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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳  13

実生(みばえ)二葉(ふたば)土塊(つちくれ)()く」は、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、

「発芽して最初に出る初々しい二葉のような珠運の恋情は、彼自身のかたくなな修行の志さえもゆるがすことを、「土塊を抽く」とした」とある。(P.191)



 中 実生(みばえ)二葉(ふたば)土塊(つちくれ)()


 自分は今まで恋というものをした覚えがない。伊勢の四日市で見た美人は三日間、目の前にちらついたが、それは(ひたい)黒子(ほくろ)があって、丁度そこに白毫(びゃくごう)…仏の眉間にある光を放つという渦巻いた白毛…を付けたら、と考えたからであった。また、東京の天王寺で、菊の花を片手に墓参りをしていた(つや)っぽい女も一週間思い詰めたが、これもその指つきを吉祥菓(きっしょうか)を持たれた鬼子母神(きしもじん)に写してみてはどうかと頭の中で工夫していたのである。


 お辰を(いつく)しんだのは、同じように修行の足しに、と思ったのではないけれど、これを妻に、(めかけ)に、情婦(いろ)になどしようと思ったのではなく、強いて言うなら、ただ何となく可愛いと感じた勢いに乗って、百両を与えただけのことである。不純な気持ちでしたことではないのに、この心中(しんちゅう)(はか)ることの出来ない爺めの()らぬ(すい)()ては、お節介というもの。馬鹿馬鹿しいという外ない。


 一生にただ一つの願望(のぞみ)は、この珠運が理想とする新仏体(しんぶつたい)を刻もうとすることだけなのに、どうして今から妻など持てるだろうか。特にお辰は叔父さえいなければ、大金持ちにも望まれて、裕福に日々を送るのが相応しい女なのである。


 人は人、自分には自分の考えがある、と決心し、お辰宛の置き手紙に、

『少しばかりの恩を(かせ)にして、あなたを(めと)ろうとする(いや)しい気持ちは露ほどもない』旨を(したた)め、後は野となれ山となれと、山路にさしかかっても、もう後ろを振り向きもせず、テクテクと歩いて行った。


『それにしても、この男は変わり者、木で出来ているのでは?』と(そし)るのは、その人物こそただ単に肉でできているだけの低俗な(やから)。『お釈迦様が女房を棄てて山籠もりをされたのは、女房が名医の耆婆(ぎば)も匙を投げて治せなかった癩病(らいびょう)…ハンセン病…で、接吻(キス)をする唇がポロリと落ちたことで愛想を尽かしたからではないか』と、疑う愚かな連中である。


また、『ああら、ほんに尊いこと、尊いこと。源頼朝(みなもとのよりとも)から銀で作られた猫の像をもらい受けた西行(さいぎょう)は、すぐにそれを子どもに()ってしまったけれど、そこが西行らしい所なのだなぁ』と、喜んで誉める者どもも、逆に言えば、雪の降る日は本当は寒いのに、それに気がつかないものとして、あれこれ語り合っているのと同じようなものであろう。


 人間とは元々変なものである。目が見えなくなってから、その昔拝んだ旭日(あさひ)の美しさを悟り、巴里(パリ)に住んでから沢庵(たくわん)の味を知るともいう。


 珠運は立つ鳥、(あと)を振り向かずで、未練を残さず旅立ったつもりだったが、一里歩いた頃、ふと思い出し、二里歩いた頃、『珠運様』と呼ぶ声が聞こえた気がして、まさしくその人と、後ろを見るが誰もいない。

 三里歩いた頃は『もし……』と袂を引かれる様子に、これは確かにお辰、と見るけれど、これまた人はいない。

 四里歩き、五里六里行き、段々遠く離れて行くに連れて、迷い心が出てくるようになった。


 遂には、その顔が見たくなって、いっそのこと帰ろうかと、一足後へ……。

「イヤ、ドッコイ、そうはいかぬ」と、一、二町進む内、むかむかとその声が聞きたくなって、身体の向きを思わずくるりと変えた途端、(みち)(ばた)の地蔵と目が合い、

『珠運、奈良だ。奈良へ行くのだ。誤るな』と言われた気がして、また一町足らず歩いて行くが、その向こうから来る夫婦連れ、何事か面白そうに語らいながら行くのを見て、

『我もお辰と会話(はなし)したくなった』と、思わず一間(いっけん)ばかり戻るのを、「アア、馬鹿なことを……」と悟って、半町歩めば、知らない内に迷って三間(さんげん)戻り、十足(とあし)歩けば、四足戻って、果ては片足進んで片足戻るほどの可笑(おか)しさ。


 自分でも訳が分からず、名物である栗おこわを売っている家の腰掛けに腰を下ろし、

『むむ……どうしたものか』と考え始めるが、信濃国、園原にある、遠くから見るとあるように見えるが、近づくと消えてしまうという伝説の帚木(ははきぎ)に似た木のようなものが、自分の胸の中にもあるような、無いような……。

 ここら辺りの内容は、言文一致体の小説家に是非描写してもらいたいものである。


つづく

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