102.雑音アンシー
面を合わせてはいない。顔は互いにずれている。
「君の体は脆い」
こちら届くアンシーの声は耳に近い。
「戦士なら誰もが無意識に行う、基本的な事ができない。君は平凡以下だ。戦おうとする事自体が愚かだ」
急に非難してくる。
「刃物を向けられた時、生身で受け止める事ができるか? 肉は引き裂かれ、骨は砕けて折れる。そこが違う。彼らは知っている。己が肉で食い止められる自信がある」
戦士として意思の強さが足りないのだろうか。
「一つ間違えば死ぬ? 利き腕が使えなくなる? いいや、彼らは取り返しがつく。むしろ敵の武器を止められる分、好機となるだろう」
身を切る覚悟があったあとして、自由に戦えないだろう。怪我一つでも持久力は下がるはずだ。傷を抱えるほど動きが悪くなる。動きが悪くなるほど攻撃を受ける。
間違いではないはずだ。
「街を駆ける少年少女が君のように悩むと思うか? 君の非力さを理解できると思うか? 断言しておこう、無理だ。生物としての質が、基礎が違う。彼らは難無く通り過ぎる事だろう。君の苦悩など知らない。知るすべがない。君の手をみれば、彼らは勝手に想像してくれるだろう。恵まれなかったのだと」
アンシーは何が言いたい。
才能が無いと伝えたいなら、直接伝えるだろう。
「私は君を共感できる」
周りを悪く言って自分を良く見せたいという事も無いだろう。
見せつけるだけではない、魔力の操作を指導してくれた。
「君は意識的に調節できる。自分の意思で操れる。彼らは知らない。知る必要が無く生きていけるから。君は常に意識して制御しなければならない。かわりに自由だ。秩序を組み立てられる。……ここまでは比較的な情報だ、気になって言っただけ、根性論だから忘れて構わない」
息を整える音が小さく聞こえた。
「評価を言おう。魔法の技術については大丈夫だ。訓練の成果は十分に表れていたよ。これからは、さっきの効果を自身の体に試すと良い」
アンシーの手の平が硬い状態であるのは、アンシーの補助を得た結果だ。自分ひとりでは行えないだろう。
「魔道具では、手のひらより先の宙が範囲になっていた。今度は体表の一部に効果が表れるように流れを調節する。手以外で魔法の練習をしていたなら、今までより制御が楽な工程だ。疲労も少ない。ただし、体を動かしながら効果を保つ。日常生活をする間も、探索者として活動する間も。戦う時こそ意識して操作しなければならない。常に保つことではなく、必要な時に効果を発揮させる程度から始めよう」
アンシーはこちらの手を掴み直して、手のひらに触れてくる。
「精密に印が描けない状態でも良い。むしろ、見せかけの技術は要らない。多少の誤差は流れを保っておけば、悪影響を抑えられる。流れを徐々に弱めていけば問題ない。そういう性質があるからね。操作の制御よりも、実戦で慣れる段階になった。才能は確かにあるよ」
声が大きくなっている。
「これからは、戦闘にどう使えるか考えると良い。これまでの訓練も忘れない程度に行ってね。異常があれば、私を見つけて教えて欲しい。言う事はこのくらいかな」
耳元でなくても聞こえる声だった。
「……そうだ良い事を教えてあげよう」
嫌な気がする。
アンシーは目線が合う程度に、顔をこちらの体から離す。
「君は縛られていない、子どものような印象を受ける。だから本能で嫉妬する事がある。悪く思わないでくれ。彼らも奥底では――」扉が開く音がした。「――君の事が好きなんだ」
手前の扉は開いていない。つまり奥側。
「流石に脅迫は駄目でしょう」
声の主は受付嬢だろう。
「いや、魔法の指導だ」
「嘘ですね」
アンシーは沈黙する。
「一人を壁に押さえ付けて、他を距離を置いて椅子に座らせている。他の仲間を人質に迫ったのでしょう。2人とも悲しい顔をしていますよ。相手の手を掴み、胸を押し付け、顔を寄せてと。相手も引いているようですし」
