幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 14
「若木三寸で螻蟻に害う」は、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、
「珠運の恋がようやく若木に成長したところで、ケラやらアリやら、とんだ邪魔者が現れてそこなわれてしまう」とある。(P.193)
下 若木三寸で螻蟻に害う
『世の中に病というものがなかったら、きっと男の心は優しくはないだろうに』
髭の先がピンと跳ね上がった当世の優等生、高慢な鼻にかける眼鏡も偉そうに、父母が干渉する弊害を説きまくり、意見する親の口を固く封じたりしているが、一日で製造されたような粗悪なブラディーで腸カタルを起こして、寝床で苦しんでいる折り、
『気に入らないかも知れないが、片栗湯をこしらえたので、食べてみる気はないか?』と厚く介抱してくれる親の有り難さ。へこたれている腹にお母の愛情を呑んで知り、それからというもの、三十銭の安い西洋料理を食う時も、ケーキだけはポケットに入れて、お母への土産にするようになるという、この何とも言いようのない見事な天の采配には決して不満などを言うべきではない、とある人が仰っていたが、確かに尤もなことである。
さて、珠運は馬籠にいた時、寒さに当たって熱が出、旅路での病気は心細く、二日ばかり苦しんでいたが、そこへ吉兵衛とお辰が尋ねて来た。様々な世話、介抱によって、病気も少し良くなる兆が見えたので、駕籠を使って、無事に亀屋へ引き取り、夜も寝ずに美人が看病。
藪医者の薬も薬師如来よりも尊い善女が手にする茶碗で飲ませれば、利かないはずはなく、徐々に快方に向かった。
お辰があらゆる神々に色々な禁物…願掛けの間、特定の飲食物を断つこと…までして、『どうか治し給え』と、自分のために祈っていたことを初めて知り、涙が湧くほどに嬉しく、一月余りの療養で身体は衰えていたが、起き上がれるようになって、『床上げ』の祝いも済ませた後、珠運は思いきってお辰の手を取り、一間の部屋に入って、何事かを長らく話し込んでいた。
部屋から出た時、女の耳元は紅く染まっていたが、その翌日、男は真面目な顔をして仲人を頼めば、吉兵衛は笑いながら、「牛の鞦と老人の言うこと、どうじゃ、ほれ、どうじゃ」と言いかけて、
「最初からその支度は大方できておる。善は急げじゃ、今宵にでもしてしまおう。不思議な因縁で、儂の養女分が嫁入りすれば、儂も一つ善い功徳をすることになるわ」とホクホク喜び、すぐに下女、下男に、
「ソレ、膳を出せ、椀を出せ、アノ銚子を出せ、なんだお前は蝶花形…祝宴の席に出す紙で作った女蝶・男蝶…の折り方も知らんのか」と、甥子まで叱り飛ばし、ワイワイと田舎気質のやり方で思うように進めていたのだが……。
そんなところへ一人の男がやって来て、「お辰様に」と、手紙を渡すと、それを見るや否やお辰は慌ただしくその男と連れ立って、一寸出たがそのまま戻らず、晩方になって、祝言を挙げる時刻が来るというのに帰らず、吉兵衛は苛立って、あちこち探し回せば、同業の宿屋に泊まっていた若い男と一緒に立ち去ったという。
外れることがなかったはずの牛の鞦が外れてしまって、『モウ』とも『ギュウ』とも言うべき言葉もなく、どう言って珠運に言い訳すればいいのか。
と言って、男と駆け落ちするような猥褻な行いはお辰に限っては無いものをと、あれやこれやと思案に窮する時、先ほどの男が来て、再び手渡す包み物。開いてみれば……。
『一筆啓上仕候』から始まる候文。
『まだお会いしておりませんけれども、お辰様の身の上につき、深い思いやりをかけていただいておりますことを知るに至り、実に有り難く存じている次第であります。さて、本日、貴殿のお計らいにより、お辰様の婚礼が執り行われると聞き、これについてもまた、驚いている次第であります。これには事情がありまして、お辰様の婚礼の儀にはこちらとして異議がございますため、これまでのお礼方々お眼に掛かりまして、中止の件を申し上げるべきではございますが、いかんせん、どうにも切迫いたしておりますのと、またそれに加えて、お辰様のご本心によりましては、私の一存でこのまま婚礼を中止することもでき難く、そういうことをしてしまいますと、後々面倒なことにもなり兼ねませんので、甚だ突然で本当に失礼ではございましたが、実はお辰様を欺し連れ去って、この婚礼が先送りになるようにと、決行したのでございます。また近日中に参上いたしまして、入り込んだお話しを事細かく申し上げる所存でありますが、差し当たり、先日七蔵にお渡しいただいた金百円と、お礼の印までに金百円を進上させていただきますので、どうかお納めいただきたいと存じます。
不悉…手紙の結び文句…
亀屋吉兵衛様へ
岩沼子爵家従 田原栄作』
とあり、手紙の末尾に
『珠運様とやらにも、この旨よろしくお伝えくださいますよう』と書き加えられ、これに、ほんの紙切れのようにも思えるような二百円の紙幣が包まれてあった。
つづく