113.日常回帰
最深部の施設にいたのは2日間だった。
立ち去った後に占拠されてもいいように、重要な物は荷車に積み込み、入らない物は金庫に納める。各建物の入口は一応塞ぎ、進入禁止の看板も作ってある。これも人命が関わるなら無視されるものだ。倒壊した建物を除けば、壁も頑丈で避難場所には使える。
放棄が整ったらすぐに脱出した。特別に用が無い限りは立ち入ろうとする者が当分現れない。崩れた防壁の周囲で自然による不可侵地帯ができあがっていた。
全員が武装の上に着込んでいた布は、通り過ぎて早々に捨てた。2日徐々に嗅ぎ慣らされた者たちでも、残り香を土に埋めるほどだ。
押していた荷車は3つ。施設に残っていたものであり。大きな照明石を取り付けてあり、山積みの荷物には、組合の紋章が入った布をかぶせた。
襲撃者の死体も運んでいて、保冷装置まで積み込んでいる。素材の運搬時に利用されるもので、馬車に設置して馬に引かせる物である。荷車に合うよう軽量化されているらしいが、相当な重量があるのは運び込む際に知っている。自分が使っていた荷車では、装置1つで底が抜けていただろう。
組合職員と自分たちの計8人では、運び手も護衛も足りない状態である。襲撃者を警戒して休憩を多く行い、体力を残しながらも探索者に出会えたら雇うつもりで進んだ。
道中の魔物に関してはロック一人で十分なほどで、結果として地上から送られた調査隊に助けられ、後半から安全な移動が得られた。
地上に着いた時には、行きには無かった一度見た光景を再び目にする。防壁や陣地が組まれて、探索者の姿も多く集まっていて、魔物に対して警戒している様子があった。場所選びの悪さを気にした探索者は自分以外にも少しはいただろう。
職員が同伴していたため、持ち物検査も受けずに通過できたのは手間が省けた。組合施設の裏に到着して、荷物の確認まで手伝うまではいい。その後、なぜか王都まで足を進める計画になり、同じ顔触れでさらに2日間馬車に乗せられた。
王都に着くと普段見る施設とは別の場所に案内され、職員と別れた後、襲撃事件についての聞き取りを受けた。事件の途中で現場に遭遇したため、話せる内容は、到着時点の様子や戦闘だけだろう。ありのままを話す内に、ニーシアが襲撃者を殺した事には驚いた。遠隔武器を警戒して魔物を防壁に誘導した可能性はある。
ダンジョンコアに固定されていた装置は魔道具らしく、外見や取り付け方を詳しく聞かれた。運び込んだ実物が破損しているため証言を頼りに修理するのかもしれない。壊すために専用の装置を使う程度にコアが頑丈なら、未登録のダンジョンを見つけても個人で壊せるとは限らないだろう。
追加で職員の事後処理や自分たちへの待遇を聞かれて、何度か組合から呼び出しを受ける事とも教えられ、解放された。
建物を出たのは夕方だった。
今日まで宿泊場所を用意して貰えたのは費用の上で助かった。ダンジョンの近くでは宿泊施設が埋まっていたはずだ。獣使いに向いた部屋は少なく、ダンジョンにいた全ての探索者が地上に戻ったためか野宿でさえ混みごみだった。宿泊施設ではなく待合室だが、少なくとも無名の探索者には似合わないものだ。ひと段落するまで参考人を確保しておきたかったのだろう。
気分転換に外壁沿いの道を通っているが住民の様子は相変わらずである。魔物が襲ってこない王都の市街では探索者の姿こそ異様なのだ。武器を身に着ける人の中でも、自分たちは魔物を連れている。近くを通り抜ける者は少なく、離れた場所でも目線が届く。
借りた荷車には、ヴァイスも乗せてある。
腹に布を巻いており横向きに寝る必要は無い。何重にも敷いた布の上で伏せているヴァイスは、荷物に囲まれ尻尾の置き場所を気にしている。家に戻るまでは我慢してほしい。
怪我の治癒はまだ先、膿みや腫れを確かめるために傷周りを触れると痛みからか嫌がってみせる。体力はあるらしい。太らないように減らしている食事でも食べ残しは無い。経過を観察して問題が無ければ、あと6日ほどで抜糸する。
その後も激しい運動はさせられず、血の巡りを邪魔しないための最低限の運動だけを続ける。戦闘に加えられるかは完全に治癒した後で確認する。
腹回りの怪我で引退する探索者は少ない。伸びた四肢に傷を負うのが大半で、生活が困難になるのも手足の怪我だ。腹回りの場合は間もなく死ぬか、引退の生活が多少不便という辺りに落ち着く。人間と雨衣狼で構造に違いがあるとはいえ、期待はしていない。
荷物の大体は新しい物で、古い物はダンジョンに捨ててきた。魔物の素材は地上に行く途中に消費できず重荷になるのは確実だった。
場所を取らない魔石だけは地上まで運び組合に預けてある。儲けがあるかは今後の状況次第だが、目に見えた損失が無いだけでも上等だろう。緊急の救出報酬も貰えるらしいので、取り調べが長く続いたとしても金の問題は少ない。
