122.保安
オリヴィアの横にある椅子にサブレが座る。
ニーシアとレウリファも配られた軽食を一度は味わった。
「オリヴィアはどうして王都に引っ越したんだ?」
「失業ですよ」
「ち、が、う。大きな仕事だったけど本業じゃない。趣味の延長だ」
サブレに盗られた質問をオリヴィアが奪い返した。
「本業は何をしているんだ?」
オリヴィアもサブレも、横目を止めて、こちらを見る。
「国から任されている仕事といえば、魔物の資料をまとめる作業で、管轄内では中くらいの立場だね。先端と比べて何歩か遅れているけど、柔軟性が高い学者ってところかな」
以前いた都市では、討伐組合に持ち込まれる魔物の調査をしていたはず。本の執筆まで趣味であるなら、手広く活動しているのだろう。
「クロスリエの遠征計画は中止だ。魔物の襲撃で与えられた予備を失った。圏外を別として、この国は国境を同盟国としか接していない。次に割り当てられるまで相当期間が空く」
国外の情報は、資料館でもそれ目的で探さないと見つからないかもしれない。
「一世一代の計画だったんだ。私の代では戻らない。次があるとすればサブレか、あるいはその後継になる」
数十年単位で行われる事業だったらしい。
「良い依頼料だったけどね。まあ、前払いの分でも儲かったから、気にしないよ」
遠征に参加するか、捕獲した魔物を調査するのだろうか。
これ以上の説明は無いとしても、詳しく求める気は無い。オリヴィアとは立場も身分も違う。未関係の情報までは教えてくれないだろう。
「一応、ここが本宅だよ。派遣先から帰ってきたんだ」
遠回りして返事が返ってきた。
「王都の方が暮らしやすいか?」
「娯楽面を考えるなら、そうだ」
視線を宙に浮かせた仕草を作ってから言う。
「辺境だと都市間の流通が足りない。運搬でも護衛の費用がかかるし、物資も軍事関係に偏ってくる。戦える人間が欲しいから、こればかりは仕方が無い」
王都周辺は護衛が不要なほど魔物を目にしない。人の往来も多い理由に納得できる。
「そう! 復興時の予算が大本からして違う。都市整備にも影響して、生活基盤や娯楽の大小は、一目で分かるほどだ。いずれは辺境まで行き渡るけど、数世代は先になるよ」
街の景観を見ても、王都と辺境都市との違いは分かる。水にも困らず、光も保てる。城壁の警備兵から見た、街の夜は随分違うはずだ。
資料や地図で示される数々の廃墟は、復興の予算も組まれないのだろう。個人の手で築かれたような場所は放置されて、防壁が崩れた後に魔物も住み着くようになる。村と同じ扱いにするのは間違いだが、孤立した状態では都市でさえ維持は難しい。食料は確保しきれないと思えるほど、城壁周辺の景色が違う。
「暮らす庶民には関係ない事かな。以前は土地が余っていた辺境も、住民の増加で建て替わりが激しい。新しい建物に増える住民、商機を狙って人も動くさ。一般向けの娯楽は、広まるのが早い」
馬車でも王都の方が快適に走れる。
「人口が増えるほど、貴族の面倒ごとは多くなるけどね」
オリヴィアはサブレへと顔を向ける。
「書類の整理をしてくれる便利な助手で助かるよ。手紙の代筆を任せていたおかげで、こうして再会できたわけだし。職権乱用な気がしなくもないけど判断は正しい」
手を伸ばそうとして、途中で止めていた。
「サブレは優秀だよ」
「育て親が優秀ですから」
「ひどい悪口だ。とっとと隠居してやろうか」
お互いが顔をしかめ合う。
「後に実子が生まれても、継がせませんけど。誓約書と交換で生活費は捻出しますよ」
「やっぱり駄目だ。サブレは不出来な子だった。女爵は一代限りだよ」
加われない会話でも、悪い気はしない。
「私の名が欲しかったら先に爵位を得るんだ。そしたら継がせてあげよう。誓約書は書けば、老後の生活を見てくれるんだよね」
