幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 2
下 苦労は知らずの勉強の徳
汽車もある便利な世の中ではあるが、修行する身は辛いもの。菅笠は街道の埃に赤くなり、肌着は風呂場でうつされる虱を避けることもできず、春の日の長く続く一本道に疲れ果てて、蝶々がうらうらと飛んでいるのを見るとその翼が羨ましくなる。秋の夜は淋しい独り寝の床に目が覚めたり、隣に寝ている人の歯ぎしりに吃驚させられたりする。アア、旅路の何と情けないことか。風が吹き荒み、熱い砂が顔にぶつかる時、目を閉じながら歩けば、『気をつけろ!』とばかり、邪見に吹き鳴らす馬車の喇叭に胆は縮み上がる。降りしきる雨には参るし、新道を作るための工事をした時に掘り出された石に蹴躓いて、足の生爪を剥がして困っている時に、欲深い人力車の車夫が法外な値段を吹っ掛け、その上、尚も街道筋での料金の五割増しは当然だと強請られたりするが、そんな仇や情も一日限りの宿屋においても同様で、掛け布団は襟首に寒く、出された平椀に盛られた蒟蒻も冷え切って黒々としている。
珠運は貧しさには素から慣れているものの、加茂川の水の柔らかな所で心穏やかに育ったので、初めての野越、山越えで野宿の辛さを知った。露に湿ったまま見る夢は心細く、覚束ないものの馴れ親しんだ京都のあちこちを巡る夢を見ていたのに、聞きたくもない郭公の鳴き声で無念にも邪魔され、ふと見れば、破れ戸の隙間から、明星の光が偉そうにきらめいて、それを見た時のうら悲しさは何とも言いようがない。あるいは、柳が散り、桐の葉が落ちる頃、無情が身に染み入る野寺の鐘の音に、つくづく命というものは森を走る稲妻の瞬きように儚いものだと感じた。そして、そう感じるにつけても、心に秘めたこの思いを遂げるには道はなお遠いぞと、走る馬に鞭打つようにして自らを励まし、漸く東海道の名刹古社を訪れ、神像、木仏、梁、欄間の彫物まで見て回り、その足で鎌倉、東京、日光へも行った。そして、これから行く最後の楽しみは奈良だと、急いで登って行く真冬の碓氷峠。雪が深く積もり、裾も冷え冷えとする浅間下ろしの烈しさにもめげず臆せず、有名な和田峠、塩尻峠を藁沓の底に踏みにじり、木曽路に入って、日照山、桟橋、寝覚を通って、須原の宿に着いた珠運であった。
つづく
次回、「第一 如是相」から、「お辰」が登場します。