125.聖女
人々の群れが、かきわける手間も無く、左右に流れていく。足を止めたのは馬車道を渡った時だけだ。
馬車が外側を走る中央広場で、遠巻きに眺めていた人は数えきれない。
進んだ先は白亜の建物群、塔より低い部分さえ、他に見かけない色で目立つ。柵を抜けて教会の敷地内に入った。
正面の建物には進まず、脇の回廊に従って建物の間に隠れると、人の視線から外れて物音も静まる。中庭にある小さな噴水も整えられた植物も、覚える前に通り過ぎた。
窓の無い、扉が並ぶ通路に入ると、取り囲んでいた聖騎士が離れていき、ついには聖女一人が前を進むようになった。
一度も振り向かれないまま、一室に案内された。
絨毯も敷かれた部屋の中央には、応対用の机と椅子がある。室内の装飾は最低限、視界が白で埋まらない程度に設置され、濁りある半透明の窓と天井照明が全体を明るく照らしている。
「長く移動したので、一度、お休みになって下さい」
聖女は部屋の隅から、砂時計を持ち出して机に置く。
「砂が落ち切った頃に伺わせていただきます」
一度休憩を設けるらしい。用事は長いのかもしれない。今は昼近くで夜まで時間がある。
「ご用がありましたら、扉の外に立つ侍女にお声かけください」
聖女が扉を開けたままにして、別の女性が現れる。
「ラクレ、対応をお願いします」
「……わかりました」
ラクレと呼ばれた侍女が、聖女の方へ固めていた顔を戻し、礼をする。聖女と侍女が立ち去った後、扉が閉ざされた。
ニーシアとレウリファは立ったままでいた。
「とりあえず、座ろう」
頷いた2人を見て、先に長椅子に座ると、緊張を解いた足に熱を感じた。
隣に座ったニーシアがこちらを向く。
「何の目的で呼ばれたのでしょうか?」
「わからない」
殺すなら、民衆の目から外れた今からだ。休憩で油断させつつ、戦力を集めているかもしれない。実際のところ自分を殺すだけなら準備は不要だろう。先ほどの聖騎士だけで事足りる。街中で連れ歩く時点で、以前の誘拐犯とは別の目的かもしれない。
「逃げても無駄だろうな」
聖女と出会った飲食店も初めて訪れた場所だ。行方を追跡されていたなら、自宅も把握されているだろう。
レウリファは腰を下ろして、机にある砂時計を見る。示された時間まで余裕はある。
「手洗いに行ってくる」
「ここで待っていますね」
席を立って、自分だけ離れる。
扉を叩いてから部屋を出ると、通路のすぐ脇で立つ侍女が体を向けてきた。
「手洗い場まで案内して欲しい」
「ご案内いたします」
口だけ動かしているような、無表情で答えられた。
背を向けて進みだした侍女の後ろを歩く。
通路に数ある扉は施錠されているだろう。入れる部屋があるとしても、中の様子は確かめられないのは、危険だ。通路に死角は少ないため、追手が見失う事も期待できない。
侍女が止まり、扉を示してきた。
入った先には通路があり、片側に3つ扉が離れて並んでいる。手前の扉を開けると、広めの個室があった。手洗いと便座が設置されている他、物置台や服掛けも置かれており、一般とは比べ物にならない。高価な設備を使っている事は、隣の部屋も確認して理解できた。
用を終えて手洗い場を出ると、侍女が待っていた。
変わらない表情をする侍女の、口と目の動きに意識が向く。
勝手に戻るわけにもいかず、案内に従う。
待ち合わせ場所に戻ると思ったが、行きと異なる道を歩いている。聖女に案内された部屋は奥まった位置でも、敷地に入って曲がった回数は少ない。
侍女の案内は元の部屋から遠ざかっている。通路の見た目は変わらない分、意識するのは歩数と方向だ。
「どこにむかっているんだ?」
「……聖騎士は通常警備に戻っています」
聖騎士は見える場所にいないだけで建物の警備は行っている。当然、逃げ出す事は難しい。ここで侍女を人質にしたところで囲まれるどころか、閉所で逃げ道も無い。
「そうか」
侍女はひと言話しただけで、後は何も言わなかった。着いた部屋は、ニーシアとレウリファがいる元の場所で、結局遠回りをしていたようだ。
部屋に入ると、次はニーシアとレウリファも侍女に案内してもらい。再び3人が揃った後は
、砂時計の上部に残る砂を数えて時間が過ぎた。
砂が落ちる筋が見えなくなったところで、姿勢を正す。
座るのに邪魔だった剣は椅子に立てかけてある。家具に傷がつくとしても、遠ざけるには不安だ。いっそ、武器をすべて隅の台に置いてしまえば、誤って抵抗する気も失せるはず。威力の無い、ひと刺しでも余力を残しておきたかった。
扉が叩かれて、聖女と侍女が入ってくる。
静かな視線で、聖女がこちら3人を見た。
「これから始めて構いませんか?」