「ぐぬぬ、実業を継げば金には困らない。がしかし、爵位が有るとでは、自由度が……」
言葉が途絶えない。
「あれ? 別宅は欲しくないの。一部は貴族街だから追い出されるよ。せっかく、研究用に各地で揃えてきたのに」
「あんな小さな邸宅を買う人はいませんよ」
「私は売れ残りを買ったんだ、他にもいるさ」
個人的すぎる情報を明かされると、こちらが安心できる。不用心ではないかと心配できるほど意識する相手は少ない。オリヴィアくらいだろう。
「残念ながら、全てを管理するほど雇っていなくてね。引っ越した時は大体、埃まみれになっているよ。貴族失格だね」
こちらに顔を戻したオリヴィアが雑に菓子を口に放り込む。
「ここも酷い有り様でしたよ。見栄を張れるだけ貴族に踏みとどまってますけど」
サブレも似た動きをして、後に飲み物を飲む。
話題にできるのは探索者の活動くらいで、ダンジョンが襲撃された現場については話せない。
魔物の倒し方や素材の相場は、討伐組合が保管する資料の方が正確らしい。貴族が触れる頃には加工の手間賃が含まれて、本来の価格とは差が生まれる。
獣魔を伝えた事で食事や運動について教えを貰えたのは助かった。生活環境で改善できる指摘があった。野生環境も獣魔の健康管理も、専門書を書いているオリヴィアなら頼れる部分が多いだろう。一番会話が続いた話題だった。
部屋に置かれた時計が、真昼の次の鐘を示している。示したオリヴィアは口を休めて見せる。
「無理に呼び出したから、迷惑じゃなかったかい?」
「他に用事も無かったし、知り合いに会えて安心できた」
「そうか」
外出は危険だが自宅でも変わらない。閉じこもっているより動いた方が気は紛れる。出入りが制限され、巡回する兵士もいる貴族街の方が安全だろう。
「まだ昼だけど、夕食も一緒に食べないか?」
「いや、暗くなる前に帰りたい。次の機会があれば頼む」
昼も当然、夜に出歩くのは特に危険だ。日がある内に自宅に帰りたい。
「泊まりでも構わないけど、遠慮されて無理強いはできないな。出会う機会は少ないだろうから、寂しくなりそうだ。念のために手紙は預けておくよ」
本件ではない本音を言うなら、サブレの事を話したい。救助のための殺人の後、食人行動は普通の状況ではないだろう。ただ、本人の前で話せる内容ではない。出会った状況を知っていて、内容が内容だけに話題に挙げていない場合もある。告げ口は不要かもしれない。
最悪の事態は、サブレがオリヴィアを人質にしている場合だ。対処するには分が悪いどころか、身分、戦力ともに勝てない。後ろ盾も無い状態で、内容に触れる方が危険だ。
関係は良好に見えるから直接被害を受けると思えない。手紙による呼び出しもオリヴィアに会わせたかったからだろう。
一度、サブレと相談してみるべきか。殺される可能性まである馬鹿な考えでも、変に疑うよりは真意を聞ける気がする。誘拐現場で立ち去る前に聞いた方が良かった。
外まではサブレに案内してもらう。玄関までの経路で迷う事は無い。
庭から振り返りを玄関前に立つサブレを見る。
「今日はありがとうございました」
「ありがたいのは、自分も同じだ。助かったよ」
「またお会いできるのを楽しみにしています」
サブレの視線は自分の横に向けられる。
「馬車で送りましょうか?」
「いや、歩いて帰るよ」
ここを離れたら自宅までは警戒をするだろう。
「わかりました」
残念そうにサブレが頷く。
貴族街を出た後に一度平地側に降りる面倒があり、自宅近くの傾斜を避けて、途中の道で降ろしてもらう事になる。
遠回りをした場合でも馬車の方が早く帰れる事は確かだろう。安全でも手間をかけさせるのは気が引ける。客人だが貴族ではなく庶民だ。
貴族街をでるまでに兵士に案内を受け、何事も無く、自宅まで帰った。




