109.見えない一本道
魔物と遭遇する数は増えてきている。岩土に囲まれ昼夜という区別が無い空間で、睡眠を妨げられる事もあった。
自分たちは楽な方だろう。主要な道から離れた場所では、照明となる杭が設置されていない。手元の明かりだけで活動しなければならない。野営や戦闘をするために安全な場所を探すか、作り上げる面倒がある。
魔物との戦いに集中するには、足場の整備も、明かりも不足している。原因はダンジョン自体の構造に加えて、最深部が早期に発見された事にある。王都周辺でもダンジョンは複数存在しており、未だに最奥まで到達していない場所があるのだ。ダンジョンコアが発見された時点から、拠点や道整備の人材は減らされていく。その後は探索者が主体となって整備をするしかない。
ダンジョンを進む間に通行料が取られないだけ、探索者同士は協力している。狩場の独占が行われていても、組合の許可を得ない封鎖は無い。ダンジョンという存在の危険を理解しているのか、規則に従う者が多い。
こちらが経験した状況より過酷な環境を生き残っている。自然と社会によって厳選された、探索者という人間は優れた者が多いのだ。
魔物との戦闘、解体や小休憩が増えている。おそらく、未到達を進む者は戦闘後の解体もままならないだろう。到底個人が行えるものではない。地図を広げる者たちと比べるまでもなく、自分の実力は弱い。
道は整備されて地図もある環境でも、疲れは溜まり進む足が遅れている。ダンジョンを一定より深く進むには、規模のある拠点を設置する必要があるだろう。安全には遠くても、体を十分に休められる場所は欲しい。組合が探索者村を維持する事で、探索者個人では難しい部分を補う事ができる。
周囲の少ない音を拾いながら、警戒を省かずに振り返る。
背後を歩く雨衣狼は4つ脚だからか足音が少ない。体重移動に長けており、普段見る足の運びは滑らかだ。視界の先は杭が続いている様子で、他の影は見えない。魔物との遭遇は、後ろを追ってくるよりも、進む先から来る場合が多い。
足音を抑えたところで、荷車の騒音までは隠せずにいる。
魔物も見境なく襲ってくる事は無く、聴覚の優れた個体がすべてではない。暗闇に弱い種類さえ出現している。ダンジョンは作られた環境にあった魔物が出現するとは限らないようだ。
荷車を押す自分が最後列にいて、最前列のレウリファが歩く。
間で守られているニーシアは、寝起きから不調らしい。武装は残しているものの、鞄を外して腰物も最小限にしている。戦闘といった激しい行動は望めない。雨衣狼の指示を覚えたのは、こういう状況の為だろう。
直前の休憩で見た地図では、次に足を止めるのは最深部へ到達した時だ。ダンジョンコアを監視する施設には入れない。近くに辿り着いた後は、周辺をめぐって魔物と戦う事になるだろう。
稼ぎを考えると、今以上に戦う意味は少ない。収入は昨日の取引で十二分である。素材を運ぶにも限界があり、保存の関係で肉は多く運べない。基本は魔石を集めるだけになる。魔物から得られる収益が減るため、怪我の可能性を考えれば、戦いは最低限が良い。
レウリファが止まる。
「戦闘音です」
「様子を見てみよう」
まだ聞こえない。レウリファの聴覚
洞窟の先には杭と異なる薄い光も見えている。最深部はダンジョンの建材が露出しているらしい。狩場と同じで魔物が出現するため、戦闘が行われる事は普通だ。
特に重要な施設があるため、魔物が溜まらないように駆除しているのだろう。邪魔をしないよう遠巻きに移動して、脇道を通ればいい。夜気鳥を監視に向かわせると、誤って攻撃を受けるかもしれない。
奥に近付くほど血の生臭さが増してくる。新しい死骸が多いのだろう。足元で沈む土は、死骸が分解されてできた物も含んでいる。ダンジョンができる以前は土の無い、硬い地面だったかもしれない。
先に見えるのは、星空の下より明るい空間だ。ダンジョンの壁が大きく露出した広い空洞がある。奥に照明が目立つ建物があり、周辺で魔物の死骸が大量に広がっている。
「変じゃないか?」
空洞の手前で足を止めたのは、自分だけでは無い。最前にいたレウリファは壁に身を寄せて先の様子を覗いている。ニーシアもこちらに下がり気味だ。
