119.警鐘を鳴らす者
買い物を終えたため、飲食店の集まる通りに向かう。
前を歩いているニーシアとレウリファが背負う鞄には、今日の成果が詰まっている。昨日の内に組んだ計画は、欲しいものを書き記した程度で、店まで選ぶ厳密さは無い。
実際に歩いて興味がある店に入るという楽しみも考えていただろう。通り過ぎる店の看板を、2人の顔が追っている。
真昼を過ぎて次の鐘が鳴る頃。夕食の時間まで鐘1つ分の余裕があり、途中の店に寄る事はできる。寄り道をしなければ、寝る前に空腹を感じるかもしれない。
足を止めたレウリファにニーシアも気付く。
「同じ臭い……」
レウリファが一言の後に、周囲へ顔を動かす。
こちらに留まっている視線は無く、レウリファの考えは知らない。
「店を探しているにしても、通り過ぎるのは不自然」
通りにある店を楽しむ内に道を往復する事はありえる。それでも、レウリファが不審に思うなら警戒した方が良い。
仮に不審者だとして、通り過ぎるだけというのは、追跡が目的なのか。
こちらが動かないため、不審に思われない程度に距離を保っている。遠くから眺めるより、通行に混ざる方が気付かれにくいか。
通り過ぎた後にすぐ振り返る真似はしてこない。この通りに留まって長い時間が過ぎているため、容姿を覚えられないような工夫はされているだろう。
「姿はどうだった?」
「服装は覚えていません」
構わない。臭いに気付いただけでも、考えるきっかけにはなった。
服装を変えているとすれば、他の通行人から注目されないよう建物脇や脇道で行う。とすると複数で行動している可能性もあるだろう。
「移動するか?」
「お願いします」
間違いであっても疑いを持った時点で、この場を離れる事が優先だ。
「ニーシアもいいな」
「はい」
ニーシアが惜しい表情を見せるが、飲食店には行けそうにない。
監視されているなら、人混みに混ざるよりは、敵を目視できる場所に移動したい。それも開けた場所か、武装を考えても自宅まで逃げたい。
どこかの店に入ってやり過ごすか。裏道を借りる手段は駄目だろう。相手の方に地の利がある。
近くの衛兵に相談すべきだろうか。
武装の足りない状態は守る手段も無い。無手のまま、独りにならないようにニーシアの手を繋ぐ。通りでは短剣の柄に触れる事は悪くみられる。
人を押し退けるわけにもいかず、流れの隙間を探して足を進める。
振り返ると、背後を任せたレウリファも付いてきている。
鐘の音。
普段より近い場所にいる。追跡を逃れるなら教会に行くべきか。中央広場に繋がる道でも道幅が広く、追跡が姿を隠せないはず。
ダンジョンを操れるようになったとはいえ、ニーシアは人間に変わりない。
「嫌! アケハさん」
強い衝撃と共に、繋いだ手が引き抜かれた。
踏みとどまり体勢を戻す。
通行人を押しのけて進む2人の背中。
ニーシアが連れ去られる。
「追うぞ、レウリファ」
「はい」
ニーシアを見捨てられない。
初めて見つけた同じ存在を、それも自分で生み出した。
関わりを押し付けて、頼って、今まで助けを借りてきた。
次に代わる誰かを考えられない。
鐘が鳴り終わる。
「誘拐だ!」
衛兵に頼れる事件ではない。耳に届くかさえ不確かで、救助は確実に遅れる。
通行人は騒ぎを起こした犯人を恨め。誘拐犯が武器を持つようなら妨害は難しく、身の危険を考えれば誰でも自分を優先する。道を通してくれるだけでも、こちらは助かる。
相手が曲がった場所は見えた。腕で示す他人を通り過ぎる。
脇道に抵抗する声が聞こえる。
入り組んだ場所に誘い込まれた。
身の丈の何倍もある壁に囲まれ、陰に囲まれた路地。
建物の扉や格子窓の続く道で音をたどる。
「動くな!」
追いついた。いや、相手の方が待ち構えていた。
路地裏でも光が届く場所、建物一つが収まりそうな空き地で、逃げ道も前後両脇に見えている。
周囲を囲む建物には、閉じた窓がいくつもある。
ニーシアを捕らえている奥の3人。自分とレウリファと囲む目的の5人。
丁寧にも、ニーシアの鞄が端に捨てられている。
「アケハさん。嫌だ、逃げて」
足を浮かせて暴れているニーシアも、捕らえた側の体格を見れば抜け出せない。相手が持った武器を見れば、この場を逃げる事も難しい。
