幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 1
今回から物語が始まります。
章に当たる 副題は、そのまま訳さずにおきます。特に、意識しなくても物語は理解出来るのではないかと考えます。もちろん、副題の意味を知って読めば、より一層理解が深まるとは思いますが。
ちなみに、既述の「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注によれば、如是我聞とは……「是の如く我聞く」(私は次のように聞いた)。経典の出だしの決まり文句で、釈尊の説法を聞いたままに弟子達が記録したという意をこめる(P.162)……とあります。
この「発端」の部分は、話の助走の部分で、「上・下」あります。
その次の「第一 如是相」から実際の話が展開されます。
発端 如是我聞
上 一向専念の修行幾年
三尊、四天王、十二童子、十六羅漢、さては五百羅漢までを胸の中にしっかり蔵め、それを鉈、小刀で実際に彫り上げることのできる腕前に、運慶も知らない人は感心して誉め讃えるけれど、日本最古の仏工である止利仏師を知っている身としては心恥ずかしいものがある。志を持って、仏像彫刻という奥深い道を分け入るにつけ、自分の技量の不足を恨むのである。この日本という『美術国』に生まれながら、今の世には、もう巧妙な技を持つ『飛騨の工匠』と呼ばれる人はいないのではと、言われるのが口惜しい。
珠運は、命ある限り、持てる力の及ぶ限りを尽くして、せめて自分が満足できる立派な仏像を彫りたい、また、石膏細工のように鼻の高い、高慢な西洋人らに侮られている鬱憤を少しでも晴らしたいと、一向専念の誓いを嵯峨の釈迦に立てた愛すべき男である。歳は幾つか? 二十一の春である。
それからというもの、春は京都嵐山の霞を風が吹き散らすのを恨めしく思っている俳諧師が、ひらひらと舞い落ちる花片を見ては、『蝶になれ、蝶になれ』と祈る、そんな風流な花片を眺めることもなく、まだ見たことのない天竺のあの花この花を思い描いて彫り続け、ずいぶん日が経つのにまだ彫り終えられず、一日の作業を終える夕暮れの鐘の音に、アア、まだまだ完成にはほど遠いと歎くほど、頭は彫像のことで一杯になっている毎日である。
夏には、夕立が三条や四条の塵埃を洗い、小石の面がまだ乾かないうちにも、空にはさっき夕立を降らせた様子も見せず、清んだ月がかかっているが、その月影を映す清水に浸した瓜を食べながら、粋がって『噛めば歯に爽やかなり』と詠む詩人達が川原で夕涼みをしている。だが、そんな快いものさえ自分には縁のないものとして、ただいたずらに垣に絡んだ夕顔の暮れ残る姿を見ながら、白檀の切り屑を蚊遣りに焚いて、こういう風なのも自然の恵みなのだと、ありがたがっているのこそ愛らしいものである。
秋になっても、酒を飲んで、林間の紅葉と争うくらいに顔を紅くしている風流人の中に入るでもなく、また、冬も、硝子越しに雪を見ながら、昆布を蒲団に敷いた湯豆腐を突くのが粋なのだとする連中にも加わらなければ、ましてや遊里である京都の島原や祇園の美女達には横目一つ遣いもせず、自分の手作りの弁天様に涎を流すほど一途に惚れ込み、琴や三味線の味な小唄は聞きもしないが、夢の中では音楽、舞踏の神である緊那羅神の声を耳にするまでの熱心さ。アア、こういう人間にこそ建築、工芸の神、毘首竭摩の魂が乗り移って欲しいものである。
こうして三年ばかり、浮き世を正直に渡っていけば、『稼ぐに追いつく貧乏なし』ではないが、『勤めるのに追いつく悪魔はいない』という道理。殊更、小さい頃から、雪を丸めては達磨を作り、大根を切っては鷽の形にかたどるといった天賦の才能にしばしば人々は驚かされたものだが、その上修行に励み、ひたむきさも加われば、冴えた腕は益々冴え、鋭い刀はいよいよ鋭く、七歳から始めたこの道も二十四歳の頃には修行も終わって、師匠から『もう、これ以上教えることもない』と言い与えられれば、珠運は忽ち思い立って、独身者の気楽さで、親から譲られた家財をすべて売ってしまい、いざ奈良、鎌倉、日光へと昔の工匠の跡を訪ねようと志した。ほんの少しばかりの道具を肩に、草鞋の紐も結び慣れないため、度々ほどけてしまうのを笑われながら、以後、藤原俊成の『恋せずば 人は心もなからまし 物の哀れもこれよりぞ知る』ではないが、『物のあわれをこれよりぞ知る』旅に出たのであった。
つづく