ばし、飲んだ次にはお菓子を食べる。
自分たちも各自の皿に手を付けておく、ニーシアとレウリファは会話に加わらずにいたため疲れているかもしれない。
一口に収まるお菓子の集まりで、ひとつずつ摘まんで食べられる。態々、小さく作られているなら、個数を選んで買う事も可能だろうか。持ち上げて口に入れている一個一個は、硬貨何枚分なのだろう。まとめ買いで土貨でもなければ、飲食代を軽く越えるかもしれない。
形状は小さな円柱に近い。親指と人差し指に収まる円で、指の幅ほどの高さを持ち、底に向かって円が少し縮まっている。側面にひだのような凹凸が作られているため掴みやすい。複数積んで持ち上げても崩れない硬さは持っている。
湿感のある生地で薄い甘みを基本としているらしい。わずかな弾力を保ち、崩れた後は舌に吸い付く。味付けが複数あり見た目の色で判断できる。苦味を含んだ甘みはサコラが元だろう。茶系の渋い味付けもあり、果実系では甘さ主体と酸味のある物が用意されていた。
前の食事で忙しかった胃も落ち着いている。話の途中で真昼は過ぎているだろう。
「自慢をいいますが、教会は料理に関しても情報を集めていまして、教会発祥の店も各都市にあります」
聖女の視線はこちらではなく、お菓子の方へ向けている。
「今回の食べているお菓子は、革の膝当て、という名のお店で作られていまして、開業した方は、教会にいた頃に助司祭をされていたそうです」
買いに行くかは定かでないにしても、知っておいて損はない。売り物と店名が合わない事は普通だ、外観でも気付かない可能性があるため、情報は助かる。
「文化の親とまでは言えませんが、情報を広める事には貢献していると自負しています」
本当に雑談だ。
「教会の書庫は、料理だけでも半生かけて夢中になれると思いますよ。残念ながら立ち入れる者は聖職者に限るのですが、書き物から口伝えまで様々を集めた量は、どの国にも負けません」
ニーシアとレウリファが、話が始まって止めていた手を動かす。
「地上を走る木や、空を飛ぶ蛇まで、探せば毒物でさえ記録が残っていると思います」
地上で木が走るなんて見た事が無い。
「飛竜の肝を食べて腹痛を起こした美食家の話もありましたね。あの方は冒険記の方が有名です」
飛竜は誰かの絵を見た気がする。
「遠い圏外ですが塩水の湖が大きく広がっていて、生息する生物に個性があり、美味しいものもあるそうです」
解体するにも仲間がいただろう。
「海と呼んでいまして、周辺は森とは違う匂いがするので鼻が疲れるようですが、海の水から塩が作る事もできるそうです」
美味しいらしい。
「そういえば軍の食用虫も食通の意見が元でしたね」
肩が押された。
「知らない食材の知らない料理法があって……」
視界が暗い。
「きっと、皆様も楽しめるものが見つかると……」
温かい。
「私たちが地図の遠く……、…………、………………」
「圏外を再び取り戻したいと思いませんか」