戦闘音は遠い。
生き残った魔物が未だに存在しており、所々で輪郭が動いている。騒々しい呻きと叫びが、今も続いている。
「戦闘跡と血の臭い。古くても半日は経っていません。とにかく数が多いです」
レウリファは見立てを教えてくれる。
「考えさせてくれ」
探索者として現状は好ましくない。
レウリファは戦闘音が聞こえると言っていた。中に生存者がいるなら救助を行うなり、周辺の魔物を減らすなり、手助けをすべきである。組合施設が魔物に襲われている状況で、放置するのは不義理だろう。
近付けば命の危険がある。魔物の数も知れない場所に入って、逃げられるか。この場に留まる事さえ避けたいところだ。
逃げ出てくる人間は見当たらない。
荷物を最低限にして走って逃げるなら、他の探索者と合流できるかもしれない。
食料と通貨は持ち帰りたい。魔石は価値を考えると雨衣狼に縛り付けてでも運ばせたい。照明は組合が設置した杭を奪う。松明やオイルランプより明るく、燃料も不要だ。走る間に不意を突かれる可能性は減らしたい。杭の固定は外す手間と比べて、道中の安全の方を優先する。
地上に出て組合に報告したとして、若い探索者の言葉は信用されない。情報が複数集まってからでは対処に遅れがでる。前触れとしてダンジョンコア周辺に異変が起きているなら、魔物が大量に生み出されて王都まで攻めてくる可能性もある。
現地に行った証拠が欲しい。内部の状況を確認すべきだろう。生存者でも、組合員の持ち物でも構わない。組合施設の中から、特徴的な物を拾っていきたい。
今すぐ地上へ逃げたとしても、大量の魔物が追い駆けてくるなら結果は変わらないのだ。地上の探索者村で防衛体制が整えられなければ、王都までの道中で追い付かれるまである。王都にある頑丈な城壁までは体力も持たない。下手に焦るよりは、状況を確認すべきだ。
救助の名目でダンジョンの最奥に立ち入れる。通常入れる者は一部でしかない。監視と警備、実力と信用が必要な仕事だろう。成りたての自分では選ばれない。おそらく、次の機会は無い。
「奥へ進む。情報を地上渡すにも、証拠を拾っていきたい」
荷台は置いておく。最低限、戦闘に適した状態で潜入したい。
盗まれたなら組合に請求する。自己責任というなら、情報量をむしり取る。
「俺とレウリファで行く。ニーシアにはシードと夜気鳥を護衛につける。他に意見は無いか?」
体調が悪いニーシアには隠れていてもらう。
護衛に雨衣狼が1体いれば、魔物の2、3体と対峙できる。加えて夜気鳥に警戒させれば、先んじて逃げられるかもしれない。
「わかりました」
付いてくる、と反対してこない。レウリファも同様だ。
「状況によって自由に動いてくれ。荷車は捨てる。道具も捨てるつもりで使って良い」
「はい」
荷車は頑丈でなく壁にもならず、通路を塞ぐにも数が足りない。
油をまいて火をつけるなり、守る手段はニーシアも考えているだろう。
近くにある杭を1つだけ持ち出しておく。施設に照明が見えているとはいえ、中まで同じとも限らない。近付くまでも魔物の死骸を踏み越えて行くため、足元を強く照らすものは欲しい。緊急だから許されるだろう。
壁に打ち込まれた杭を剣で叩きつけて引き抜く。思った以上に固く打ち込まれていた。
レウリファには戦闘を優先させるため、自分が照明を持つ。
「行ってくる」
ニーシアを背後に、自分は異変のそばに向かう。薄暗い中では、背後に向けられた表情も見えなくなるだろう。
足元は土と岩だけで、血のぬかるみはまだ先にある。まだらに積もった肉の小山には、突き刺さった矢が見えている。作った射手はいない。
全身を押し潰すような爆発音。
顔から手を離して、縮めた身を戻す。
響きが薄まっていく中に、届かない近くまで、小さな音が散らばってきた。肉の山に飛び石が落ちたらしい。
穴の多い防壁の奥、組合が管理する建物の一角が崩れていた。重たい土煙が湧きだし、防壁の隙間から漏れている。戦闘は続いているようだ。
「レウリファ」
「大丈夫です」
左右にいるヴァイスとルトの2体も、異常は見えない。
足を進めるたびに、慣れない感触が返ってくる。




