表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
19/23

幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳  18

如是果(にょぜか)」とは、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、

「諸現象における、因に対する結果にあたるところ。珠運の心の中のお辰像という因が、恋の挫折という縁によって、風流仏という果に至ることをいう」と解説されている。(P.207)


また、「()(とく)安心(あんしん)」とは、同書において、

「『いまだ安心を得ず』。『安心』は、信仰や実践により到達する心の安らぎ・不動の境地」とある。(P.207)


 第九 如是果(にょぜか)


 上 (すで)仏体(ぶったい)を作りて()(とく)安心(あんしん)


 自ら気力、勇気を奮い立たせて仏道修行に精進(しょうじん)し、心身を清めることを怠らず、『南無(なむ)帰命(きみょう)頂礼(ちょうらい)』…仏を礼拝するときに唱える言葉…と、真心を凝らし、心を尽くし、三拝しては(ひと)(のみ)振るい、九拝しては一刀(いっとう)を振るって刻み出された木像。

「有り難や有り難や、お釈迦様の三十二相を見事に写したそのままの仏様、(おが)めば御利益(ごりやく)疑いなし」と、生臭(なまぐさ)和尚様が語られたが、それに深い意味などない。これはただ優鈿(うでん)大王(だいおう)…家臣に初めて仏像を作らせた王…とか饂飩(うどん)大王(だいおう)とやらに頼まれて行った仕事(しわざ)


 仏師もやり損ねては大変だと額に汗して、眼に木片(きぎれ)の飛び込むのも構わず、ただ恐れ(かしこ)んで作っただけ。

 仏像をひたすら敬い慎むのがそんなに面白いものではないのは、『ご本尊様の前で朝夕読経(どきょう)するのはくたびれるものよ』と、愚痴を言いながら、そのくせ、夜が更けるのも厭わずに、妻の傍で下世話な雑談(はなし)をする坊主がいることでも分かると、そんな風にあれこれ評するのは、両親を寺参りさせて、その間に『鬼の居ぬ間に洗濯する命じゃ、しゃぼん玉の泡のような儚い夢のような世の中では、楽をしなければ損だ』と、帳場の金を(つか)み出して遊郭で遊ぶ息子だという。 


 まあ、そんなことはどうでもいいが……。


 珠運が少しずつ平面板(ひらいた)に彫り浮かべるお辰の像は、元より誰に頼まれたものでもないので、これを彫ったからといって金を取る訳でもない。ただ、恋しさが募ってのことである。一刀(いっとう)削っては暫く茫然と目を塞げば、『花漬はいかがでございましょう』と艶めかしい声を洩らす口元の愛らしさが浮かんで来て、『オオ、それそれ、その口元』と、その影を捉えるように又一刀(ひとかたな)。また、一鑿(ひとのみ)突いては後ずさりして眺め、幾日かの恩愛を思い出す。


 助けたり、助けられたり。熱に汗蒸れて、臭い身体を嫌な様子も見せず、(やさ)しい手でもって介抱してくれた嬉しさは、今はもう風前の雲と消えて、思いは(いたずら)に都の空を駆け巡ることこそ悲しい。

 なまじ最初、お辰の難を助けてこの家を出たその時に、留められた袖を思い切って振り払っておいたなら、これほどまでに切ない苦しみにはならなかったものをと、恋しさを恨む恋の愚痴。

 自分でも自分がよく分からなくなって、ぼんやりする所へふっと現れるお辰の姿、眉付きも(なまめ)かしく、生き生きとした瞳は、どんな(じょう)を含んでか、自分が与えた櫛をじっと見とれる美しさ。『アア、ここだ!』と再び幻を写して又一鑿(ひとのみ)


 漸く二十日を超えて、最初に思った通りの意匠が出来上がった。花漬売の時の襤褸(ぼろ)も着させなければ、子爵令嬢の(にしき)も着せず、梅、桃、桜、菊という色々の花を綴った衣装を麗しく引き(まと)わせれば、全身像は惚れた眼から見れば、観音の化身かとも見えて、誰に遠慮することもなく、後光輪(ごこう)まで付けて、天女のように見事に出来上がった。

 我ながら満足してほれぼれと眺めて過ごし、その夜の夢での逢瀬はいつもより嬉しく、胸に抱いた有り丈の思いを(こまやか)に、


「恋というものを知らなかった珠運を煩悩の深水(ふかみ)へと導いた笑窪(えくぼ)が憎いぞ」と伝えれば、

「可愛がられて喜ぶというのは、まだまだ浅うございます。あなた様に口惜しいほどに憎まれたからこそ、誓文に移り気のない真実(まこと)を命かけて打ち込んでお見せしたものを」

「や、それはどういうこと。お前を一生可愛がって暮らそうという男なのに」

「アレ、そんな嘘を。さっきは『憎い』と言われたのに、今度は『可愛がって』とは、後先が揃いませぬ。どうも殿御(とのご)はお口上手」と、笑みを含みながら睨んで、ちょいと()つ真似をして手を上げる。珠運はその華奢(きゃしゃ)な手首をしっかりと捉えて、柔らかに握りながら、

()たれるほど憎まれてこそ、誓文に命懸けて移り気はないという真実(まこと)を」と、早速の鸚鵡(おうむ)返し。流石に可笑(おか)しかったので、お辰は笑いかけながら、身を縮め声を低くして、

「この手を……」

「離さないのが悪いか」

「ハイ」

「これはこれは、(まこと)に失礼」と、珠運はそのまま離して()ねた真面目顔。それをお辰が心配そうに横から覗き込めば、じっと見られてすましてはおられず、すかさずお辰の眼を強引に両手で蓋をすると、お辰はそれを握って、

「離さないのが悪いか」と、男言葉。後は二人揃って笑い転げる睦まじさ。


 だが、そうしている中に、

(むすめ)(むすめ)」と、子爵の錆声(さびこえ)……。ふと目覚めれば、昨夜開け放した窓を掠めて飛ぶ(からす)が。

「憎らしい、あの烏が鳴いたのか」と、腹立たしさに振り向く途端、彫像のお辰は夢の中のお辰と較べると、まったく見劣りがした。その身体を(おお)う数々の花がうるさく思え、何処の唐草の精霊かと嫌になった心に、悪口さえも浮かんでくる。とすれば、

「今は何を着せるべきか」

 しかし、何とも思い付かないまま、あれこれと思案しながら刀を研ぐのであった。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