ニーシアもレウリファも、座っている向きを変えてこちらを見ている。
「体の関係でも誘った、断わられたから強行策に出たのですね」
受付嬢はアンシーの背後まで来た。
持っている箱には書類が入っている。
「まあ、貴方にそんな趣味があるとは思えませんが」
「当然」
アンシーがようやく声を出す。
「その噂を知っていたとは、久しぶりに頑張ろうか?」
「迷惑です。他をあたってください」
受付嬢はこちらを見てから、アンシーへ向き直した。
「今、新しい趣味を見つけた」
アンシーが離れる。遠ざけられた手に傷が無い。
「気にかけていますが、弟子にするんですか?」
受付嬢が書類を取り出す。
受け取ったアンシーは一目見て返した。
「いや、隣で見たいだけ。引退する気は無いよ」
書類は仕舞われた。
「……若作り婆」
「言ったな。さとい小娘程度、やたすく叩き潰してやる。こう見えても古参。影響力も多少はあるのだよ」
楽しげな口調で会話を続けている。
「似顔絵を描き残して、同じ年齢になったら比較して笑ってやろうか? その時になって、互いに年を取った、なんて言い訳するなよ。10年もすれば泣きついてくる。若作りの秘訣を教わっておけば、同類になれたものを」
抑揚ない笑い声を上げた後に、顔を向けてきた。
「どうだアケハ、どちらと暮らしたい?」
受付嬢は歪ませた顔でアンシーを見ている。
アンシーは返事するまで、目を離さないだろう。
「断わる」
息を詰まらせたアンシーは背まで落ち込むと、受付嬢に近付く。
「独身同士、仲直りしようか」
「大年増」
「その通りだ」
顔を床に向けたアンシーに、受付嬢は柔らかい笑みを浮かべている。
「こうなったら、あと20は生きてやる。地に還るのは、見納めしてからだ」
「婚儀に参列する際には、祝儀も積んでくださいね」
「ぐぬぅ。婿より良い宝石を送ってやる」
握り手を震わせて、息を吐いていた。
「先に取り調べを済ませましょう。アケハさんも席についてもらえますか」
受付嬢の指示に従って席に着く。
何もなかったように、受付嬢とアンシーが隣り合って座る。
「ダンジョンで起きた異常について、覚えている事を話してください」
受付嬢は白紙の紙を箱から取り出す。
相手からの質問は現地で受けたものと変わない。話せる内容も異常が起きる以前との違いは少なく、救助を初めて行った程度だろう。ニーシアとレウリファに情報を足してもらい、ダンジョンが暗くなった時の居場所、雰囲気などを答えていった。
聞き取りの間、アンシーは無言だった。目線も記録用紙にあり、こちらに向けられる事は無かった。
受付嬢が書く手を止める。
「協力ありがとうございました」
「うんうん」
「原因に関わるような内容はありませんね。ただし、あのダンジョンについて口外は避けてください」
「そうそう、身の危険もあるからね」
受付嬢が目を隣へ動かす。
「組合としては、情報の混乱を避けたいのが現状です」
声質が重くなる。
「そうなんだよ。国政に関わりそうな、ベットリした部分がありそうでね」
「アンシー。黙りなさい」
眉間にしわが作られた。
「狂人の世迷言だと思って、許して」
「冗談でも笑えません」
「彼らが家にいる間は守れるから」
「は?」
受付嬢とアンシーが見つめ合う。
アンシーは歯が見せた。
「犯罪行為ですよね」
「どうだろう」
受付嬢の追及をごまかすアンシー。
「自宅まで付きまとうなんて、牢が恋しくなったの」
「隔離牢でなければ、地下らしい会話で暇つぶしできる。良い場所だよ」
「衛兵を呼んできますから、部屋から離れないように」
受付嬢は書き物を置いたまま、立ち上がる仕草をする。
「まあまあ、冗談だよ。お隣さんなんだ」
腰を戻して、こちらに顔を向ける。
「本当ですか?」
アンシーの家が隣であることは事実だ。
頷くと、目で驚かれた。