頷きを返すと、正面の椅子に座る。斜め後ろに立ったままの侍女が一人目立つ。
「ラクレ、給仕をお願い」
「はい。失礼します」
礼の後に侍女が部屋を出ていく。視線を動かさず、こちらを見ていた聖女が机の中央にあった砂時計を端に移した。
「外では時間も無かったので、改めて自己紹介をさせてください」
胸に手を置いて視線を合わせてくる。
「リコット=アプリリスです。光神教で聖女の役割を務めさせてもらっています」
手を降ろす動きも緩やかで、危害を加えてくる気配が無い。平坦な口調と感情の読めない笑みがある。
「よろしければ、お名前をいただけませんか?」
「アケハです。討伐組合の探索者に属しています」
「アケハ、……アケハさんですね」
目の前で手袋を外して、聖女が手を伸ばしてくる。こちらも素手にしてから、握手をした。視線が重なったまま、手の弾力や体温を確かめるような加減で触れてくる。同じ程度に返した後、手は離れた。
ニーシアとレウリファにも名前を確認して、聖女が姿勢を直す。
「珍しい獣魔をお持ちなのですね?」
獣魔登録に前例が無かった雨衣狼の事だろう。
「それは雨衣狼の事でしょうか?」
聖女が気にかけるほど強力な魔物ではない。獣魔になった唯一の例であり、貴重という意味だけ価値はあるかもしれない。
「はい。その、詳しくは知らなくて、どのような魔物か教えてもらえませんか?」
「わかりました」
内容としては話しやすい類だ。この場の戦力でないという諦めもある。
容姿と獣魔としての行動を教えると、名前や個体の癖を聞いてきた。出会った経緯を聞いてこないのは生息範囲が限られているためだろうか。分かり切った事と思ってくれたなら助かる。ダンジョンで生み出したとは話せない。
聖女の表情は薄いものの、話を打ち切るような不機嫌は見えない。
「獣魔の制度は、この国、ルミナリア王国の建国以降に設けられたものでしたか」
「そうなのですか、知りませんでした」
世話に適した環境を調べた時は、過去の経緯までは手が伸びなかった。
「制度以前も獣魔はいたのですが、扱いは酷いものですよ。都市の中では、拘束され箱詰めされて、移送も面倒で、施設内に閉じ込めるのが普通だったと思います」
村なら住民の許可も取りやすく、獣魔を連れて出歩けたかもしれない。都市部では、満足に運動させる事は難しかっただろう。そんな時代にあえて獣魔を飼う人間が貧乏とは思えない。専用の敷地があっても疑わないな。
「前線に立つ者は古くから実践していましたが、市民の目から許されるようになったのは、近代になってからですね。宿屋や防具といった対応は今でも難しく、……不便も多いですよね」
「はい。何度も経験しています。昔と比べれば、大分認められてきたのですね」
「有能でありながら良く扱ってもらえない事に、不満を抱かれているかもしれませんが、悪く思わないでください」
「いえ、不満はありますが要求するほどではありませんよ。獣魔とひと言に表せても、人間と違い、種類が多く生活環境も様々ですから。全てに対応できるとは思えません」
餌も寝床の整備も異なる。獣魔が魔物の中の一種類であれば対応を求めただろう。防具の例は分かりやすい。
「はい。ありがとうございます」
握り手を作っている。聖女が姿勢を傾け、頭が膝より前にでてきた。
「実は私も魔物と対峙する機会はあるのですが、仲良く、とはなりません」
言いながら姿勢が整えられていき、聖女の下げた視線は自らの手を見つめている。撫でている手のひらには洗礼印が見えた。
「どうしても、嫌われていまいます。何かいい方法はありませんか?」
過去の経験を知らない。聖女の対応を知らないため、下手な提案はしたくない。
「申し訳ありません。実は獣魔について学んだわけではなく、私の場合は獣魔に頼りきったものです」
ダンジョンを放棄すれば襲われると考えていた。ニーシアの指示に従ってくれるのも予想外だった。
「雨衣狼たちに対しても同様でして。彼らが危害を加えない事に気付いたのは接して時間がたった後で、名前を付けた事も、個性に気付いた事も、成り行きでした。出会った魔物が獣魔になってくれる個体だった、というのが実状だと思っています」
「そうですか。残念です。いえ、教えてもらえただけ助かります」
獣魔を盾に脅迫する様子は見えない。ここに連れてきた意図を教えて欲しいところだ。
言葉が止まって時間が経つ。
聖女が話題を出していたため、向こうが止まれば静かになる。
「アケハさん。貴方がダンジョンコアを手に入れたという情報を得ました」
先ほどまで雑談だったからだろう、遊ばせていた聖女の視線がこちらを刺す。




