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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳  風流仏縁起

明治二十二年、「新著百種」というシリーズの第五号に掲載された、幸田露伴の初期作品、「風流仏」を現代語(勝手)訳してみました。


本来は原文で読むべしですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方はご一読いただければ幸いです。

「勝手訳」とありますように、自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。ある意味勝手な訳となっている部分もあります。


浅学の素人訳のため、大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸甚です。


この現代語勝手訳は、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集(岩波書店)」を底本とし、その脚注、並びに「日本近代文学大系6 幸田露伴集(角川書店)」及び「明治文学名著全集(東京堂)」を参考にさせていただきました。感謝申し上げます。



風流仏縁起(ふうりゅうぶつえんぎ)


 気品あるご婦人から『新著(しんちょ)百種(ひゃくしゅ) 第五号』に何か一つ書いて欲しいという話をいただいた。皆まで聞かず、心得ましたと承知はしたものの、色々考えて、どこから手をつけて、どんな話を書いてやろうかと、最初は流石(さすが)に偉ぶって懐手(ふところで)をして、両肘を突っ張っていたのだが……、いつしか思案の腕組みとなり、終いには睨み付けていた傲慢な(まなこ)も遂に思案に耽る瞑目(めいもく)となっていった。悲しいかな、自分はつくづく非力、非才であると、その時にして思い知ったのである。

 この才能のない身が不甲斐なく、他人が羨ましく思えたりもするが、近頃の大作家と同じようなことをするのは嫌。そんなことをするのはあまりにも情けないと思うのである。

『好児は用いず爺々の銭』と言う。『いつまでも親を頼ってはいけない』ということだ。この言葉を胸に、歯を食い縛り、頭を絞っていたが、まごまごしている内にも締め切りの日はどんどん近づいて来る。いい考えは出ない代わりに油汗ばかりが出、アイデアは湧かないけれども、涙だけは湧いて来る。

 苦しい時の仏頼み、こんな時に助けていただけないのは、(ばい)多羅(たら)(よう)に書かれてある『迷う者を救い、悟りを得させる』という言葉も、遊女が書く誓文(せいもん)と同じで、その場限りの嘘なのか。よし、そうであるなら、日本中の寺という寺に石油を振りかけ、火を放ってやるぞと、もう無茶苦茶に血迷って、お賽銭は持ち合わせておりませぬが、もしも良いアイデア、お知恵を授けていただいた暁に、それが評判となりましたら、白銅貨一枚くらいは施しをさせていただきましょうと申し上げ、そして、高慢ちきにも、上から目線で、ほら、帰命(きみょう)頂礼(ちょうらい)、即ち、頭を仏の足につけて敬礼してやっているんだ、分かっているかと、深川の不動様、雑司ヶ谷(ぞうしがや)鬼子母神(きしぼじん)、下谷の摩利支天、浅草の観世音と、もう誰彼(だれかれ)の区別無く、どれもこれも平等に足を運んで、兵隊靴の(びょう)が外れるくらいまで参詣(さんけい)したが、まったく御利益(ごりやく)がない。ヤレ情けない、智恵自慢の文殊様は海外にでも旅行されたか。だが、愚痴を言ってもその声は届かず、なら今度はと、居候(いそうろう)元祖(がんそ)賓頭盧(びんずる)尊者(そんじゃ)や風船住まいをされるというミスター虚空蔵(こくうぞう)に至るまで、手抜かり無く頼んだが、これも埒があかない。

 アア、もう締め切り間近、最早絶体絶命じゃ、この頭には関係の無いことばかりが詰まっておる。これも運命ならどうしようもないが、こうなったら、いよいよ最後の鬱憤晴らしじゃと、懐にマッチを忍ばせ、まずは不忍(しのばずの)(いけ)の弁天嬢からこんがり焼かせていただこうかと、勿体なくも暴挙に出たところ、あらら……、仏法の威徳がまだしっかりと残っていたのか、それとも、この男を弁天様を崇拝していた平清盛より可愛いとでも思し召しになられたのか、何にせよ愚者の一心が通じたのだろう、(しゅ)(しん)を開かれ、美しい貝のような歯をお見せになりながら、オホゝゝホゝとお笑いになられて、

「その顔って、本当に野暮ったらしいわよねぇ」と、仰られたのこそ不思議。その瞬間、アア、ありがたいと、すべてを悟り、直ちにそのまま、変に変を重ねた馬鹿不思議なものを書いたのだった。

 以上、正直に言って、これがこの話ができた由来なのである。


                          蝸牛(かぎゅう)()(はん)(つつし)んで(しる)


実際の物語は、次回から始まります。


この「風流仏縁起」は、この物語が生まれた由来が書かれているようですが、よく分からない内容になっています。「明治文学名著全集(東京堂)」の著者、山口 剛氏はその本の中で、「かかる諧謔を弄する文は『風流仏』の序としてふさはしいものであらう。何となれば風流仏の題名すでに然る如く、その内容また正意を以て解すると共に反意を以て読むべきものが多いからである」と書かれておられるが、考えれば考えるほど、深みにはまりそうなので、私としては、ごく単純に露伴先生のユーモアとして読ませていただいた。

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