124.約束
少なめの朝食を済ませて、自宅を出た。
自宅のある地区では、建物と住民が少なく、警戒も楽だった。歩く途中で、見回して追跡者の姿を探す。視線の移動は早く、レウリファも気にした様子は無かった。
市街に下りると、並ぶ建物から離れて車道近くを通る。馬車にも注意して、ニーシアの手を離さずに人の流れに従う。物が増えて死角も増える。
建物上階の物干し場は、道側に設置されて日当りも良い。路地側でも風通りは確保できるが、住居と同じで、高い場所にあっても窓や位置関係で景色が悪い部屋もある。飲食店でも見かける場合がある。客席に座って食事をする間、人混みや馬車を見下ろせるのは普段と違う楽しみもあるだろう。通りが交差する場所の角に立地していれば、街灯が灯される光景も長く観察できるはずだ。
飲食店通りまで来ると、看板を見るために建物側に寄る。
店の外壁にある照明は夕方にしか灯されず、昼の内は装飾の1つになる。遊びのある柱を見せたり、塗装を変えたり。店ごとに個性を出して、視線を集める工夫があった。
通り全体を眺めた時に色調が外れた外装は見えないため、看板と同じく、規則はあるかもしれない。目立つだけなら緑や青系を広く塗るだろう。
昼や夕方と比べて、おそらく人は少ない。
「アケハさん、あれはどうですか?」
店探しを任せていた、ニーシアに示される。
具材が転がる白濁とした鍋、焼いた麦餅と酪乳の鉄容器。全体を環に囲う香草の緑。食材を並べるだけでは足りないだろう個性を、変わった配置で補っている。看板は使い込まれた様子もあり、長く好まれているのだろう。
「ありだな」
「ですよね」
振り返って、レウリファの頷きも見た。
硝子の窓と照明は、日常とは一段上の生活を味わえるかもしれない。
扉を開けると、鈴の音が鳴った。
店に入ったところで、正面の扉と左右に待合と通路が見える。入ってすぐ客席ではないようだ。硝子窓から飲食の様子が見えなかったため、予想はしていた。
待合場として8ほど丸椅子が用意された空間は、外より暖かい。
設置された鉄の暖炉には半透明の蓋があり、中で燃える様子が見えている。煤汚れは少なく、掃除に念を入れているか、あるいは、脇に置かれた炭が良質な物かもしれない。期待ができそうな料理の匂いも薄く届いている。
待たずに正面の扉が開かれて、店員が現れる。客を確認した視線が、最後にこちらの首元で止まった。
「お客様、申し訳ありません」
武装か。
「獣人を連れてのご利用ですと、個室で提供する規則となっています」
当然、奴隷を見せびらかして歩いている時点で、印象は悪いだろう。獣人自体も人間の容姿に似ているだけで、魔物に変わりない。
「使用料はいるのか?」
「草貨2枚ほど食事していただければ、不要でございます」
庶民としては高めな値段設定だ。
「個室へ案内してくれ」
「かしこまりました」
礼をした店員が待合側とは反対の通路へ進む。背中に着いていき、階段で2階に上がる。案内されたのは複数見える扉の奥だった。部屋ごとの目印として、食材の絵が取り付けられている。自分が入ったのは、指ほどある緑の茎と、細い枝葉に吊られた白い花。他の絵も緑黄色に限られ、肉類は無かった。
部屋に入ると、4人席があった。
椅子を端に運ぶ店員に3つ残すよう指示して、レウリファの分も確保する。部屋の使い方を説明した後、店員が立ち去る。
壁際に物置の台があり、布の敷かれた上に荷物を置く。革鎧は壁に立てかけた。身軽になったところで、席に着いた。
「少し贅沢ができそうだな」
「ありがとうございます」
レウリファの顔が下がる。
「そこは、高い買い物をした方を指摘してくれていい」
「はい」
傾きを直したのを見てから、顔を戻す。
「何を食べますか?」
身体を傾けたニーシアが机にある物に視線を向けていた。
机には品書きが人数分置かれている。予備は部屋の隅に置かれており、先ほど店員の手で移された。厚めの紙には料理と値段が書かれており、料理を客側が選べるらしい。
「値段を考えるなら、肉料理も欲しいな」
食材と調理法が書かれている事は分かる。知らない物は味の想像ができない。土貨3枚あれば、庶民一人が腹を満たせる。自宅での食事も同程度だ。
品書きにある高い料理では一品で草貨と書かれている。そこだけ見るなら高級とも思える。普段の店では払った金に見合う料理が出されるため、草貨を渡す機会が少ないだけだろう。
底値を探さなくても土貨の桁一つが並ぶため、庶民的に納まる店だ。同じ通りにある店とも客層に差は無いだろう。合計で草貨2枚という目標も3人では難しいかもしれない。
「後で取り皿も頼んでおきますね」