見捨てたところで場を改めて狙われるだけ、結果は変わらなかっただろう。
相手は逃げる気も無く、待ち構える。
強盗なら殺せばいい。人さらいは待ち構える意味もない。
人質を見せなくても、仲間を連れ去った事実を教えて、従わせればいい。
生かしておく理由があるのか。
人質を掴む者の横にいた、一人が進み出る。
「武器を捨てろ」
男の声。見せている剣は、閉所でも扱えるような半端な長さの刃がある。
自分に複数を相手取る技量は無い。短剣一つで人質を取り返すのは無理だ。レウリファとて、人数と距離共に不利な状況では、戦えない。
警戒させないように取り出した武器を、離れた床に捨てる。隣のレウリファも同じだ。
「次は何をすればいい?」
ニーシアはこちらの様子を見て、叫びを止めている。
殺されるなら、逃げる機会を探したい。
「鞄を捨てろ」
こちらの返答から、間を置いて指示が来た。
自分とレウリファを囲む誘拐犯は視界に映る範囲でしか移動せず、左右を越えて、背後にまわろうとする者がいない。単に伏せるより、見せた方が逃げる隙を与えなくて済むだろうに。
「わかった」
背中の鞄を下ろす間に周囲を見ても、取り押さえてくる動きは無い。
自分と囲んでいる一人の間に放り捨てる。
「組合で受け取った報酬を渡せ」
鞄にある通貨は気にしていない。確実にダンジョンコアの方だろう。
組合というなら探索者だと認識されており、こちらの情報を調べていたと考えられる。
過剰な報酬に違和感はあった。情報を漏れているのは討伐組合側の不手際か不正だろう。持ち出す姿を見たとしても、大荷物なだけで中身を知っているはずがない。
仮に個室での会話が口外されていないとして、情報を入手した経緯は何だ。
襲撃の際に逃げ延びた者、あるいは地上に待機していた者なら、ダンジョンが壊れた事実を知っているだろう。生き残りの職員が地上に来たところから追跡を始める。事件の証人や証拠が、王都に運ばれるまでは予想できる。
今まで確認されていない貴重品という意味でも、砕けていないダンジョンコアは組合で管理されると考えるはずだ。救助者とはいえ個人で預かる事を予想できるだろうか。
ダンジョンコアを自宅まで運ぶ様子を監視していたにしても、現物を見ていなければ、本物であるかを判断できない。
こちらの自宅を監視していたなら、組合という言葉を出す意味も少ない。周囲の聞き耳を警戒して、言葉を選んでいる可能性はある。ダンジョンを操る存在の反撃を警戒するなら最初に殺害する、ダンジョンコアを回収するのは後で構わないだろう。
「手間取らせるな」
間を置いて敵が言い放つ。
正面にいる残りの1人が動き、ニーシアの腕を差し出させる。
命令していた男が、伸ばされた腕に剣を走らせた。
腕から赤い筋が生まれ、地面に血が落ちる。
ニーシアの四肢が荒れ狂う。
敵の拘束を無視するように、
顔を振り、髪は乱れ、振られた腕から血が散る。
言葉にならない、悲痛な発声。
歯の衝突音まで不規則に届きそうな、激しい叫び。
視界の先が暗くなり、正面から悲鳴が消える。
重い肉塊が、目の前に落ちていた。
肉の筋を浮かべた、人ならざる存在がうごめく。
自分とレウリファから離れた周囲に腕を伸ばされ、切れた空気が音を立てて、肉が視界を埋める。
戻された時には布を引きずる音が正面に集まり、掴まえられた誘拐犯の、部位を問わず肉腕に埋まる姿があった。
5つの腕が遊ぶように動き、先端が宙に吊られる。
間隔を揃えるかのように、肉塊の前に腕が浮かぶ。
並んだ5つから、一斉に血が噴き出し、こぼれた破片が地面に溜まった。
留めたままの腕は動かない。
しがみつくのを止めた、肉片と布切れが垂れ落ちる。
水を多く含んだ実が潰れた音は、それまでの濁音より軽い。
音に飽きたように腕のそれぞれが、肉片に吸い込まれていく。
肉塊は膨れるでもなく、元の大きさを保つ。
目の前に近付きたくない。逃げるか、不動でいるべきなのか。
視界の隅にいるレウリファも動きは無い。
考える間もなく、肉塊の正面がくぼみ、影が生まれる。
「お久しぶりですね」
小柄な体が肉から抜け出る。
血の汚れは見えない整った服装。
現れた者が肉を背にして立つ。
「食べきるまで時間がかかるので、もう帰っていいですよ」
血だまりに囲まれた、サブレがこちらに告げる。




