幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 10
「仁はあつき心念口演」とは、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、
「『法華経』提婆達多品の一節。「心念口演、微妙広大、慈悲仁譲」による。これは、娑伽羅龍王の娘をほめたたえる一節で、「彼女が心に念じ口にのべることは、みな微妙広大であって、慈悲、仁譲がある」という意。珠運・お辰の昂まりゆく思いが、お互いに交わす言葉や態度の端々に、自然にこもるさまをいう」とある。(P.184)
中 仁はあつき心念口演
「その身を諦めても諦めきれないのが口惜しいと言われるが、笑い顔をして諦める者などこの世にいるはずもない。大抵は奥歯を噛みしめて思い切ることでありましょう。到底逃れられない不仕合わせと簡単に悟られたのは、余りにも浮き世を恨み過ぎた言い分、『この世は無常』という道理には適っても、人情としては外れた言葉。そんな言葉がお前のその美しい唇から出るのも、思えば苦しい事情があってのことなのだろう。それを察すると、お前の心も大方見えてきていじらしい。エエ腹立たしいのは三世の相。過去、現在、未来の因縁の、どんな因果を誰が作って、花に蜘蛛の巣、お前に七蔵という縁を作ったというのだ。お天道様まで憎くてならないこの珠運、相談相手にもなるまいが、痒い背中は孫の手に頼めじゃ。弱々しいその肢体を縛って、と言うのではない頼みなら、頭を悩ませてでも何か方法を考えもしようが、まあ一体どうした訳か。強いて聞くこともないが、このまま別れては何とやら、そう、『仏作って魂入れず』と言うようなもの。話してもいいものであれば、聞いた上で、どのようにしても有り丈の力を喜んで尽くしましょう」と、言われて、お辰は、叔父にさえ浅ましいほどの無理難題を言いかけられる世の中に、赤の他人でこれ程の仁、胸に堪えてゾッとする程嬉しく、そして悲しく、咽せ返りながら、屹と思い返して、
「いちいちのご親切は有り難くはございますが、私の身の上話は申し上げませぬ。いいえ、申さぬのではございませんが、申し上げられない辛さをお察し下され。年かさある者と折り合わなくて懲らしめられただけのこと、くどくどと言わなくてもいい恥話をして、あなた様のような情けをお知りのお方に、浅はかに心を傾け、愛想を尽かされるのも恐ろしいこと。かといって、決してご厚意をないがしろにするのではなく、やさしいお言葉は骨に刻んでいつまでも忘れることはございませぬ。女子の世に生まれた甲斐というものを今日知ったこの嬉しさ。しかし、それは儚くも終わりの初物、あなたは旅のお客、お逢いしてからお別れするまで、朝日があの梢から離れない間だけのこと。せめて、お荷物などを担いで三戸野、馬籠あたりまで、貴方様のお肩を休ませて差し上げたいと申し上げたいところですが、それも叶わず、こんなことを話している間にも、叔父様に帰られては面倒。どんなことを申されるかも知れませんので、素っ気なく言うのもあなた様のため。ご迷惑を掛けては済みませぬ故、どうかお帰りになって下さいませ。『エエ、千日も万日もお引き留めしたいという思いはあるものの』……」と、最後の一句は口から洩れず、薄紅となって顔に露れる可愛さ。珠運の身にしてみれば、どうして振り捨てることなどできるだろう。
「たとえ叔父様が何と言われようが、下世話にも『乗りかかった舟』と言うではないか。このままさようならと指を咥えて退くのはなんぼ上方生まれの肝玉なしでもできないこと。その上、さっきも話した通り、真底から善女と感じているお前の憂き目を放っておくことは一寸の虫にも五分の意地が承知をしない。お前が言わない訳も、後先を考えると大方分かるから、兎に角私の言うことを聞いて欲しい。悪気でする訳ではなく、私の言葉を立ててくれても女が廃るというものでもあるまい。こうしましょう。これから、あの正直、律儀が言葉付きからでも間違いないと思われる亀屋の亭主にお前を預けて、金も少しは要るだろうが、それは私がどうなりとでもして道を付けましょう。親類でもない他人が要らぬ差し出た真似をすると思うかも知れないけれど、妹というものを持ってみたらこうも可愛いものであろうかと迷う程、愛しくてならないお前が、眼に見えた苦労の淵に沈むのを見てはいられない。なぁに、私が善行をしたがるのは自分のためだと笑って気を大きく持てばいい。さあ、おいで」と、取る手。その手をそっと振り払うのであれば、昔ゆかしい今川流、握りしめれば西洋流か。お辰はどちらでもない無学なので、珠運に手を引かれるまま……。
こんな人は今まで見たこともない得難い人だと、珠運は後に語ったが、それもその時は嘘だったのだろう。
つづく
(参考)
最後の一行の原文は「それも其時は嘘なりしなるべし」で、これに関して、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注には、
「解釈困難な一節。「其時」を、お辰の手を取った時とするか、「後に語りける」時とするかによって(後者なら更にそれは何時かという問題が生ずる)、様々な解釈が可能となる。同時代評に「省筆に過ぎたる処多くして趣向の通暢を欠きたる」(中西梅花、「読売新聞 附録」明治二十二年十月十七日)とある所以であろう」とある。