「その方がいいな」
主食と区別されて副食も書かれている。何度も来ない店なら、様々な料理を試したくなるだろう。
扉を叩いた店員が台車と共に入ってくる。木の床を進む音は小さく、周囲の音も少ない。他の客が気にならないのは個室の利点だろう。
果実の輪切りが浮かんだ硝子容器が傾けられて、目の前で注がれた水が配られた。果実水の容器は脇の机に残されて、店員は台車を押して部屋を出ていく。
つまみとして出された皿には、手掴みで食べるような包み料理がある。手拭いを使った後に食べてみると、肉と野菜が詰められた淡い味付けだった。2個ずつあったため、もう一つは食べられる。
皿が空になった時には、頼む料理が決まる。
注文がお決まりでしたらと教えられた、壁際にある紐を引く。呼び出し用のものらしい。紐の先は壁に隠れているため、装置の意味は知らないが、先端に鈴でもつけられているのだろう。
やってきた店員に料理を頼んだ後は、提供される料理を楽しむだけになる。
頼んだ品は食べ物に限らず、飲み物もある。
酒場に通う習慣も晩酌も無い自分は、器一杯で満足できる。足りなければ後から頼める。ニーシアとレウリファも、酒と果実水を割った飲み物を選んでいた。
頼んだ品は、数回に分けて運ばれ、机に並べられる。運ばれてくる料理は蓋で隠されていた。台車の下の棚も使われて、一度に来る料理が多く、器の大きさで料理の予想も難しい事があった。
温かい料理は器も変わっており、熱した石は保温のためだろう。油が跳ねる音や焼けた匂いが続き、窓は閉められている部屋の中は食事の雰囲気に包まれる。
机の中央にある鍋料理をニーシアが取り分けて、それぞれに行き渡る。
肉の味は保存薬らしさが感じられず、長く保管されたものではないかもしれない。獲れたての肉となると入手は困難で、家畜の肉は特に高価だ。餌は果実の搾りかすや麦殻が混ぜられていると聞く。
小さな個体ではないのか肉の質感がひとしい。太い血管のある部位は避けて、提供しているようだ。あったところで噛む回数が変わるだけだが、料理の味に集中させるには良い工夫だろう。捨てる部分は家畜の餌に回されるかもしれない。
ダンジョンが壊された事で肉の供給に影響はあるはずだ。庶民に行き届かなくなるとは思えないが、家畜を食べる機会は無くなるかもしれない。
食事の間は最低限の会話しか行わない。取り分けたり、調味料の瓶を取ってもらう時だけだった。店員が入ってくる頻度も最低限で、他人の視線や動きに乱される事が無い、快適な空間だ。
部屋の脇に残されている品書きを、取りに行く様子は見えない。
「食べてしまいましたね」
「そうだな」
看板のあった鍋料理は3人前で、他にも主食系の物を頼んだおかげで、机が賑やかに彩られていた。形が盛られていた皿も、今では調味液や出汁が平たく溜まっているだけだ。
「えと、ありがとうございました」
もう一方の席にいるレウリファも、落ち着いた様子でいる。休憩も行った後で、留まる用も無くなっただろう。
店員を呼んで退室を伝えようと、席を立ったところで、扉が叩かれた。
「失礼します」
先の店員ではない声。
見慣れない服装。
以前に見かけた容姿。
「教会にお連れしたくて参りました」
現れた女性は教会関係者であり、以前の都市で演説をしていた者だ。こちらに視線を向けると、目の前で礼を行ってみせる。
「リコット=アプリリスと申します。ここではアプリリスとお呼びください」
まさか、光神教の聖女にまで追われていたとは。誰でも想像できまい。
いや、痕跡をたどれるかもしれない。人の視界に入らなかった事は無い。
「この後、お付き合いいただけますか?」
単独で来たという事は無いだろう。逃亡は望めない。
着替えを行い部屋に出ると、通路に立って待っていた聖女に続く。従って店を出ると正面に、白を帯びた鎧が12も並んでいた。
聖女の次に、聖騎士の袋小路に入り込む。正面の旗持ちへ指示が送られると、道を進みだした。
左右は囲まれ、前後も同様。先にいる通行人が道を譲る。足を止めた人々の視線が集まる。普段の比ではない。馬車道を越えた反対側でも、立ち止まっている者の顔が並んでいる。
両手は空いており、剣も掴む事は可能だ。目の前の聖女は背中を見せていても、人質にするには難しい。至近で囲まれている今は、殺そうと動いても無駄に終わりそうだ。抵抗する気も抑えられている。
視線の元を確かめられずとも、堂々と動いている現状、他の存在に襲われる可能性は低い。他人と隔てる聖騎士の壁が人さらいの手を遠ざけてくれる。
何度も脇道の横を通り過ぎて、揃った足並みが終わらない。