なお、自宅の生活にも影響するため、詰め替えた樽でアメーバを運んでいる。
並んだ街灯もすべて光が見える。人が少ない地区でも、壁沿いだけは同じ間隔で街灯が集まる。そこを離れて、少ない建物の明かりが目立つ中を進む。
ニーシアが持つオイルランプの光は、ダンジョンで見た照明石のそれより弱い。砂利を踏んだ荷車が不器用に揺れて自宅前で止まる。雨の気は無いため、明日は洗濯で忙しくなるだろう。
荒らされた様子が見えない玄関扉を開けて、荷物を運び込んだ。
身体を洗うためにお湯を作る火はつけたが、食事には間に合わない。
食卓に着いて携帯食を食べ、水を飲む。感謝として貰った酒も消費は明日以降にしたい。
「やっぱり、料理した方が自宅という感じがしますね」
「そうだな」
ダンジョン帰りで遅く帰宅した場合は、今日と同じく簡単な食事で済ませる。それ以外では食卓に手作りの料理が並ぶため、見慣れないのだろう。作る側と食べる側では感じ方が異なるかもしれない。確かに屋外でも、スープのひと品は作ってもらえる。
「普段より疲れがある分、早く身体を休ませたいな」
外出期間が少々伸びた程度でも、人と接する機会は多く、身体的負担も大きかっただろう。
「アケハさんもですか?」
「ああ。慣れない作業が続いたからな」
これまでに大勢と協力する機会は無く、顔見知り程度では緊張が薄まらなかった。ニーシアとレウリファには慣れていたらしい。
「でも面白い部分もありませんでしたか? ほら、最奥の施設に入るのは貴重ですから」
「滞在が長ければ、武器と本は見てみたかったな」
脱出を急ぐ状況で、立場を考えても難しかった。持ち去るわけにもいかない。
「炭の点火に魔道具を使っていましたし、お湯を作る時に火が不要だったのも驚きました」
地上より職務時間が少ない理由に、設備が優れていた事は関係あるはずだ。つまみを回すだけでお湯が作れる。待つ時間が短いだけでも便利だ。
魔道具といえば、暗殺者の武器もあったな。
「あれだけ揃えようとなると探索者個人では難しいだろうな」
共同で暮らせば資金の余剰も大きくなりやすい。
探索者が属する団体でも、新人教育も独自で行うほど環境改善に熱心なら、共同施設も快適に過ごせる設備は整えていそうだ。
「救出報酬って高いですよね」
食卓に体を傾けたニーシアが抑え気味に話す。
「ダンジョンに一度行く程度は貰えるだろう。増して木貨の数枚ぐらいじゃないか?」
自分は囮としての活躍でも、2人は襲撃者を殺したという結果を出している。
仮に自分たちがいなくても解決はしていたかもしれない。それでも脱出の途中までは、頭数という意味でも貴重な戦力だったはずだ。組合側も探索者が救助する事態は想定していなかっただろう。
「いいえ、アケハさん。あと2息は足りませんよ」
姿勢を直して
「緊急依頼と考えて、雑用、人命救助、運搬護衛はありますね。活動中の生活費は組合持ち。特に私たち自身も重大事件の証拠ですから、情報提供料も足して聖光貨の一枚は欲しいところです」
重要施設の護衛を雇うには大きな額がいるだろう。弱い探索者並みの実力と功績では選ばれない。とはいえ、平常時は近付く魔物の警戒をするに留まるため、実作業だけなら自分たちも果たしていた。
ダンジョンの襲撃は、討伐組合が警戒を見せるほどの重大事件であるため、情報の価値は高い。酒のつまみにする事にはこちらの身が危うくなるほどだろう。死人も多く出ている。
要請ではなく自発的な救助だった事で、報酬の交渉も吊り上げをしなかったのは、良くも悪くもといったところだ。情報の価値なんてその手の専門が決めるもので、討伐組合の方が調査も詳しく、一応、自分という探索者の雇用主でもある。
施設内で金のやりとりをするなんて面倒も避けられたのは、印象面でも良い事だ。
「聖光貨が貰えるなら、小さい魔道具でも買ってみるか」
「置いてきた道具を買い揃える際に店へ寄ってみたいです」
一度くらい試すのはありだろう。ニーシアでも扱える、魔石で操作する魔道具もある。
「置いてきたというより、捨ててきたの方が実だけどな」
「それは内緒です」
すでに回収はできない。所有物だとしても事件現場に立ち入る許可は下りず、こちらとしても往復するほどの価値は無い。
比較的小さな問題だが、ダンジョン内のごみ投棄には罰則がある。どこに限らずだが、ダンジョンという場所は人の目も多く、防衛の都合で厳しく扱われる。
まあ、多くいた目撃者も事実を伏してくれるだろう。
「今回の休日は長くなるから、店を探す時間はありそうだ」
「はい」
食事を終えると、普段通りに一日を終えた。




